束縛と幻想と4
私達はシャーデの町より歩いて一日と少しした時に、広大な草原に足を踏み入れていた。
この草原は満月の夜の時にだけ、日光花、すなわち日の光によって咲くはずの花が咲くと言う不思議な現象が起きる『幻夢草原』と呼ばれている場所だ。
陽は傾き始めたばかりで今宵は満月などではない日なので、その名に由来する現象を見ることは叶わない。残念だ。
いつかは見てみたいなと思いつつ、草原をのんびりとした足取りで進み暫くすると、ふと背後から馬の蹄らしき音が小さく聴こえて来た。
馬の数は恐らくは複数。でも数はそう多く無い。
疾走と言うほどの速さではないが、歩かせているような足音では無いので、多少急ぎ足の旅路の人達なんかだろうかとのんきに考えていたら、フェルラートが突然腕を掴んで私を立ち止まらせた。
「どうしたの?」
彼は少し眉間に皺を寄せて訝しげな表情のまま音のする方向を暫く無言で見つめ続けたが、遠目にうっすらと音の出どころである何かの影が見えて、また、それが何であるかを視界にはっきりととらえることが出来たところでようやく私の腕を離し表情を元にもどした。
「ん? あれって確か……」
私もフェルラートも弓を主力として使う関係で目はかなり良い方なので、その存在を知るのは相手よりも早かった。
「……知り合いか?」
「間違いでなければだけど。……たぶん、ジャックさんにエドガーさん。町の衛兵さんなんだけど、どうしてこんな所に居るのかしら?」
徐々に顔の判別がしっかりと出来るようになってきて、やはり私の故郷の村から一番近い町で衛兵を務めていた顔見知りの二人であるとわかって不思議に思った。
腕の立つ衛兵として、森に近い方の警備を任されていた二人の衛兵が、何故こんな所に馬を走らせ来ているのかがまったく見当がつかずに首を傾げていると、どうやら向かってくる二人もこちらの存在に気付いたようで、心底驚いたという表情で、私たちの前まできて進行を止めた。
「あらら。色々と予想外」
「カレン殿!?」
女好きする中性的な顔立ちをしている色男のエドガーは、驚きの表情をすぐさまとろんとした甘い表情に変え軽い口調で言うと、どこかガキ大将のような少年らしさの残る顔立ちのジャックは心底驚いた表情をそのままに、驚きの声で持って私の名前を呼んだ。
「こんなところでお二人とお会いするとは思いませんでした」
本当にどうしてこんな場所で? と思う。
仕事はどうしたんだろうか。
「奇遇ですね。カレン殿。いやあ、本当に奇遇ですね。なあ? ジャック」
「あ、ああ……」
未だ驚きの表情のまま固まっている相棒のジャックをそのままに、エドガーがフェルラートに視線を向けて、私に向けるのとは少し違う、興味津々といった感じの笑みを浮かべて言った。
「初めまして。私はエドガーと言います。カレン殿の故郷にほど近い町の衛兵をやっていた者です。こっちも同様に衛兵をやっていたジャックと言います」
「フェルラート。騎士だ」
この回答に少しエドガーの片眉が上がった。
「騎士?」
「ああ。正騎士の方だが」
何かに驚いた様子で暫く口を閉ざしたエドガーの様子を暫く眺めていたが、ああ、と今更ながらに納得した声を私はあげた。
「そっか。フェルは近衛騎士に見えるよね」
騎士という名称は王宮騎士団に対してのみ使われるものではあるのだが、単に騎士と言うだけでは、その人物が正騎士なのか近衛騎士なのかの判断はつかない。
なので、人は騎士と言われるだけであれば、まず見た目でどちらに属している騎士なのかを判断するのが普通だ。
何故判断するのが普通なのかと言えば簡単な話で、貴族に睨まれたくないという簡単な思いからだ。
騎士は貴族出身者が多く、その大半は近衛騎士だ。
稀に貴族出身であっても正騎士になる者もいるが、実力主義である正騎士に在籍する貴族はこぞって地位名誉にはあまり執着していないので、多少の失礼があってもおおごとに成る事は少ない。
だから人々は騎士と言う人物に対して正騎士であるか近衛騎士であるかを自然に判断するのだ。
そしてフェルラートは見た目の良さから、単に騎士と言うだけならば近衛騎士に間違われてもおかしくは無い。
こんな美人さんが平民出なんて、初見で思う人なんて限りなく少ないと私は思うし。
「今自分は休暇中だ、呼び捨てで構わない」
唐突なフェルラートからの申し出に少々面食らった様子のエドガーだったが、まだ平素に戻らない相棒の小脇をつついて正気に戻してやると、笑んだまま素直に申し出を受け入れるという石を頷いて示した。
「それにしてもどうしてお二人はこんな所に? お仕事はどうされたんです?」
「それを言うならカレン殿もですよ。聞きましたよ。村を出られたんだとか。それを聞いた町の男どもはこぞって地に両手両膝をついて嘆いていましたよ?」
「え? 何ですか? そのありえない冗談は」
「はははっ!」
否定されると思っていたのに、何故だか笑ってごまかされた気がする。
私そんな男性に好かれる人間じゃないんだけど。冗談だよね? マジで。冗談だよね?
冗談じゃなかったらありえ無さ過ぎて逆に怖いんですけど。
「けど、どうして急に村を出る事にしたんです?」
エドガーの問に私はすぐに答えを返せなかった。
正直に言えば、「なんとなく」なのだ。
ハッキリとした目的も目標も実は今の所ほぼ無い。
決まっているのは最初に行ってみようとおもった王都と、王都に行くまでの間にどんな世界が広がっているかを見るためにゆっくりとした進行で進む事。
これくらいしかなかった。
私はついつい苦笑い。
「まあ、色々と思う所がありまして。――――そちらは?」
「え? あ、ああ。ええと……。ちょっと前に生意気なガキ……じゃなかった、とある少年に馬鹿にされた挙句に自尊心を大いに傷つけられたもんだから、その子を見返してやる一心でじゃあ騎士にでもなったらどうかという話を酔った勢いでしたのをきっかけに王都へ行く事になったんですよ、コイツが」
エドガーがさらっと笑顔で説明した後ジャックを親指で示した。
なるほど。男の子は大変なんだね。
指された本人はきょとんとした表情を浮かべるのが少し気になるところだけれど。
「じゃあ、行き先は一緒なんですね。私たちは徒歩なので、お二人よりも大分到着は後になりそうですけど」
「カレン殿も王都へ?」
驚いたりきょとんとしたりで表情の変化ばかりで言葉をほとんど発して居なかったジャックが、声量自体は大人しいものの、こちらに身を乗り出す勢いの姿勢だったので、思わず私は一歩引いて距離を置く。
開いた距離の間に、さりげなくフェルラートの体が滑りこんできたので、ちょっとだけほっとした。
知り合いと言えども、いきなり距離を詰められるのはちょっと怖い。
ジャックはエドガーに襟首を掴まれて強制的に後ろに引き戻されたようで、笑顔のまま済まなそうに会釈を返してきた。
「もし、カレン殿達に不都合がなければ、我々も同行してもいいですか?」
「こちらに不都合は無いですけど、そちらは急ぎじゃないんですか?」
「いいえ全く」
「……はあ?」
そもそも酒を飲んだ勢いで決めた事のようなので本気度は怪しい所があるものの、それでも行動に移していることから騎士になるための事は多少なりとも考えているのだろう。
だからこそ気になる。私たちののんきな旅路に付き合うだけの時間はあるのかと。
疑問におもってフェルラートの袖を引っぱり見上げてみれば、彼は小さく頷いた。
「年に二度入団試験は行われる。今年はあと一度。その試験日までは後半年はある」
「なるほど」
どうやら気にしなくても大丈夫らしいことはわかったので、知り合いの二人が同行しても私にはなんら問題となる事は無いので断る理由は無い。
思わぬ場所で思わぬ人物らが同行者に加わり王都を目指す事になった。