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めぐり逢う恋  作者: 茶とら
第一章
26/47

標的と隙と4

 すっかりとミスティレイの街を覆っていた霧は晴れていた。

 王女の命を受けてレオノールを探しに来ていた近衛兵たちは、拘束して勝手ながらレオノールの店を借りて逃げ出さないようにフェルラートと私で交互に見張りをした。

 見張っている最中に、ヨハンソンという近衛騎士から多種多彩な罵詈雑言が飛ばされて非常に不快ではあったが、夕暮れ時に到着したラスティが着た頃には、よくそんなに飽きもせずに物を言えるなと、むしろ感心したくらいだった。

 実はそのヨハンソンの罵詈雑言よりも、それを聞いていたフェルラートの方が大変だった。

 自分自身の事に関しては大した反応を見せない彼であったが、私に対して浴びせられる言葉に対しては、視線で人を殺せるくらいの殺気を周りにはなっていたため、その殺気にあてられても馬鹿みたいにののしる言葉を吐く鈍感過ぎるヨハンソン以外の面々は、生きた心地がしなかった。

 彼は案外短気なのかもしれない。

「ご苦労様、フェル。おや? カレン殿が居てパーシーが居ないようだね。どう言う状況だい? これは」

「お久しぶりです。ラスティ様」

 相変わらずのキラキラ具合に目がちかちかしたが挨拶をした私に、まったく惜しげもなく華やかな笑みを浮かべて返すラスティ。

 その後ろに弟のロズリーの姿が見えたので手をあげれば、驚いた表情で駆け寄ってきた。

「姉さん!? どうしてこんなところに」

「まあ色々と事情があってね」

「危ない目に会ったりしてないよね?」

「旅をしている以上、少しぐらいは危ない目にも合うよ。でも、今のところ大丈夫。五体満足だよ」

「姉さん……」

 少し疑わしげな表情の弟を笑ってごまかして、引っ立てられている近衛兵達を眺める。

 先ほどまでうるさかったヨハンソンは、ラスティの顔を見てからは実に大人しく、むしろ顔を青ざめさせて震えているほどだったので、若干哀れに思えたが、命を狙われた身としては、それ以上に何かを思う事はなかった。

「パーシーはレオノール殿と共に迂回路にて王都へ向かったクリスティーヌ殿を追っていきました。そちらは恐らく問題ないかと」

「なるほど。パーシーとクリスティーヌ殿なら問題はないね」

 爽やかな笑みを浮かべたままラスティは頷き、馬車に乗せた七人の近衛兵に、実に爽やかに言った。

「王都に付いたら覚悟するがいい。私もそう甘くは無いよ? 下等貴族風情が」

 ははは! と笑っているが、正直とんでもなく怖かった。

 ラスティの場合は武芸の実力もさることながら貴族として持ちえる権力もしっかりと持っているため、同じ貴族である彼らがあらがえる術など無いのだろう。

 本当に、見た目に反して恐ろしい人である。

「私たちはすぐに王都へ戻るよ。フェルは強行軍で疲れただろう。少し休んでからカレン殿と共に王都へ来るといい。ちゃんと仕事をしてくれたご褒美だよ」

 この言葉にラスティと共に来た他の騎士達が何やら悲鳴をあげているが、言った本人はまるでそんな声など聴こえない風に笑顔のままだ。

 フェルラートは特にその事には触れず、短く礼を述べただけでやり過ごしていた。

「姉さんのこと、お願いしますね」

 ラスティの従者をやっているせいなのか、文句を言わなかったロズリーは、心配げな顔を私に向けながらも、ラスティの背を追いながらフェルラートにそう言って出て行った。

 残された私はさてどうしたものかと隣に立つフェルラートを見上げれば、何故だか顔をそらされた。何故だ。

「えっと、どうしましょうか」

「精霊ミスティレイに礼をしに行く必要はあるだろう。あとは……」

「食べて、飲んで、寝る。ですかね」

 見事なタイミングで二人の腹の虫が鳴いた。

「賛成だ」

「じゃあ、行きましょうか」

「ああ」

「あっ!」

「――――何だ」

「……温泉もいいですか?」

 見上げて尋ねてみれば、フェルラートは背けていた顔をこちらに向けて、小さく笑った。

「良い案だ。付き合おう」

 かくして私たちは、言った通りに行動した。

 森で弓の練習をしていた時もそうだが、普段は決して口数が多くないフェルラートは、興味のある事に関してはよくしゃべる。

 食事をしている時には酒も入っているので、酔っている訳ではないが普段と比べて口数が多く、楽しい食事の時間を過ごす事が出来た。

 温泉も堪能した。

 久しぶりの温泉は本当に、本当に最高だった。

 思わず長風呂をしてしまったが、先に上がっていたフェルラートはまったく不機嫌な態度を取らなかった。素晴らしき紳士である。

 寝床はレオノールの店の二階を借りることにした。

 街に残っていたレオノールの店で働いていた男が了承してくれたためである。

 二階にある従業員達の仮眠室の一つを借りた私は、寝床を整えすぐにそこにもぐりこむ。

 一息つけば、今朝の出来事を思い出してしまい、思わず掛け布団をぎゅっと握りしめた。

(人に武器を向ける事が、あんなに怖い事だなんて思わなかった……)

 平和ボケと良く言われていた日本人だった過去を持っていても、この世界に生まれてからは獣や魔物を相手に生活をしてきたから、ある程度は平気だと思っていた。

 けれど、そんな考えは全然甘くて、実際に人に向けて弓を引く事に躊躇いがあって、人に敵意を持たれて剣を向けられた事に恐怖した。

 ふと気を緩めてしまえば涙が出てきそうで、震えだそうとする体を必死で抑えようと思っても、どうにも上手くいかずに、何度も何度も同じ光景が頭をよぎってゆく。

 簡単にはこの恐怖から逃れられそうになかった。

 ――――コンコン。

 恐怖に飲まれそうになっていた私を現実に引き戻したのは、控え目に叩かれた扉の音。

 慌てて起き上がり、どうぞと言うと、隣の部屋に行ったはずのフェルラートが扉の前に佇んでいた。

 白い襟つきのシャツに長ズボンという簡素な姿で、どんな時でも剣はそばに置いて置く必要あるのだろう、左手には鞘に収まった剣を持っていた。

「起こしてしまったか?」

 開いた扉から部屋に入ってくる事無く彼が言う。

「いえ。まだ寝る前だったので大丈夫です。どうかしましたか?」

「……大丈夫か」

 何に対して大丈夫なのかと言っているのか一瞬分からなかった。

 けれど、すぐに今朝の出来事の事だと分かり、気を使ってくれた彼に礼を述べる。

「大丈夫です」

 笑顔で言ったのだが、フェルラートが複雑な表情で首を振り、何かをためらうようなしぐさをした後、部屋へと入ってきたところを見る限り、笑顔をつくるのに失敗したのかもしれない。。

「何もしない。眠るまで暫くそばに居よう」

「え?」

 有無を言わさずベッドに寝るよう示され素直にもぐりこめば、彼は枕横に背を向けて座り込んだ。

「本当は扉の外に居るつもりだったが、こちらの方がいいと思った」

「あの……フェルラート様?」

「フェルでいい。敬語も要らない」

「は? え?」

 訳が分からず疑問符だらけの声を出すも、何も反応を返してこないのでどうするか悩んでしまう。

「危ない目に合わせてしまった。守らなければいけない者を守りきれないこんな未熟者に、敬うような言葉など必要無い」

「……そんなこと無いですよ」

「もっと早くに捕えさえしていれば、あなたに剣が向く事などなかった」

 それは凄く悔しそうな声だった。

 私は確かに、初めて人に命を狙われたし、人に武器を向けた事で、それぞれの怖さを味わった。

 でも、それは決して彼の、フェルラートのせいではない。

 彼がそれほど思い詰める必要など、何処にもなかった。

「そんなこと、本当に無いですよ」

 最後にはちゃんと、守ってもらった。

 何もできない私をちゃんと。

 だから私は生きてここでこうして、怖かった思いに体を震わせる事も出来れば、後悔する事も出来ているのだと思っている。

「フェルラート様から頂いたブローチ。正確には魔石ですけど。それをもらっていなかったら、持っていなかったら、今私はここに居なかったと思います。ちゃんと守ってもらったんです。だから、自分を責めたりしないでください」

 彼からの返事は無い。無くても問題なんてない。

 私は言いたい事を言って、彼がそれを聞いてくれているなら問題ない。

 彼から貰った魔石によって、私の命は確かに守られて、今ここに居るのだと言う事が伝わればいいだけなのだから。

「旅をしていれば、いずれ今日みたいに、剣を向けたり、弓を引いたりしなきゃいけない事ってあると思います。その逆も当然同じくらいにあると思います。色々な考えの人が居て、色々な事情がある人が居て、色々な事をする人がいるから、どこかでぶつかり合って当然だと思っています。ただ私は村から全然出なかったから、初めて剣を向けられて、怖くて、どうすればいいのかわからなくなって、それで戸惑ってしまって……。そんな私を、ちゃんと助けてくれたじゃないですか。守ってくれたじゃないですか。だから私はここに居るんですよ」

 目の高さにある背を向けて座る彼の頭に手を置いて、少し襟足の長い柔らかな青みがかった銀色の髪の感触を確かめるようにして撫でる。

 驚いたように肩を揺らした彼は、ちらりとこちらに顔を向けはしたが、何も抵抗する事無く私頭をなでられたままでいる。

「初めて人に弓を向けて怖くて。初めて人に剣を向けられて怖くて。でも、そんな怖かった想いを話せる人がこうして居てくれて、私は運がいいんじゃないかと思います」

 たった一人で、この恐怖に立ち向かわなければならなかったら、私はどうなっていただろう。

 犯罪の少ない平和な日本で育ってきた。

 でも気付けばこの世界の子どもとして生まれていて、初めて獣を狩る生活は怖かったけど、なんとかやってこれていたし、少しは大丈夫だと思っていた。

 けど実際には人を傷つける事、傷つけられる事は、想像はしていた以上に怖くて――――。

 だからその怖いと思う気持ちを素直に話せる相手が居てくれる事が、こんなに心強いものだと思いもしなかった。

 彼が居てくれてよかった。

 さっきまで恐怖に押しつぶされそうになっていた私の心を、こんなに簡単に軽くしてくれたのだから。

「本当に、ありがとう。――――フェル」

 彼に触れて安心したのもあってか、どっと疲れが押し寄せてきて、まぶたが重くなり眠気がやってくる。

「ありがとう」

 その言葉を言った記憶を最後に、私は深い眠りにおちたのだった。



 ☆ ☆ ☆



 強い人だ。

 何を置いても、まず初めに思ったのはその事だった。

 女性も旅をする者は多いが、自ら戦う女性は少ない。

 たとえ戦う事が出来る女性であっても、これほどに強い女性は少ないだろう。

 魔物が多く住む森のそばの村、そこで育ったために狩りの腕が立つのはしっていたし、見事なまでの弓術も知っていた。

 だが、そういった技術ではない、もっと別の意味で、彼女はとても強い人だと思った。

 そう思うと同時に、自分がとても弱い人間だと言う事を思い知った。

 捕えるのに手こずっているうちに、徐々に薄らいできた霧から彼女の姿が見えて、それに気付いたヨハンソンが、なりふり構わずに起こした行動に思わず戸惑ったのは確かだった。

 ヨハンソンが何を思ったのか、手に持つ剣を彼女に向かって投げる。三人もの相手をしていた彼女はその剣をどうにかするだけの術が無い状態で。ただそれを見て居るしかない自分がいて。

 ただ叫ぶしか無かった自分に、ただただ失望し、そして憤った怒りを感じたのは覚えている。

「……ふざけるなっ!」

 その時はただ必死で、見覚えのある青紫色の炎が剣を消炭に変えたことを見て、それをどう思ったのかは記憶に無い。

 目の前に居る騎士とは名ばかりの、人を傷つける事に何のためらいも抱かなくなったふざけた男を殴り飛ばして、驚きに目を見開いている彼女の元へ駆けより抱きすくめたのは覚えている。

 抱きすくめたのは彼女を心配しての行動ではなかった。

 不甲斐ない自分を許してほしいと彼女にすがるような行動だった。――――だから覚えている。

「あの。私は大丈夫ですよ。だから、先に皆をちゃんと捕えないと。せっかく倒したのに、逃げられちゃいます」

 彼女はそういって笑った。

 その笑みが、彼女の強さを物語っていたように思う。

 捕えた連中を見張っている時に、罵声や時には卑猥な暴言すらも浴びせられた彼女だったが、少し不快そうな表情はしても、怒りはしなかった。

 どこか達観したような態度を貫いていて、むしろ無意識に苛立っている自分が馬鹿みたいに思えたくらいだった。

 だからこそ、何も出来なかった事を謝罪しようと、そして必要は無いとは思いつつも、今夜は部屋の扉の前で彼女を護らせて欲しいと、そう言おうと思い部屋の扉を叩いて開けた時に見た光景に、心が激しく軋んだ。

 大丈夫だと言っている彼女の表情は、いまにも壊れて消えてしまいそうなほどに儚いものだったから――――。

 女性の寝室に入る事を一瞬躊躇いはしたものの、すぐに、彼女のそばにいようと決めた。

「何もしない。眠るまで暫くそばに居よう」

 戸惑う様子がうかがえたが、そんなことは気にならなかった。

 自分が居ることで、少しでも彼女の負担を減らせるのならばいいと、そう思っただけだったのに、不甲斐なさを吐露する自分を優しく受け入れてもらって、自分の方が心を救われてしまっていた。

 小さく細い手が頭を優しく撫でて、時折髪の合間を縫って首筋に触れれば、電撃が体を駆け廻り、鼓動が次第と早くなる。

 やめて欲しいと思いながらも、その心地の良い動きにあらがえず、ただただ彼女の手に身を委ねてしまう自分が居て。

 結局は何も出来ず。こうして自己満足をするために彼女のそばにいる事しかできていなかった。

 本当に、強い人だ。

 とても。とても――――。

 動きを止めたた彼女の手が自分の頭から離れ、静かな寝息と己の呼吸だけが部屋に響く。

 そっと振りかえり、さっきまで自分の頭をなでていた手に己の手で触れて、その掌にそっと口づけをした。

 彼女に触れた唇が、燃えるように熱くなる。

「――――カレン」

 手を戻しそっと毛布をかけ直す。

 そして、彼女の静かな寝息を聞きながら、己もゆっくりとまぶたを下ろした。

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