束縛と幻想と3
ミスティレイの街から暴走癖のある従姉の手綱を取るために飛び勇んできたパーシヴァルだったが、予想に反して従姉はとても真っ当な状態のままであったために、ぽろっと思わず本音を吐いていた。
「どういうことだ? お前、まだ暴走してないの?」
本当に思わずと言っていいほど、うっかり口から零れた言葉はほぼ無意識に発していたものだったために、眉を吊り上げ怒りをあらわにしたクリスティーヌの平手が思い切り彼の左頬をとらえ痛恨の一撃とも思えるほどに軽快でいて痛々しい音を響かせた後、じんじんとしだした頬の痛みを感じるまで、パーシヴァルの思考はやや鈍っていた。
痛みに顔をゆがめながらも、何時もなら怒りにまかせて問答無用で災害が発生するはずが、やはり何も起きていないことを知ると、そこでようやく、クリスティーヌに何か変化があったのかという考えが頭に浮かび、まさかと言う面持ちでパーシヴァルは形の良い眉を寄せて訝しげに従姉を見返した。
「私は日々進化をつづけているのよ。何時までも過去の私のままだと思わないで頂戴!」
本当につい最近まで災害規模の暴走をしていたくせに良く言うよと思ったが、パーシヴァルはとても空気の読める男である。
無駄口を叩いて機嫌がさらに悪くなるとそれこそ何があるかわからないから、無駄口は叩かないに限ると、ぐっと思った事を口から滑らせないように我慢し、事の経緯を互いに話し合って、レオノール一行とそれに同行するクリスティーヌとファルセットと共に迂回路を進む事にしたのだった。
それから三日。
一行は王都を目指してポクポクと荷物満載の馬車の速度に合わせてのんびりと進んでいた。
つい今朝方のことである。
精霊ファルセットの所に遊びに来た精霊が、ミスティレイの街で起こった小さな騒動が終わったと言っていたたと報告をもらったため、もう急ぐ必要は無いと判断して無理の無いように進行速度を落としたのだった。
「それにしてもカレン嬢様々だな」
「……何がよ」
「どうやったらお前をこんなに丸くできたのか、その極意を是非聞きたいもんだ」
「パーシー。貴方私に喧嘩売ってるの? 売ってるのよね? 殴っていいかしら」
「……既に手が出てるんだが?」
口よりも先に手が出ていたクリスティーヌの平手攻撃を掴んで阻止し、そのままぐっと体を引き寄せると、身長差からクリスティーヌを見下ろす態勢になったパーシヴァルは、にやりと悪戯好きの少年の様な笑みを浮かべた。
その表情を目にしたクリスティーヌは、過去の事柄からか、きっとろくでも無い事を言いだすだろう事を予想して、不審な目で睨みかえす。
「何にしても良かったな。これで多少なりとも興奮したところで問題は起きなくなったわけだし、そういった方面でも支障は格段と少なくなったわけだ」
「明らかにろくでも無い事考えてる顔で何よいきなり……」
「これで好きな男にあんなことやこんなことされたとしても相手を傷つける心配は減ったぜ?」
「何よそれ?」
パーシヴァルは少し身を少しかがめてクリスティーヌの耳元でそっと囁いた。
「男と寝床を共にした場合の話さ」
「ちょっ……!? はっ? ……はあ?!」
先日の平手をもらった返礼として、色恋方面には滅法免疫が無いクリスティーヌを大いに困惑させると、パーシヴァルはけらけらと笑って少し歩みを速めて一行の先頭に行ってしまった。
「仲がいいのね、あの二人さん」
「平和ですねー」
様子を見ていたレオノールは呆れた表情を浮かべ、精霊ファルセットは平穏である事を純粋に喜びながら、実に平穏に旅は進んでいった。
だが、残り一泊と少しといった距離の所まで来た時だった。
「あれ? 何でしょうか、あそこ」
「ん? どうした」
ファルセットが何かに気付き、それをパーシヴァルが気付いて何事かと問うと、ファルセットが指示した方向へと視線を向けて目を凝らした。
「……人、か?」
「たぶん、そうだと思うんですけど……」
濁された言葉にパーシヴァルは眉根を寄せて渋い顔をする。
「あと一歩って所でなんだか嫌な出会いだことで。単なる行き倒れなら良いんだが……」
とにかく一度一行の進行を止めさせて、パーシヴァルが様子を見に先行する。
「おい、アンタ。生きてるか? 意識があるなら返事なり身動きするなりしろ」
たどり着いたそこには行き倒れと思われる男が一人地面に突っ伏す様にして転がっていた。
ぼさぼさの黒髪に薄汚れてぼろくなった外套を纏い、背に変わった形をした何かを布でまいて背負っている。
荷物を身につけていることから、物取り似合った様子は無いし、怪我もしていないので何かに襲われたという訳でもないらしいことが見てとれた。
警戒を緩めず腰に帯いた剣を何時でも抜けるよう握りに手をかけて、足の先で軽くつつく様にしながら声をかけてみると、くぐもった唸り声を小さく発して男は少し身じろぎした。
さらにしばしすると、なんとも豪快な音を鳴らしたのだった。
その音はあまりにも大きすぎて一瞬何なのか解らず目を瞬かせたパーシヴァルだったが、男の呟きでその音の正体はすぐに知れた。
「……ごはん」
「は?」
「ないですかぁ……?」
間延びした弱弱しい声がそこで途切れ、倒れた男から腹の虫の音が豪快になった。
「いやあ~。助かりました~」
腹を減らして行き倒れていた男は、出された食事を奇麗に全て胃に収め、食べ終え何も無くなった器を前に両手を合わせて聞き慣れない言葉を唱えると、のんびりとした間延びする口調でへらっと笑って言った。
「やっぱりご飯って大事なんだね~。抜いちゃ駄目だよね~。馬鹿だなぁ俺って。もうこうやって十三回も行き倒れてるのにねぇ~。あれ? 十三回だっけ? うん、多分そんなくらいだよね、数えた記憶はないけけどさぁ~」
行き倒れていた男はあまりにも風変わりな人物であった。
思わず誰もがその男に対して「大丈夫かこいつ?」と突っ込みを入れずには居られない程のゆるすぎる思考に呆気にとられていたが、いち早くその男に突っ込んだのは一行で一番短気なクリスティーヌだった。
「あなた、大変のんきだけれど、王女の関係者だったりするのかしら?」
「王女? 誰それ? あ、この国の王女様の事かな? さあねえ、どうなんだろうね~。俺としては一度もこの国の王女様と関わりあった事は無いけど、知らない間に関係者になってたりするかもしれないし、なってないままかもしれないね~。どうなんだろ? 俺的には関係者じゃないと思うけどな~」
「……なんだか非常にイラッとするわ、この男のしゃべり方」
語尾を伸ばしてだらだらとまとまりの無い離し方をする男に苛立ちを隠さず口元を引きつらせたクリスティーヌ。それを見やり大方従姉と同じ感想を抱いたパーシヴァルは、面倒くさそうに男を見据えた。
「で、あんたは誰だ? 名前は?」
「んー、俺? 俺はねぇ、『ファルセット』って呼ばれてるみたいだよぉ。本名は違うんだけどねぇ、この国の人は、どうも俺の名前の発音が難しいらしいからさあ、言ってもちゃんと聴き取れないらしいんだよねぇ。でさ、道端で突然聴こえた何かの名前だと思うんだけどねえ、それをたまたま口にだした時にさ、どうもそれが俺の名前って事になっちゃったみたいでねぇ、仕方なく名前を聞かれたらその名前で応えてるんだぁ~」
予想の斜め上を行くような答えに皆が皆一様に黙り込んでしまった。
精霊ファルセットだけは、同じ名前を持つ男に興味津々な目を向けていたが。
「……もしかしてこの方、詩人ファルセットではなくて?」
しばらくしてレオノールが言ったその言葉に、へらっとした表情をさらにゆるくしたファルセットと名乗った男は、うんうんと肯定するように大きく頷いた。
「そうそう、そう言われてる~」
「マジかっ!?」
「マジマジー」
「まさかの正解に、言った私自身もかなり驚きですわ」
呆気にとられている一行を気にすることなく、詩人ファルセットは背負っていた荷物を下ろして布を外してゆく。
すると、そこに現れたのはギターによく似た弦楽器だった。
だが、ギターよりもかなり小ぶりで、弦は四本しかなく、音を響かせるための穴は存在していない。
「お礼になんか歌うよ~? 今お金もってなくてさぁ、それしか出来ないって言ったらそれまでなんだけどねぇ」
ぽろんとギターによく似たその楽器をかきならし、へらへらとした表情でほらほらと皆を促した。
「喜劇でもー、悲劇でもー、今なら何だって歌うよー」
じゃかじゃんと何気なく鳴らした音なのに、不思議なほどその音は華やかで耳に心地よいものだった。
「特に要求が無いならそうだなぁ……。恋に不器用な男女が紆余曲折を経てめぐり逢い恋して結ばれる大団円のお話でも歌っちゃおうかなぁ。勝手にね~」
詩人ファルセットはへらへらとした表情をすっと真面目に変えて、大団円となる恋の歌を歌いあげた。
その歌声の凄さに疑いの余地は無く、王都へ向かう予定だったらしいこの風変わりな詩人も引き連れ、また一行は王都へと進み始めたのだった。