標的と隙と1
王女の命によりミスティレイの街にやってきた第一王女の近衛騎士隊は、異様な街の姿に思わず息をのんだ。
「どうなっている? これは」
隊の指揮をとるヨハンソン・ハルマの呟きに答えられる者は、この場にいなかった。
水の精霊ミスティレイによって加護がもたらされているこの街では、比較的気候が安定している。
特に水に関する部分、すなわち雨や雪に関しては適度な量しかふる事が無く、作物が育ちやすいように気温や湿度と言ったものも、一年を通して過ごしやすい程度に保たれている。
そのため、今目の前に見えるような、霧に覆われているミスティレイの街というのは、ミスティレイの普段の姿を知る者こそ気味の悪い印象を受けることとなり、ヨハンソンを含む近衛騎士達も、ただならぬ雰囲気に気味の悪さを感じ取ったのだった。
「ミスティレイが霧に覆われるなど、一体何が起きたというのだ?」
気味悪がってはみるが、王女の命を第一とする近衛騎士達は、ゆっくりと深い霧に包まれたミスティレイの街に足を踏み入れた。
深い霧に包まれた街は、少し先の距離ですらもよく見えない。
「サー・ハルマ。これでは標的を見つけるのにどれほどの時間がかかることか……」
「お前は何を弱気な事を言っているのだ。それでも王女殿下の近衛か!?」
「……失礼しました!」
部下にそう怒鳴りつけるも、ヨハンソン自身もまた同じことを考えていたのは言うまでもない。
(いったいなんだってこんな事になっているのだ!?)
イライラとしながら剣の束に手をそえたままゆっくりと記憶のある通りの道順をなんとかたどり、王女の命により遊び相手に選ばれたレオノールというドレスの仕立屋たる人物の店の前で立ち止まる。
「人の気配がしませんが……」
「この霧に紛れて息を潜めているだけかもしれん。探すぞ」
乱暴に扉を蹴って入った店には、人どころか、店だと言うのに商品すらももろくに無く、これは標的に逃げられたという風にしかとれない状況であった。
「どうやら何処からか情報が漏れたらしい。関係者を探す」
「この霧の中でですか?」
「そうだ」
「見つけられるものなんでしょうか?」
「ごちゃごちゃと五月蠅いぞ下っ端風情が! 見つけられるかどうかを考える必要性はない! なんとしてでも見つけるのだ! それが殿下の願いなのだからなっ!」
あまりに横暴な言葉に対しても、王女に対する忠誠を誓う部下達には反論など出来よう筈もない。
ヨハンソンは盛大な舌打ちをして、先が殆ど見えない深い霧の中で標的の居場所の手がかりとなる何かを探し求めた。
* * *
ヨハンソンら王女の近衛騎士隊がミスティレイに入るほんの半刻ほど前まで時間は遡る。
時刻は早朝。
足の速い馬を二度ほど乗り換えて、通常馬を使って三日ほどかかる道のりを一日で駆け抜けたのは、二人の青年騎士、フェルラートとパーシヴァルである。
「街はまだ平穏無事のようだな」
「ああ、そのようだ。だが、俺の尻はあまり平穏無事じゃないぞ。急いだかいがあったとしても、普通は三日駆ける道のりを昼夜問わずに駆け抜けるのは、正直もうやりたくないな。尻が割れそうに痛い」
口調こそ軽いが、食事も馬上で済ませるほどの強行軍であったがゆえに、パーシヴァルの表情には疲労の色が濃い。
フェルラートも、普段はその軽口に付き合うくらいの愛想は持ち合わせているのだが、状況はパーシヴァル同様変わらないので無言で肩をすくめるだけの反応しかできないほどだった。
騎士団長及びラスティとの過酷な訓練を受けていたため体力は確かにあるが、騎士としての経歴はまだ浅い二人である。
他の若い騎士に比べれば遥かにタフとはいえど、馬を長距離休みなく走らせるような事は流石に経験が無いため、このような状態になるのは仕方が無いと言えよう。
「まずはだ、レオノールという仕立屋を探そう。まずは店からだな」
乱れた髪を撫で上げて整え、軽く衣服に付いた埃を叩き落とそうとしたが、余りに舞い上がる埃に咳込んで諦めた青年騎士二人は、事前に教えられていた仕立屋の経営している店へと足早に向かった。
だが、見つけたそこには既に人の姿は無く、店の品も殆ど無い。
「……遅かったか?」
パーシヴァルの呟きにフェルラートは首を振る。
「荒らされた形跡はない。品物も殆ど無いのも妙だ。自主的にここを出たと考えた方が無難だろう」
「とすると、何処へ行ったかが問題だ。街は狭く無い。すぐに探し出すのは難しいぞ」
するとそこへ声が割って入った。
「……もう来たのか!?」
入り口から男の声がして二人は振り向いた。
見れば、怯えた表情の中年の男が後ずさりをしていまにも逃げ出そうとするかのような姿勢であったため、パーシヴァルが咄嗟に引きとめようと声をあげる。
「待ってくれ!」
だが、男は慌てたように駆けだしたものだから、二人はその男を急いで追う。
馬に乗って疲れたなんだと言いつつも、流石にまだ若い体力のある青年二人である。
すぐに男に追いつき、乱暴ではあるが腕を掴んで拘束し、暴れる男に言った。
「ブレイクニル侯から命を受けた者だ。あの店の主であるレオノールという仕立屋の身が危ないと聞き保護しにきた。所在を知っているなら教えて欲しい。時間が無いのだ」
基本的に感情の起伏が乏しく冷やかなフェルラートの声は、こう言う時には絶大な効力を発揮する。
まさに冷や水を浴びせられたかのように、拘束されてもまだ懸命に逃げようとしていた男の動きが止った。
「……ブレイクニル候が?」
「そうだ。我々二人は現ブレイクニル侯爵ラスティ様の元従者であり、今は直属の部下である。嘘偽りはない」
大人しくなった男をパーシヴァルに任せて、懐に入れていた小さな書簡を取りだし、ブレイクニル家の紋章が入った封蝋を見せれば、男は深い息をついた。
王宮仕えの仕立人というレオノールに関わる者であれば、ブレイクニル家の紋章を知っている可能性が高いとみて見せたのだが、それは誤りではなかったと、表情を変える事はなかったが、フェルラートは安堵した。
「レオノール様は昨日の夕刻には街を発たれました。商品をつんだ馬車を二台と、店や店の傍に居た使用人たち全員が、王都とは逆方向にある町へ向かい、そこから大きく迂回して王都へ向かうそうです。私はまだここに残っている使用人たちに逃げるように伝える役割を担っておりました」
「そうか」
そこまで聞いた二人は男の拘束を解く。
男も拘束が解かれても逃げ出したりはしなかった。
「偶然というか、これも巡り合わせと言うべきか、魔女クリスティーヌがレオノール様に同行してくださる事になったので大丈夫だと思っていはいましたが、あなた方を見てもう来たのかと、肝が冷えました」
思わぬ人物の名に驚いたのは騎士二人である。
「なんだって?」
顔をしかめたのはパーシヴァル。無言で天を仰いだのはフェルラート。
「パーシー?」
「畜生! また馬を走らせなきゃいけないのかよっ!」
愚痴りはするものの、パーシヴァルの動きは迅速だった。
「フェル! くれぐれも暴走だけはするな! いいな!」
「……善処する」
勢いよく駆けだしたパーシヴァルを見送り残ったフェルラートは男に尋ねた。
「ところで。あなたは魔女クリスティーヌとここでお会いしたか?」
「はい」
「では、魔女クリスティーヌの他に誰か共に居たりは?」
「男装の女性が一人と少年が一人。少年の方は魔女様と共にいかれましたが、女性の方はまだ街にいらっしゃいます。なんでも、足止めするとかなんとかおっしゃっていましたが……。お知り合いで?」
予想外の動きをする人物らに、フェルラートは眉間に小さく皺をよせた。