始まりと旅立ちと2
「お母さん! ロズリーとちょっと町まで行ってくる!」
畑で仕事をしている母に声をかけると、あら、珍しいと驚きはしたものの、あっさりと構わないと言ってくれた。
「今から行けば帰りが遅くなるでしょうから、町で泊まってらっしゃい。いくら狩りで暗闇の中を歩く事に慣れて居るからといっても、夜遅くはやっぱり危ないのだから」
「うん。わかってる。今日は町に泊まって明日の朝帰ってくるね」
町までの道のりは村の傍にある森に比べれば、それほど危険ではない。
寝床はそもそも森の中であるし、態々人の居る場所に出てまで食料を調達しなければならないほど食べる物に困る様な場所でもないから、夜に獣に襲われる事は少ないのだ。
ただ、夜の獣は危険な奴が多いし、魔物も夜に出る事が多いので、慣れて居ても必要が無ければ夜外に出ないに越したことは無い。
私とロズリーは使い慣れた弓と矢を込めた矢筒と短剣を装備し、万が一の為の軽食と水も持って村を出た。
幸いにして、町までの道のりでは危険な獣に遭遇したりすること無く安全で、顔見知りの門番に挨拶をして町へと入った。
「あの門番、嫌いだ」
「ん? どうして? 何時も元気よく挨拶してくれるから良い人そうな人じゃない?」
「姉さんは知らなくていい。でも、俺はあの門番が嫌い。それだけ」
なんだか少し不機嫌になった弟の様子に内心首をかしげながらも、騎士と会ったと言う町でも最も大きな宿屋兼酒場にやってきた。
「居た。あの人」
入ってすぐに目的の人物は見つかった。
実はこの世界に産まれてこのかた、産まれた村とこの町以外の場所に行った事が無い私は、騎士と言う存在は知っていても実物を見た事が無かった。
だから、一目でわかるはずが無いだろうと覚悟をしていたのがけれど、その期待を見事に裏切ってくれた。
「おや。君は今朝方お会いした少年だね?」
(何この日本の恋愛漫画や小説の絵から飛び出て来たようなキラキラオーラ全開の奴は!?)
正直に言おう。
漫画や小説から飛び出てきたようなキラキラ人間は、実物として目にすると、単に目が痛くなるらしい。
少女漫画を舐めていた。
出来れば本当に実写化しないでもらいたい。色々な人の為に。
「姉さん?」
一瞬意識が飛んでいたらしい。弟に袖を引っぱられて意識が覚醒すると、やっぱり目の前にはキラキラした人間が、やや想像よりも質素だが騎士らしい恰好をしているし、ブーツにはしっかり黄金色の拍車(馬を操る時に使う補助具)がついている。
テーブルに立てかけている剣と鞘にも凝った細工の模様が描かれているので、先ず間違え無く騎士なのだろう。
本に書いてある通りであればだが……。
「今日は、レディ」
目に痛いキラキラをどうにかしてほしいと思いながらも、颯爽と足音を立てずに歩いてきたその人物は恭しく起礼を取った。
明らかに身分が下だとわかるのに、彼の内面はどうだか知らないが、外面は完璧な紳士のようだ。
ちょっと圧倒されながらも、とりあえず挨拶を返す。
「あの、どうも今日は。私はカレンと申します。……えっと、騎士のラスティ様でいらっしゃいますか?」
騎士はどんな身分の人間だったとしても、騎士となった瞬間に男爵位がつくので、一般人は騎士相手に様を付けるのが通常なので、私もそのように対応する。
なんて面倒くさい! とは言いつつも、客先に対して様を必ず付けるようにしていた過去があるので、当時を思い出し外向けの対応と同じくやればいいと思えば案外楽だったりする。
怖いほど切り替えが早いのだと周りは言うが、あまり自分ではわからない。
「いかにも。私はラスティ・ブレイクニル。王宮騎士団団員です。この町への巡回では隊長を務めさせてもらっています。それで、私に何か?」
「今朝方、弟が貴方の従者にならないかとお誘いを受けたとか。そのお話を詳しく聞きたいと思いまして、家族を代表して姉の私が来させて頂いた次第です」
「ほう。姉君が来るとはまた新しい」
なんだか道化師を相手しているよな感じがした。
顔が良いから笑って居れば大抵の事は丸くおさまるのだろうけれど、目をまともに見て話した私は、その目が笑っていない事に気付いて正直怖くなった。
(まだ獣を相手にしている方がマシなんだけどっ)
内心そう叫びつつも、弟の為には詳しい話は聞かなければならないから、じっと見つめ返される目から顔を逸らす事も出来ずに暫く無言で立っていると、ふっと、その目が和らいだ。
一体今のは何だったんだろうか。
「ロズリー君だったかな? 君も面白い子だと思っていたが、君のお姉さんも中々だね」
「……は? はぁ」
よくわからずロズリーが相槌を打つと、突然後ろから声が降ってきた。
「隊長。入り口で女性をたぶらかすのはやめてください。迷惑です」
「でも女性は男というか少年連れ。趣向変わりましたか? 隊長」
最初の声はとにかく冷やか。
続いた声はハツラツとして陽気なものだった。
振り向けば、声に相応した外見をしていて、こうも声と見た目が一緒な人間っているのかと驚いた。
繊細な氷細工のような冷やかな繊細な外見で、整い過ぎているがゆえにしかめた顔が大迫力で怖い男と、ニヤニヤとした笑みを浮かべて、騎士服を上手く着崩し着こなしている陽気な風貌の男だった。
二人とも、青年と呼ぶにはまだ早く、少年と呼ぶには少し年かさのように見える感じだ。
「酷いな二人とも。その言い様だと私がまるで節操無しのたらしのようじゃないか。私はどこでも何時でも女性を口説いているわけではないよ?」
「貴方の場合は天然ですからね」
「天然たらし。まさに隊長にぴったりの言葉ですね」
「お前達ねぇ……」
大きくため息をついて肩を落としたラスティは、すぐに姿勢を改めて私とロズリーに顔を向けた。
「奥に私達の席があるのでそちらへどうぞ。そこで弟君について詳しくお話しましょうか」
「あれ? 本当に口説いていたんじゃなかったんですね」
「……明日は雨か?」
「ほんと、お前たちは……」
ラスティは二人たちに悪態をつきながらではあったが、ともにカウンター席にほど近い奥の席に向かった。
「では、改めて。私の名はラスティ、そしてこの冷徹面のがフェルラート、馬鹿っぽい顔をしてるのがパーシヴァル。二人とも元は私の従者で、今は、騎士っぽく見えますが、残念ながらまだ騎士見習いです。あと数カ月だけですが」
「……はあ」
一気に砕けた物言いに躊躇った声でしか返せなかったが、後から現れた二人は騎士になるまであと数カ月と言う事はまだ十七と言う事なのだろう。どうやら私よりも年下だったらしい。
実年齢を聞かなければわからないくらいに堂々とした風格があるから驚くしかない。
服装もよく見れば、ラスティの服とはやや異なり、胸に王国のエンブレムがついて居ないし、拍車もまだ付けて居ない。
腰にはいた剣もやや質素である。
だが、そこで疑問があった。
「従者ではなく、見習いですか?」
「ええ。この子らはちょっと特殊でしてね、十六になった時に騎士としての資格を得ているんですよ。でもほら、一般的には十八から騎士としては名乗れませんから、仕方なく見習いとして私の配下で働いてもらっているわけです」
「そんな事ってあるんですか?」
思わずロズリーが身を乗り出して聞き返すと、いやぁ、新鮮だなあとロズリーの頭をラスティは大きな手でくしゃくしゃと撫でた。
「だから特殊なんだよ。この子らは私の従者になった時から変わっていてねぇ。剣の腕は立つし魔法も恐ろしく制御が上手い。フェルラートに至っては、弓の腕なら騎士団一だ」
「それが特殊なんですか?」
「否。それらは出征するのに優位に働いたに過ぎなくてね、一番の理由はうちの騎士団長なんです」
「団長さん、ですか?」
「完全実力主義を通す方でして、まあ、変わった御仁なんですが、その団長が私の所に遊びに来た時に、この二人をいたく気に入りましてね。実力もあるし、一般教育も私の所で一年間みっちり教えて居たのもあって十分身についていたので王太子殿下とも年齢が近いから友人としておくのに丁度よさそうだってので、色々な物が災いしました」
大きなため息をつくラスティとは目を合わせようとせず、無言で夕食にありつくフェルラートとパーシヴァルの二人。
その行動は面白いほど息が合っている。
見た目は見事に対照的なのに。不思議だ。
「そこで色々ありまして。まあ、正直に言うと殴り合いもしましたとも。私の従者を何だと思ってる! ってね。でも、結果的に優秀な従者を団長にかっさらわれまして、気付けばもう騎士としての称号は与えているから、それまでお前の所で匿えって、つい先日今度は押しつけるようにして二人を見習いとして預かる事になって今に至ります。もう、やってられません」
「私達に文句を言わないでください。でも、殴り合いは思った以上に接戦で驚きました」
「そうだそうだー。悪いのは団長殿だ。俺たちじゃあない。つか隊長って、見た目で周りを騙しすぎですって。なんですか、あの団長の腹を抉る様な鉄拳。もう詐欺に近いっすよ」
そっぽを向きながら小さく文句というか賞賛と言うか微妙に野次っぽいというか、二人の妙な言葉に思わず噴き出して笑いそうになったが、隣で話を聞いているロズリーは複雑な表情で三人を見ていたので、笑いは堪える事にした。結構辛かった。
「では、二年前に手放した従者というのはお二人なんですか?」
「そうです。ああ、私は書類を見たり書いたりするのが面倒で嫌いなのに、頼めばしっかりやってくれる優秀な従者が二人とも掻っ攫われた挙句に性格がひんまがって帰ってきちゃって、もう私は何度書類の山に埋もれて泣いた事かっ!」
まるで舞台の上の王子様がお姫様に愛の告白をするがごとくの様子で、至極どうでもいい嘆きを大っぴらに言っているというのは、実にしょうもない光景である。
とりあえずわかった事は、このラスティという騎士は面倒な事が嫌いで、それをやっていた従者だった二人を取られてしまって雑用をしてくれる人が居なくなって困っているから、騎士になれるようにするのをおまけに雑用をやれと言っているような気がしてならない。
絶対、雑用をやってほしいと言う願いの方が比率が高いに違いない。
見た目が完璧なのになんて残念な性格をしているのかと思わずには居られなかった。
そして、その人にロズリーを本当に任せていいのか物凄く悩むに至る。
悪い人では無いと言うのはなんとなくわかったのは良かったが……。どうしたものか。
無言で呆れる私に気付いたのか、フェルラートとパーシヴァルの二人が初めて話題に口を出した。
「変な人ですが、腕は立ちます」
「平時は見た目しか使えませんが、有事では有能な人ですよ。家柄も良いですし」
全然褒めてない気がするのは気のせいだろうか?
でも、ツッコミどころ満載な話ではあったが、騎士団長と張り合えるだけの実力者っぽい(あくまで拳で張り合った感じではあるが)し、決して無能な人ではなさそうではある(事務処理は凄く苦手そうだが)し、家柄もよさそうではある(これだけは見た目相応そう)から、騎士団に全く伝のない今の環境で遊ばせておくよりも、ちょっと大変そうというか気苦労が多くなりそうな気が大いにするが、彼の従者にしてもらうのは十分ありな気はする。
幸いにして、フェルラートとパーシヴァルという少年二人とは交流はありそうだから、面倒を見て欲しいと頼んでおけば、見てくれそうな気もするし。
「ロズリー。貴方が本当に行きたいなら、行ってもいいわよ」
「「「「……えっ!?」」」」
ロズリーだけでなく、ラスティ、フェルラート、パーシヴァルの四人が四人とも声を上げて驚いた。
「若い内は苦労を買ってでもしろと言う言葉があるの。ちょっと大変そうではあるけど、悪くはないと私は思うわ」
そこで、フェルラートとパーシヴァルの二人に笑顔を向ける。
「お二人はラスティ様とまだ交流がおありになるのでしょう? それなら、是非弟の、ロズリーの面倒も見てやってくれないでしょうか?」
絶対に断ってくれるなと気迫を込めた笑みを作った努力が実ったのか、二人はやや躊躇いがちながらも頷いてくれた。
「ラスティ様。すみませんが、一筆書いていただくことはできないでしょうか? 父と母を説得するのに必要になると思いますので」
慌てたようにラスティが頷いて、側に居た給仕に紙とペンを持ってくるように言い渡す。
ロズリーは驚いた表情のまま私に言った。
「いいの? 姉さん」
「ええ。だって、なりたいんでしょう? 騎士に」
「そうだけど……」
「何か不満があるの?」
「……無い。何にも無い。……だから、困ってる。本当にいいのかって」
「後悔先に立たず。とにかくやってみなさい。これがいい結果かどうかはわからないけど、本当に騎士になりたいと思っているなら、何が何でもなれるように努力すればいいのよ。そうでしょ?」
ロズリーは決心したように頷いた。
頷いた後に見せた表情は、何時も見ていた夢に向かって頑張っている時の表情。
うん。その表情が出来れば大丈夫だ。
ラスティが一筆書いた紙を受け取り席を立つ。
一緒にラスティが住んでいるという屋敷の場所を書いた紙も貰い、ロズリーは大事そうに懐にしまった。
「ところでカレン君。女性に聞くのも野暮だとは思うが、どうしても気になるので尋ねるが、君は一体何歳だい?」
「十八です。もうすぐ十九ですけど。それが何か?」
(記憶の中の年齢を含めれば五十近くにはなるんだけどね)
そう思いつつ答えた所でラスティの動きが一瞬固まったように見えた。
それは本当に一瞬だったので確かではないけれど。
「いや、何でもない。ちょっと私の中の女性像を改めなければならないなと思っただけだよ。気にしないでくれ」
すぐに微笑んで返してくれたが、なんだかその笑みがぎこちないように思えたのが気になった。
「では、王都で待っているよ。ロズリー君」
「はいっ!」
この出会いが私の人生を変えるものであるとは、この時まったく思いもしなかった――――。