旅立ちと現実と2
「ただいま」
予告通り、手紙を受け取ってから明後日にあたる今日、ロズリーが帰って来た。
一年見ない間に背はかなり伸びて居て、同じくらいの背丈だったのに、私の背をとっくに追い越している事に驚きつつも、身に纏う雰囲気は少し大人びては居ても馴染みのある感じで少しホッとする。
ロズリーの後ろには平服を着たラスティと、今は正式に騎士となっている、同じく平服姿のフェルラートとパーシヴァルが居た。
フェルラートとパーシヴァルもまだまだ成長期であるためか、以前見た時よりも背が高くなっているようだし、体つきもしっかりしてきているように見えた。
「お帰り、ロズリー。そしてお久しぶりです。皆様」
「こちらこそ、お久しぶりです。カレン殿」
見事な起礼を取る三人にちょっと呆気に取られている両親と妹にちょっと同情しながら、弟と三人の騎士を家に招き入れた。
「遠い所態々いらして、お疲れでしょう?」
母が庭で取れた自慢のお茶を振る舞いながら言う。
「いいえ。これくらい、なんてことありませんよ。曲がりなりにも騎士をやっている身ですから、これくらい大したものではありません」
「さすがですな」
ラスティの天然たらしっぷりは、幸いにして母には影響が無かったらしく、そのため父が不機嫌になる事も無ければロズリーが慌てなければならない事も起きなかったので良かったと言えば良かった。
リズに関してはラスティの余りのキラキラ具合にむしろどうしていいかわからなくなって私の背に隠れてこっそり見つめる事になった次第である。
憧れていた人をまともに見られないと言うのも、何だかちょっと可哀相な気がしてならないが、あえて気にしない事にする。
「ロズリーはどうですか? ちゃんと従者としてやっておりますか?」
母の質問に、ロズリーは微妙な顔つきになり、フェルラートとパーシヴァルが同情的な目をロズリーに向けた様子からするに、私の当初の予想からはそれほど遠く無い、気苦労の多い日々を過ごしているのだろう事が手に取る様に推測できた。
そんな環境を作っている等の本人は爽やか過ぎる笑顔で、もちろんですよと差し障りの無い受け答えをしているのだから質が悪い。
私は後で弟の愚痴を聞いてあげようと心に決めた。
「あのさ、父さん。手紙にも書いて置いたけど、暫く森小屋を借りても良い?」
ひとしきり談笑を終えて、ロズリーがそう切り出した。
「ああ。構わない。好きに使いなさい」
父は穏やかに頷いた。
「ある程度整えては置いたが、住むための物はほとんど置いていないから、きっと何か不足な物が出てくるだろう。狩りの帰りに私かカレンが寄るから、その時に不足な物があれば言いなさい」
「うん。わかった。ありがとう」
当たり前のように会話していた所、ふと目線を三人の騎士に向けると、酷く微妙な表情をしているのに気付いたので声をかけてみた。
「あの。どうかしましたか?」
「いえ、あの……。カレン殿もこの森にはよく入られるのですか?」
何でそんな事を聞くのだろうと首をかしげながらも頷いた。
「ええ。もちろん」
それなりに大きな森ではあるが、森に慣れている村人なら誰だって入る。
獣も魔物も出るには出るが、気をつけさえすれば襲われる事もあまり無い。
ちなみに魔物とは魔力を有した獣の事を示す。
特徴は瞳の色が赤い事。
日本で瞳の赤いウサギというのは結構人気だが、この世界で瞳の赤いウサギは魔物だ。
ちょっかいをかければ痛い目を見る。
それはさておき、さすがに森小屋は結構深いところにあるので、そこまで行く人間は村では父と私を含めて五人ぐらいしか居ないのだけど、森に入ること自体でそんなに驚かれる事は無いはずなのだが……。
「……そうですか。いえ、なんでもありません。気になさらないでください」
微妙な表情のまま何か小さく呟いた後になんでもないとはぐらかされてしまった。
一体何だったのだろうか?
「ロズリーも居るし、皆さんも旅慣れていらっしゃるようだから特に心配はしておりませんが、最近魔物が繁殖期なので少々凶暴化しているので気をつけてください」
それから少し村でくつろいで貰った後、弟と三人の騎士は森小屋へと向かっていった。
普段それほど口数が多いというわけではないロズリーの、未だかつて無いほど滑りの良い口調で語られた愚痴が展開されたのは三人の騎士と離れた時だったのだが、それはちょっとした余談である。
村中キラキラ騎士様フィーバーとかし、それをおさめるのに苦労した話も大いに余談だ。
私、なんで昔も今もこんなに気苦労する立場になることが多いんだろう。
なんか解せない。
早朝、森に父と共に狩りをした後、獲れた獲物を父に任せ、私は森小屋へと向かっていた。
村に居る薬師のおばあさんから、森の奥でしか取れない解熱作用のある薬草が不足してきているというので、それを取りに行く道すがらという形ではあるのだが。
小屋に近づけば、もう小屋では朝食の支度が始まっているようで、森小屋の近くには朝食の匂いにそそられた小さな動物たちが鼻をひくつかせている様子が見えた。
小屋に付く少し手前で、奇麗な弦音が聴こえたので思わず立ち止まった。
馴染みある弟の弦音とは少し異なる響を持つその弦音をたどって歩けば、そこには一人の騎士の姿があった。
フェルラートである。
実戦的で無駄な動作を一切排除した、鋭くキレのある射形だ。
手の込んだ氷の彫刻のような冷ややかで凍てついた容姿もあるだろうが、研ぎ澄まされた集中力と狙いを外す事など全く考えられないほどに呼吸と狙いが全くブレ無いその射は、幻想的なまでに美しかった。
「……凄い」
思わず漏れた私の言葉にも一切気を散らすことは無く、放たれた矢は狙い通り、木の枝にぶら下げた的の真ん中を射ぬいていた。
構えを下ろした彼は、私の方へ顔を向け、少し驚いたように目を少しだけ見開いた後すぐに元通りの無表情に戻り、小さく私に頭を下げた。
「……おはようございます」
普段、そこに居るだけで華やかなラスティや、賑やかな性格のパーシヴァルと一緒に居る彼に慣れていたものだから、彼から発せられたあまりに静かな挨拶に、少し驚いてしまった。
そういえば、最初に出会った頃(正確には遭遇したと言ったほうが正しいかもしれないが)、なんて声と見た目がこうも一致する人が居るのかと驚いたっけと思い出す。
少し音を立てながら近づいて来た彼に私も挨拶を返したが、彼は既に私ではない物を凝視していた。
視線の先は、私が持っている弓だった。
「……それは?」
「弓、ですけど」
持っていた弓を彼に見やすいように前に差し出すと、彼はおもむろに手を差し出し、受け取ろうとした瞬間、ぴたっとその動きが止まった。
「触っても?」
「いいですよ」
農民が農具を大切に扱うように、剣士は剣を大切にするし、狩人は弓を大切にする。
生きるために生活するのに大事な道具だから、大切に扱って当然で、それが体の一部であるように扱う人こそ、それぞれの道に富んだ才を持っていることが常である。
あれだけ見事な射を放てる彼だから、大切に扱っているであろう物に触れようとするときに気を使うのは当然の事なのだろうけど、久しくそんな態度をとられた覚えが無いのでちょっと新鮮だった。
「見たことのない形だ」
「えっと、まあ、私に合わせて作った物なので……」
私は弓道をやっていた。
学生の頃ではなく、社会人になってから始めたので、経験は浅いのだが、学生が身体に叩きこむ覚え方であるのに対して、社会人から始めた私は頭で覚えてから身体を動かす覚え方だった。
腕は良かったと言えるほどの長い間引いていたわけではないのでそこは置いておくとしても、頭で先に覚えていた分実は結構弓の構造や原理とかをしっかり覚えていた。
この世界の主流の弓は、弓の中央に握りをおいた形の物で、引き方はアーチェリーに近く、腕の筋力がモノを言う所がある。
なので、強い弓を引くにはその分腕の力が必要になり、女の私が使うとなると、距離は出ないし中っても致命傷にはならなそうな弱い弓しか引けないので正直、平均的な筋力の弱い女には不利益な点が多いのだ。
なので、それなら日本の長弓を再現してしまえばいいじゃないかと、父に協力してもらい長弓を作ったのだ。
長弓は中央よりも下に握りがあり、一旦弓を打ち起こしてから左右に押し開くように引く独特な射になる。
この方法は、腕の力よりも如何に左右均等な力を与えてやれるかで引ける弓の強さが全然変わる。
力の弱い人であっても、それなりの強弓も引ける引き方なのだ。
まあ、その説明はさておき、もしかすると世界のどこかに同じような物があるかもしれないけど、今のところ、私は見たことが無いし本や絵に描かれる弓の形が長弓だったところも見たことがなかったので、フェルラートが珍しいと言うのは当然だろうと思う。
「握りが随分下にある……どうやって引くんだ?」
「ええっと……口で説明するのはちょっと難しいので、引いてみましょうか?」
「ああ。見てみたい」
「先に言っておきますけど、フェルラート様みたいな見事な射は引けませんからね?」
そう言った私になにか言いたそうに口を開いたが、彼は結局何も言わずに静かに見ることに専念したようだった。
私は先程フェルラートが立っていた場所に立って構え、矢をつがえて手の内を整えひと呼吸し、的を見た。
そこからは完全に自分の世界。
聴こえてくる音、風の感覚、光の具合、全てを感じとって、弓を引き、放った。
さすがにこの世界に生まれてからずっと弓矢でもって生活してきたので的にはちゃんと中った。
「こんな感じです」
構えを下ろして振り向けば、彼が余りにも側に来ていた事に驚いた。
(近づいてきた音、全然聞こえなかったんだけどっ!?)
弓を引いているときは一番集中している時なので、僅かな音も大きく聴こえるのに、フェルラートが近づいてきた音は全く聴こえなかった。
(テレビで剣道の全国大会見て凄い凄いって騒いだことあったけど、実際にその実力を発揮されたら……ちょっとコレは無いわ)
彼が自分に危害を加える事は無いと知っていても、自分が認知できない動きをする人は未知数で怖いのだとこの時身を持って実感した。
「あの……」
躊躇いがちに声をだすと、私の真後ろに立って彼が言った。
「もう一度観たい」
「え?」
「もう一度今の射を観たい」
「は、はあ?」
真後ろに立たれてややドギマギしながらも、もう一度射る。
そして、構えを解いて振り向けば、今度は考えるように顎に手を当てて的を見つめていた。
(うーん。この人、謎だわ)
「これで良かったですか?」
「……ああ」
そう答えながらも的から目を離さずにしばらく何かを考えていたようで、じっと待っていると、ゆっくり顔を私に向けた。
「明日、また来るか?」
「まあ、必要なら来ますが……」
「なら来てくれ」
一方的にそう告げて、彼はそそくさと後片付けを始めた。
的に中った私の矢を渡された時には、冷やかな印象を一層するように、小さな、春風の様な笑みを浮かべて言った。
「あんたの射。いい射だな」
正直に言おう。
彼の言葉とその笑みは破壊力が抜群だった。
男社会で生きていた経験が長かったので、割とカッコいい人とかハンサムな人とかには慣れている方だと思っていたけど、今のはちょっと心臓に悪い。
驚きすぎて声も出せずにいた所に、幸いにして聞き慣れた弟の声がした。
「フェルラートさん、食事出来ましたよ! ……って、あれ? 姉さんも居る」
どうやら食事を作っていたのはロズリーだったらしい。
「おはよう。ロズリー」
驚きから立ち直って挨拶したが、ロズリーは不思議そうに私とフェルラートを交互に見て、首をかしげた。
「おはよう。フェルラートさんと何かあった?」
「お互いの射を見ていただけだよ」
そう。それだけなんだけど、最後のが破壊力あり過ぎて、奇麗だと思った彼の射を思い浮かべたら、ついてに笑みも着いてくる事になって、頭の中はちょっと混乱中。
混乱している頭の中を必死に整理しつつ、私も森小屋へと向かった。