迷いと信頼と1
ミスティレイの街を早朝に出発した私たちは、次に目指す町に向かっていた。
馬で早く王都へ向かった方が良いのではないかと言ったが、これにはフェルラートがかたくなに首を振って拒否をしたため、徒歩での進行である。
レオノール達の事は、私たちが追手を足止めできたことで心配する必要がなくなった事だし、何かあっても後追いしたパーシヴァルがどうにかしてくれるだろうということで、その件で急ぐ必要が無いのは確かだ。
だが、フェルラートがあえて徒歩での進行を選んだのか、その理由が不明であった。
早く到着することで何かあるのだろうか。
訪ねてみたら、非常に不快そうな表情でただ一言呟いた。
「……女は嫌いだ」
敬語は不要だと言う事で、比較的素に近い状態で話す様にした私は、逆にフェルラートが私に対して使う敬語もやめて欲しいと頼んだところ、最初に森で話したときと同じように、結構なぶっきらぼうな話し方に変わった。
そのため、その不快そうな感じは一層わかりやすくなっており、思わず顔が引きつりそうになる。
「えっと……私も女なんだけど?」
「あんたは別だ」
「はあ……?」
なかなか不可思議な回答である。
ギリギリ女性関係で何か嫌な事がありそうだと言う事だけは理解できたが、真相は謎だ。
フェルラートの女性嫌いには、どうも一定の基準があるようで、自分はその女性嫌いの範囲に入っておらず、クリスティーヌと私の母親もその範囲には入っていないようで、いたって普通に会話が出来る。
奇麗過ぎるお顔の壮絶なまでの冷やかで凍てついた視線を浴びせられる事はないのは幸い中の幸いだ。
奇麗な顔は、良くも悪くも表情全てが大迫力になるから面倒だ。
ちなみに妹のリズについては、直接会話した事がないため不明である。
ちょっとその辺りを聞いてみたい気もするが、そこまで親しい間柄では無いと思うので、聞くに聞けない。
ラスティやパーシヴァルなら真相をしっているのかもしれないが、彼らとて特別親しいわけではないので、本人に聞くのと大差ない。
弟のロズリーとは縁がある人達なので何時かは、そういった話も聞けるぐらいに親しくはなれるかもしれないし、その時期が来たら聞いてみたい内容であった。
フェルラートとの旅はまだ始まったばかりではあるが、いたって良好な関係で進んで居ると言えた。
なんだかんだ色々と気苦労はあったが、クリスティーヌとファルセットとの旅は良かった。
だが、女二人に少年の容姿の精霊が一人という旅は、実力自体は決して劣ってはいなかったはずでも、女こどもは侮られる事が多く、どこか心もとない所があった。
それこそ凄く気にするほどの事は起こってはいないものの、物理的な力は明らかに不利な構成の三人での旅は、どこかいつも必要以上に緊張してしまっていたのだと、こうしてフェルラートと共に旅をし始め、初めて気付いたものである。
人を護る事に特化した騎士であり旅慣れたフェルラートとの旅はとても快適だ。
男性一人いるだけで、これほど旅が楽になるとは思いもしなかったというのが正直な感想である。
単に荷物を持つ配分だけでも、私の負荷が恐ろしく少なくなるし、必要な警戒は全てフェルラートが行ってくれるため、精神的にもとても気が楽なのだ。
騎士様さまである。
「そう言えば」
フェルラートが何か思い出したように私に言った。
「あの霧の中、どうやって敵を倒したのか聞きそびれていた」
ほんの一日と少し前の出来ごとだった。
初めて人に武器を向けて、初めて人に命を狙われたあの日は、きっと一生忘れることはないだろう。
今でもまだその恐怖はある。だが、一番怖くてどうしようもなかったときに、彼が側にいてくれたことで、思いのほか心は軽く、あの時の事を思い出して話す事に、あまり躊躇いはなかった。
「大したことはしてないんだけどね」
濃い霧の中、視界に移るのはその霧以外に何もなく、わかるのは人の気配だけ。
森で獣や魔物の気配を探るのに慣れていたので、ある程度であればその気配をたどって行動するのは難しい事では無かった。
そして、何処に何があるのかを事前に知っていたこともあり、距離感がしっかりとつかめていたのも良かった。
「相手がいるところは気配で大体掴めていたから、その大まかな範囲に向けて矢を放っただけ。矢は魔法で作った物を使用してね」
「魔法で作った……矢?」
「うん。そう」
やや驚いた様子のフェルラートに、また私が何か変わった事を言ったのだろうかと少し焦った。
別に出来ない事をやったわけではないから焦る必要は何もないはずなのに。
私の当然が世の中では当然とは言えない事が、旅をして多くの人と接するようになったことで、より明確になって、時折それで怖くなる事もある。
何れ自分の日本人であったころの知識を使った事で、この世界にとって良くない方向に使われてしまうのではないかと思う、得体のしれない怖さだ。
ただの私はただの平民で、平民であるからこそ、そんな大げさな事は起きないと思ってはいる。
だが、万が一を考えると、どうしても怖くなる。
しかし、先日のように自分にとても厳しく律する彼ならば問題ないだろうという気がするので、すこしためらった時間で間が開いてしまったが、正直に答えた。
「魔法では、炎や風といった手でつかめないモノ、物理的に触れるのが難しいものはあるけど、砂や水なんかは触れられるでしょう? そういった触れられるモノを矢の形にして使っただけ」
「そんな事が出来るのか?」
驚く彼の言葉に私は頷く。
「最初は私も魔法というだけで、作りだしたモノに触れられるか知らなかったんだけど、試しに氷を作りだして、作ったそれに触れたらただの氷だった。もちろん魔法で作るものだから例外もあるけど、水を氷に変えたり、砂を石に変えたりっていう、ただ自然にあるモノの形を変えるだけなら、普段私たちが手にして感じるモノとまったく一緒ってことなんだよね」
「……そんなことは全く考えた事もなかったな」
魔法は本当に沢山の種類があるが、色々な書物を見て私が身に付けた魔法の基本となるのは、今あるモノの形を変えてそれを扱う魔法であった。
そういった魔法を扱う上での魔力という力は、自然にある力をどれだけ自分の思い通りに、どれだけ自分が作りだしたルールに従わせることが出来るか。その力の強さである。
魔力が弱い私は、すなわち自分の作りだしたルールに従わせる力が弱いということ。
たとえるなら、魔力の強いクリスティーヌは一万人居れば一万人全員を思い通りに出した指示に従わせる力を持っているが、私は一人、よくても片手で数えられる程度の数しか指示に従わせる事が出来ない。そんな感じである。
だからこそ、その弱い力を最大限に発揮できるかを考える必要があった。
そのきっかけが、魔石に弓を仕舞う時であった。
矢は消耗品なので、どうしたって何時かは底をつく。
無限に作り出せれば楽なのだがと悩んだ時に、魔法で作りだしたモノを使えないかと言う考えが浮かんだのである。
自然にあるものを使って作りだしたモノは、魔法そのものではなくモノであるから扱える。
ならそれを矢にしてはどうか? という、実に単純な考えであった。
「あの時使ったのは、周りが濃い霧だったから、水を固めて氷にしたものだったの。それを相手の足元あたりを狙って放てば、氷の矢は地面にそこに中って砕けるでしょう? でも、単に砕けてしまったら何も効力がないから、今度は矢自体に魔法をかけておいて、矢が砕けたら発動するようにしておいたってわけ」
「ややこしいな」
説明するとややこしいが、やっているのは氷の矢に魔法をかけて射ただけという、かなり単純な話である。
普通に魔法を使えればこんな面倒な手順は不要なのだが、私の少ない魔力ではこうするより効果的な方法が無かったとも言える。
私は思わず肩をすくめて苦笑いした。
「矢に込めた魔法は凍結の魔法よ。矢を中心にした周囲の水分を凍結させて、足元を滑りやすくする効果くらいしか無いわ。周囲が良く見える場合は効果なんて全然ないけど、視界の悪い場所でやれば、結構ひっかかるかなと思ってやってみたら、思いのほか上手くいったみたいで驚いたわ」
一人だけ足に刺さってしまい、その周囲が凍って可哀相な事になったようだが、今更気にしたところで意味は無い。
出血は少なくて済んだのだから、良いんだか悪いんだかな感じがしなくもないが。
「だが、二人だけ傷跡が氷のものでは無かったようだが……」
それは、霧が晴れてきて互いに目視出来る距離で遭遇した二人の男の事だろう。
あの二人は直接矢を放ったが、その時は死にたくない一心で放ったものだったので、少々状況が違った。
正直に話すと、よく覚えていないのだ。
ただ、カッと体が熱くなって、矢を放ち射抜いた時には、その矢の威力は弓力から考えてみれば、かなり威力の高いものだったのは確かだった。
至近距離であれば矢が刺さり貫通する程の威力が出る可能性は確かにあるが、射抜いた男の手は、単に貫通したとは考えにくい大きさの穴となり、血を噴き出す事無く焦げていた。
結果から判断すれば矢が熱せられたなり、炎の魔法が発動したなりだろうが、覚えている範囲では、炎らしい姿は身無かったし、皮膚をこがすほどの高熱を発するような魔法をかけたつもりもまったくない。
結果的にそうなっていたとしか、私自身もわかっていなかった。