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めぐり逢う恋  作者: 茶とら
第二章
31/47

信頼と代償と

「他に意見等ある方は?」

 周囲をゆっくりと見渡して何も無い事を確認し、内心ほっとした事を表情に出さないように注意しながら小さく頷いた。

「それでは、何もないようですので本日の打ち合わせを終了させていただきます。ご苦労様でした」

 席についていた者達が一斉に立ちあがり、今度こそ安堵の息をひとつついた。

 プレゼンの内容を投影していたプロジェクターのスイッチを切り、打ち合わせ中に訂正をしたデジタル資料を保存してパソコンを終了させる。

「先輩。お疲れ様です」

「お疲れ様。結構指摘は出たけど、なんとか方向性としては大きな問題はなかったから良かったわ」

「はい! 先輩に凄く沢山ご迷惑おかけしたので、無事に次の工程に進めそうでもう本当に良かったです!」

 私は喜ぶ後輩の笑顔を見て思わず笑みが零れた。

「じゃあ後はお願いね」

 自分の荷物を持って会議室を出てから、真っすぐに自席に戻ってそれを置いて座ると、途端に空席となっている真横の席が気になってしまう。

 打ち合わせは週に幾度もあり、その打ち合わせの前後には、どうしたってその席に座っていた頼りがいのある先輩の事を意識してしまうのは、私の悪い癖だ。

 ほんの一月前。

 そこには入社当初に教育担当として私の面倒を見てくれた先輩が居た。

 仕事ができて、スタイリッシュでカッコ良くて、厳しくてちょっと怖い所もあったけど、優しくて頼りになる先輩だった。

 男性社員が多いこのIT業界で、男性社員などものともせずにバリバリと働く女性社員と言えば怪訝な顔をする人はきっと多いだろうけど、私はそうは思わなかった。

 いつか私もこの人の様に仕事ができたらなと憧れていた。

 だから、突然にこの世から消えてしまった先輩の穴は、とてつもなく大きいものだった。

『月下さんが昨日、亡くなられたそうだ』

 あの言葉は今でも頭の中にこびりついて消えてはくれない。

 驚き目を見開いて絶句する人は多く、私も頭の中が真っ白になってその場から暫く動けずに居た。

『過労が原因だったそうだ。それを受けて、勤務方針を改善する必要性が出てきたため、方針が決まるまでは定時退社を厳守となった。客先にはその旨連絡が行っているが、工程の見直しは必要となる。それらが決まり次第再度皆に連絡するので、今日は今まで通りに作業を進めてくれ』

 厳しい表情を浮かべて言われた部長の言葉が何度も何度も頭の中を駆け巡る。

 突然地面が消え去ったような感覚に襲われてふらつき、机に手をついて身体を支えても、まだその感覚を抑えられなかった。

『すまないか、月下さんの持っていた作業の確認をしたいから、急いで洗い出しを行ってくれ』

 部長に肩を叩かれてやっと意識が現実に引き戻されて、私は小さく頷きながら席に座って、のろのろとキーボードのキーを指で叩いた。

『こんなにあるのか!?』

 まだ事実をとらえられないながらも先輩の作業をまとめた資料を部長に提出すれば、部長は呻くように悲鳴じみた声をあげた。

『恐らく細かいものを含めればもう少しあると思いますが……』

『まだあるのか!』

 顔色を悪くした部長は、先輩に指示を出していた課長を呼び出しカンカンに怒っていた。

 私は早々に席に戻って、重くなった身体を椅子の背もたれにかける。

『月下先輩の作業量って、ざっと見た所だと何人分の量なの?』

 丁度私の真後ろの席に座る同期がこっそり聞きに来た。

『五人月くらい』

『はあ!?』

 人月とは一月に何人でこなせる内容かを表す単位だ。つまり一月に五人がいないと終わらない仕事を先輩は一人でこなしていたと言う事を意味している。

 自分でもそれには驚いたのだ。

 重複しまくるスケジュールを、先輩は一体どうやってこなしていたんだろう。

『そりゃあ過労死するわ……』

 同期の率直な感想に、私は無力感を感じずにはいられなかった。

 あれから一月。

 課長はつい一週間前に自主退職という形で会社を去って行った。

 詳しい事はわからないが、あまり技術的な内容を理解して居ない課長がとってきた仕事は無茶苦茶な作業量とスケジュールだったらしく、それをなんとか少なくしていたのが月下先輩を含めた幾人かの先輩達だったらしい。

 部長にも進言していたらしいのだが、その内容を軽く見ていた部長は課長に注意を促すだけの対応しかとっていなかったようで、部長もまた降格と部署移動となって地方に飛ばされたらしい。

 仕事はそんな事が起きても関係は無く進めるしかなく、先輩の作業をなんとか振り分けて進める事になった。

 不幸中の幸いだったのが、先輩の作業は全て引き継ぐ事を考えて、多少なりとも引き継ぎ用の資料が残っていたことと、客先との間柄がとても良好だったこと。

 先輩はどこまでも素晴らしい先輩だったのだと痛感した瞬間だった。

 席を立って休憩室の横に設置されている自販機で紅茶を購入してから外へ出る。

 会社から歩いて五分の所にある噴水広場で購入した紅茶の缶の蓋を開けてゆっくりと喉を潤す様にして飲んだ。

 私はコーヒー派だが先輩は紅茶派で、先輩が居なくなってからは私はずっと紅茶を飲むようになっていた。

 少しでも長く憧れていた先輩の記憶を残しておこうと思ってそうし始めたのが既に癖になりつつある。

 この噴水広場でも先輩との思い出は多い。

 オフィスでは仕事の、そこから出ればそれ以外の事をと、きっちりと話す内容を切り替えて話していた先輩が、ふとした拍子に言っていた言葉を思い出した。

『仕事はできても男は出来ないんだよね。男はみんな、自分が守れる弱い子を選んで好きになるからさ』

 ふうっと息をはいて目を閉じる。

 苦い笑みを浮かべて、どこか投げやりな雰囲気で先輩は言っていた。

『どこかでこうさ、突然めぐり逢ったりしないもんかなって思うんだよ。仕事ばっかの生活だと、自由なんてほとんど無いからさ』

 噴水の音が静かに私の鼓膜をうって、沈みかけた心を少しだけ癒やしていく。

(この世に生まれ変わりと言うものがあったなら、先輩はもう生まれ変わってるのかな)

 子供じみた考えだとは思っても、そうあってほしいと願わずにはいられない。

(もし生まれ変わっていたなら、どうか今度は、先輩の思うような幸せを手に入れられますよう)

 紅茶を全て飲み干し、ゆっくりと腰をあげる。

「素敵なめぐり逢いがありますように」

 先輩のために私はもう何もできないから、出来ないからこそ心からそう願うしか無かった。

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