束縛と幻想と1
因果の国には類まれなる美女として有名な者が三人居る。
因果の国の王妃とその実の娘である二人の王女である。
妾の子である二人の王女も十分周囲にうらやまれる容姿であるだが、王妃とその娘二人の容姿の前では霞んでしまい、噂にもなりはしない。
その王妃の娘の一人で第二王女となるルーチェレスカはその類まれなる美貌はまるで天使のようだと人々に知られていた。
全体的に全ての色素が薄く、ひと目で人々に与える印象はまさに純白。
混じりのない銀色の長い髪と、まだ発達途上で膨らみの少ない肢体は四肢を巡る血管が透き通って見えるほどの白い肌。幼さの残る丸い顔には翡翠色の大きく美しい瞳が備わっている。
その容姿はいかにもはかなげで、男たちの庇護欲を大いに刺激し掻きたてる。
まさに天使のような少女だと。守ってやらなければならないと。
だが、実際の彼女は決して天使などと言えるような人物では無いと、近衛騎士の一人であるフレデリックはよく知っていた。
彼の王女に対する評価は、ひどく排他的で傲慢な性格の阿婆擦れ、である。
色素が薄い中でも唇だけが異様に赤く官能的で、今その口が一人の男の裸体の上を這いずっている。そんな姿を見れば、決して天使のようだなどとは思うまいと、彼はいつも思っている。
実際のところ、フレデリックの評価は非常に正確で、ルーチェレスカは己の容姿の良さを十分理解した上で、それを利用し、毎夜気に入った男をたぶらかして、その身体を弄ぶのが好きな、悪魔のような娘であった。
気に入ったモノは何がなんでも手に入れようとし、気に入らなければ容赦なく壊す。
そうと分かっていても、幾人もの男たちが彼女に惑わされて囚われるのだから笑えない。
囚われた男たちはルーチェレスカという存在を盲目的なまでに愛し彼女のために尽くそうと奔走する、まさに狂信者となっている。
彼女の周りに侍女など存在しない。
まだ今よりももっと幼い頃には居たが、気に食わないという理由で全員排除されてしまってからは一人も増えはしなかった。
侍女の代わりは容姿の優れた狂信者となった少年たちがになっている。
「ねえ? フェルラートはまだ帰ってこないの?」
寝間着を脱いで一糸まとわぬ姿を惜しげも無く晒した彼女の身体を、世話役の二人の少年が水で濡らした絹の布で全身くまなく拭ってゆく。
彼女の体に傷をつけぬためにと選ばれつかわれているものであるが、絹はそこまで丈夫な代物では無いため、使い終わればすぐに捨てられる。
彼女にとっては些細なことだが、毎日繰り返されているその行為により処分されてゆく絹の布は、国の貴重な財産から出されているのだから、税を納めている市民が知れば激怒ものである。
もし誰かが指摘したとしても、彼女はしごく当然のように、美しさを護るために必要なんだから必用なものよ? とでも言ってのけることだろうが。
彼女の世界は彼女が中心で周っているのだと、彼女は思っているのだから。
「報告では、まだだと」
「そう」
フレデリックの返答は彼女が望んだ答えではなかったが、ルーチェレスカは官能的な唇を半月形に変えて笑みを浮かべた。
「ああ。早く帰って来てくれないかしら」
肌着を着せられ、その上に気に入りの白いドレスを身にまとい、コルセットで細い腰を更に締め上げ細くする。
多少の息苦しさは美しさのためには必要不可欠であるという考えの彼女は、締め上げられる時の苦しさくらいで笑みを消すことはない。
「早く来て、夢でそうしてくれたように、私の"本当の名"を呼んで抱きしめて欲しいわ」
一際うっとりとした表情は、この部屋に居る男たちの本能を容赦なく掻き立て煽る。
だが、誰もがその本能をさらけ出さずに耐え忍び、己の主である少女の言葉に耳を傾けているだけである。
「貴方が居ない所で泣いたりなんてしないわ。だから早く私の下へ帰ってきてちょうだい。愛おしい私だけの騎士」
ルーチェレスカは上機嫌で笑った。
「同情するなあ」
部屋を辞したルーチェレスカの近衛騎士の一人フレデリックは、それなりに整った顔に苦々しい表情を浮かべて呻くようにそうつぶやいていた。
フレデリックは金を積んで爵位を得た成り上がりの男爵家の三男坊である。
二人の兄が居るため家を継ぐ事はまず無いと幼いころから理解していた彼は騎士として生きる事に対して反感など覚える事無く素直に受け入れ騎士になった。
本当は正騎士を目指したかった彼であるが、それは成りあがりの貴族である父にとっては箔がつかないからと言う理由だけで拒まれ、家を継ぐ身の兄や、金を愛する他の家族たちにもなんだかんだと理由つけられ拒まれてしまい、仕方なく近衛騎士になることを決めたのであった。
ルーチェレスカの近衛騎士となったのは、ほんの半年前のことである。
正式に騎士となってすぐに決まった配属であった。
最初は多少の希望や夢なんかもあったのだが、見事にその純粋な思いを打ち砕いた王女に、フレデリックは今ではこれっぽっちも期待などしていない。
こんな王女がはびこっててこの国は本当に大丈夫なのか? とすらまともに考え込む事も少なくは無い。
そんな王女に好かれている騎士フェルラートという存在を、フレデリックは数多い噂からでしか知らなかった。
そもそも正騎士と近衛騎士との友好関係は壊滅的なので、正騎士たる人物の事が近衛騎士の所に正しく伝わってくるはずもない。噂には恐らく沢山の無駄な装飾がつけられ相当ねじ曲がって広がっているものと思われる。だが、統一する事柄は幾つかあるので、それをもってしてフレデリックの中のフェルラートという騎士の存在を把握していた。
正騎士であること。ブレイクニル候ラスティが目をかけている騎士であること。片っ端から女性を骨抜きにするほどの美貌の持ち主であること。
他にも色々と噂はあるが、真実味がいまいちであるため、大よその所はこの三つだけを信じてその人物を想像していた。
「まあ、共通して美貌の良さは飛びぬけていいらしいってことは確かで、だからこそ目をつけられてるって感じなのかね。美貌も善し悪しだな」
自分だったらあんな阿婆擦れに好かれたいとは思わないなと口に出さずにフレデリックは胸の内で呟いたところで、突然周囲が騒がしくなったことに気づいた。
すぐに頭を切り替え騒がしい気配が何なのかを確かめるべく、城の外を見ることができる窓から顔を出して周囲を見渡せば、城の外壁に沿うようにして掘られた深い堀を越えるために作られた跳ね橋の中で最も大きな正門の跳ね橋付近に、遠目でもよく目立つ容姿の人物を見つけて眉根を寄せた。
「ラスティ殿?」
切れ者として知られるブレイクニル侯爵家の若き当主であり、実力主義で知られる正騎士の中でも指折りの実力者としても知られる人物、ラスティである。
まるでお伽話に出てくる人物のような彼の容姿は、遠目と言えどもそうそう見間違うことは無い。
そして、なんとなく不穏な気配が漂っている気がしたため、フレデリックは急ぎ正門へと向かった。
「全く。世話のかかる奴だね君は。私は君のような奴が同胞ということに失望が尽きないよ」
幸いにしてラスティと彼の部下である正騎士達は正門をくぐってすぐの所にとどまっていたためすぐに見つけることが出来た。
表情は一見朗らかに見えるが、ラスティとその部下達が纏う空気は恐ろしく冷ややかで、周囲を安易に寄せ付け無い状態である。
だが、そんな空気を纏うラスティが、フレデリックの姿を見つけると手招きをした。
訳がわからないながらも来いと言われれば行くしかない彼は、ラスティの下に向かった。
「君はルーチェレスカ様の近衛だね?」
「はい」
近衛と言えども制服は一緒で、見分けの目印が刺繍されているサーコートは、正式な場でしか身に付けることがないため現在はつけておらず、そのため一見して誰の近衛であるか判別するのは難しい。
だが、ラスティはあっさりとフレデリックが誰の近衛か理解した上で話しかけて来たようで、その事実に意味もなく冷や汗をかいた。
「彼らのことは知っているかい?」
示されたのは荷馬車。
そこにはよく知る同胞たちの姿があった。
姿が見えないと思っていたヨハンソンを含むルーチェレスカ付きの五人の近衛兵である。
ルーチェレスカを崇める代表格の面々であった。
「ちょっとおいたが過ぎる行動を起こしていてね、ちょっと首根っこひっつかんで縛り上げてきたんだ。悪いんだが、君の主に五名ほど兵が減ることを伝えておいてくれないかい?」
思わぬ内容に顔をひきつらせたフレデリックだったが、同胞たちに目を向けたが、何もいうこと無く素直に頷き敬礼を返した。
「よろしく頼むよ。サー・フレデリック・バートン」
まさか名前まで覚えられていたとは思わなかったため、かつての同胞を引き連れ去ってゆく姿が見えなくなるまでその場を動くことが出来なかった。
「あんな侯爵の側に居るフェルラートって奴は、いったいどんな奴なんだか……」
フレデリックは大きくため息をつき、晴れ渡る空を仰ぎ見た。