代償と束縛と4
ひとまずやや混乱した状態から立ち直った私は、普段よりも若干反応が鈍いフェルラートから不可抗力であるとの言葉を信用する事にして起き上がった。
そんなあっさり信用していいのかと我ながら警戒心の欠片も無いなと女らしさの無さに嘆きはすれども、フェルラートを信用しないという事の方がそもそも私にはありえない事のように思えてならないのだから仕方が無い。
なんせ彼は女嫌いだ。
どんな理由でだかは不明だが、私の側に居る事、触れる事に抵抗感が無いと言っても、平気で夜這いをかけるようなほどに女に対して抵抗感が無いとは流石に思えない。
それだったら何で女嫌いなどと言っているのだって話である。
花町という場所を考えれば多少は男なら抗いきれない何かがあるかもしれないが、だからといっても今かと思うほどに夜這いをかけるにしては今更感がありすぎる。
それに、抱きすくめるなら布団ごとというのは流石に考えにくいし、何より視線を外さずに至極平然と違うと言い放ったフェルラートの態度は嘘をつく男の態度にはまったくもって見えなかったのだ。
男は大抵嘘をつく時視線を逸らすものだから、逸らさない時点で嘘をついていない、あるいはつくにしても理由があるのだろう事がわかる。
何より一番信用できたのは何を隠そう自分自身の体だ。まったくもって普段と変わらず違和感など皆無な自身の体。
だからもう考えるのも問いただす事も必要は無いと思って信用することにした。
もしかして口付くらいは(実際先ほど首に唇が触れたりもしていたくらいだし)されたかもしれないが、その程度なら全然許せる。顔がいいから許せるという特別な許容範囲とも言えるかもしれないけど。
それよりもなによりも、今はさっさとこの寝起き姿を整える事が重要だ。
しっかりと洗髪したわけではないせいで、前日奇麗に梳かしていても髪は残念な事に荒れ放題。梳かしていなければまさに鳥の巣状態だろうから、梳かして寝て起きたこの乱れた髪はまだマシな方というわけなのだが、それを異性に見られると言うのはなかなかもって不本意だ。
しかもそんじゃそこらの男などではなく、今の所私が知りうる限りで最も奇麗な男性の一人である人物に見られているのだから羞恥心は相当だ。
フェルラートは寝起きの私の姿に何か言う事は無いが、それに甘んじていたらなんか色々ダメな気がするので、とにかく身を整えなければと、昨夜のうちに準備しておいた普段着に手をつける。
「……廊下に出ている」
察しの良い彼はくわっと一度大きなあくびをしながら立ち上がると、ややのんびりとした足取りで部屋を出て言った。
出ていく時に、何故か左腕をさすっていたような気がするが、腕が私の下敷きになってしびれたりでもしたんだろうか。
そうであったら大変申し訳ない。いや、そもそもそれだったら抱きすくめたのはなぜだという話になるので、頭を軽く振ってよぎった考えを振り払う。
互いに着替えを済ませて身なりを整え終え、朝食をとりに宿の一階に下りる。
大抵どこの宿屋も一階は食堂または酒場になっているので、相当にそこの食事が不味く無いかぎりは泊まった宿で朝食を取る者が多い。
この宿の食事は食べてみてわかったが、凄くうまい訳では無いが不味くも無い物。温かいもので腹を膨らませる事が出来るという風に考えれば十分な量の食事がなかなかの安さで得られると言う意味では合格と言える味である。
正直な所を言えば、私もフェルラートもそれなりに舌が肥えている方なので味に満足はしていない。
私は日本で育った記憶があり、その時の食事の美味しさを記憶していてその美味しさに慣れている。なんせ世界でもトップクラスの美食の国の日本の食事は、この世界の平均的な食事の上手さの水準を遥かに上回るものなのだから、舌が肥えているとしか言い様が無い。
フェルラートもまた、彼の上司である上流貴族のラスティとともに食事をする機会が多いためか、高級な食材で作られた美味しいものを食べる機会が多いのだからそりゃあ肥えるというものである。
だが幸いにも、味に妥協はできるくらいには、甘やかされた生活を送ってはいなかった。
私はなんてったって田舎育ちで淡白な味付けしか出来ない生活環境でこの世界では育ってきたわけだし、フェルラートも仕事上、十分な食事が出来ない事もあれば、硬いパンに冷めたスープをすすれるだけでも上等だと思える生活をする事もあるから、妥協も我慢も大した労力は必要ではないのだ。
しかし、そんな縛られる状況ではない今でも、やむにやまれぬ理由というか、至極単純で馬鹿らしいが深刻な理由があってそうせざる負えなかったというのが正しいのだが、それでも妥協してこの食事を取る事には意味があった。
下手に外に出て無意味にフェルラートが女性に絡まれたら食事どころでは無くなるからだ。
無論、私が美味しくない食事は嫌だと言えば彼は自分がどんなに嫌な思いをしても別の場所で食事を取ることに承諾してくれはするだろう。
だが、同行者が大変嫌な思いをしているのがわかっていて外で食べに行くのでは、美味しい食事もおいしいと感じるとは思えない。なので妥協は必要だった。
すごく美味しいとは思えずとも、嫌な気持ちは極力感じない場所で食べることが出来るのなら、それはそれで悪くはないと思うものだし。
さすがに花町なだけあって、夜が遅い分、早朝は人の出入りが極端に少なく静かで平穏だ。
この宿は一般の宿なのだが、それでも私たちよりも早起きな客はいないので、私たちはとても気楽だった。
「あんたら夫婦かなんかかい?」
厨房から出て来た宿の亭主が言った。
「いいえ。旅仲間って奴です。残念ながら恋仲でも無いですね」
唯一及第点と思えるカボチャのスープをスプーンで口に運びながら亭主の問に答えれば、酷く微妙な顔をされた。
「なんだい? 恋仲でもないのかい?」
最後のひと掬いを口に入れて飲み込むと、微妙な表情の亭主に苦笑いを返した。
「まあ、気心の知れた相手ではありますからちょっと放って置けなくて」
「ん? あんたのことを放って置けないんじゃなかったのかい?」
「私なんて平凡な見た目の女ですから特に危険じゃないですよ。こっちの方が放っておいたら危険です」
向かいに座るフェルラートを指して言えば、暫く亭主は無言で私とフェルラートを見比べていたが、どうやら答えが出なかったらしく首を傾げた。
「彼は最高級の花。美味しい蜜をたっぷり持ったね。だから、放っておけば蝶だなんだと沢山女性が群がって来ちゃうんですよ。そんな彼を下手に一人部屋になんてなれば夜這いかけられたりなんて、ありえそうじゃないですか。流石にそれは彼には酷ですよ。女嫌いなのに」
「……女嫌い? その顔で? その成りで!?」
目を丸くして驚く亭主の様子を少し面倒くさそうに見つめていたフェルラートは、ふいっと視線を外して席を立った。
「先に戻る」
「あ。うん。わかった」
すたすたと席を離れ階段を上っていく姿を、私と宿の亭主は見送った。
「女嫌いねえ……。えらく別嬪さんだが、気難しそうな御仁だ」
肩をすくめてやれやれと首をふる宿の亭主に苦い笑みを返す。
「あの容姿のせいで色々あったみたいなんで、仕方ないかなと思いますけどね」
「違いない。スープのおかわりはいるかい? 客がまだいないからおまけしてやるよ」
「いただきます」
気前の良い亭主からカボチャのスープのおかわりをもらって、ゆっくりと口に運んでその味をまた堪能した。
「でもやっぱり、どうして私は大丈夫なのかしら。まあ、考えてもわかりそうに無いって答えしか出ないのだけれど」
部屋に戻ったら、既にフェルラートは準備を終えて待っていた。
私の戻りが少し遅くなったことなど気に止めた様子も無く、ベッドに横になってのんびりとしていた。
私の準備もほとんど昨晩のうちに終えているので、外に出していたものをしまうだけで準備は終わりだ。
「買い足す物は水と食料くらい?」
彼はこくりと頷いた。
宿を出れば、先ほど食事を取っていた時よりも外に人が出てきているようで、少しざわめきが大きくなっていたが五月蠅くは無く、程良い静けさがまだ残っている。
音も朝の支度に忙しい一般人達の起こす音の集合体なので、なんともすがすがしいものばかりである。
流石に昨日は外に出ていた時間帯が悪かったなと改めて思った。
普通に歩いていただけでも色々と聞きたくない音が沢山あったので、この静けさは有りがたい。
フェルラートもまた、無駄に纏わりついてくる女性が居ないので楽そうである。
だが、町の出口を目前にして足止めをくらった。
コルセットで締めあげた腰は細く、これでもかと誇張するように押し上げた胸はドレスからはみ出そうなほどに大きくふくらみ、男を魅了するために編み出されたと思われる濃いが色気は十分に引き出す化粧をした私とそう変わらない年齢の女性が、フェルラートの腕を引っ張って止めたのだった。
なんだか見覚えのある感じがしたので、もしかすると昨日言い寄って来た女性の一人かもしれない。
艶のある猫なで声で、まさに猫のようにすり寄ろうとする彼女に、フェルラートの表情は一気に冷やかになっていくが、そうさせている本人は気にならないらしい。
側に居る私の方がはらはらして心臓に悪かった。
彼女の身の安全と、フェルラートの心の安らぎの事を考えて、私は仕方が無いと割り切って、フェルラートを掴んで居た彼女の手を剥ぎとり、二人の間に体を割りこませた。
「私のモノにちょっかい出さないでくださいますか?」
突っかかられてもすぐに逃げ出せるように、フェルラートの腕を掴んでおき、女性が何かを言いだしそうな所でさっと体をずらして出口に向けて足をはやめた。
「ちょっと!?」
驚きの声をあげる女性に内心失礼な態度を取った事に小さく謝りつつも、町からさっさと出た。
暫く歩き、町が見えなくなってきたかなと言う頃合いでフェルラートの腕を掴んで居た手を離して振り返れば、フェルラートがどこか不思議そうな表情で私を見つめ返してきた。
「自分は何時の間にあんたのモノになったんだ?」
物凄く真面目に聞かれて、私は思わず顔が引きつった。
「あれはでまかせ。冗談だよ。当然でしょう? フェルが私のモノだなんて、ありえない」
「そうなのか?」
「そうでしょう?」
「嫌では無いのだが」
「……は?」
あまりの発言にぽかんと見返してしまった私だが、それこそ冗談だろうと思って軽く笑えば、未だ真面目な表情のフェルが言った。
「今後はそうやって断れば楽になるだろうか」
「ならないからヤメて。私はまだ女の恨みで後ろから刺されて死にたくは無いわ」
「問題ないだろう? 魔石もあるから」
問題大ありでしょう。
フェルラートってやっぱり良くわからない。
頭痛がしてきそうな頭に手をやれば、いかに女性を寄りつかせないようにするかを真剣に考え出すフェルラートの様子を見て、思わず身に着けていた魔石のブローチを地面にたたきつけそうになったが全力で我慢した。
これが無くなった瞬間、本気で殺されるかもしれないと思ったら手放せなかったとも言える。
私はつい先ほどの過去を塗り替えたいと思いつつ、自分の都合の良い方向に私をつかおうと考え出したフェルラートを恨みがましく睨みつけた。
朝の事はやっぱり怒っておくべきだったかもしれないと、先に立たなかった後悔を今更する羽目になったのだった。