始まりと旅立ちと1
日本の社会人、いわゆるキャリアウーマンなるものであった私は、気付けば日本とは全く異なる国どころか、まったく異なる世界の小さな村で目を覚ましたのは十八年前。
産声を上げている自分に驚いてさらに泣き叫んだのが十八年前だ。
理由はどういうものなのか知らないが、記憶は日本人であった時の記憶そのままに、どうやら私はこの世界に新たに産まれた子どもらしいと理解したのは、身動きが取れずに母親の乳を飲みおしめを変えてもらうしかない状況と、何度目覚めてもその状況が変わらないことから、丸三日かかってようやく理解した。
もともと理解すれば順応は早い方だった私は、今回も同様に順応は早かったようで、どうにもならなければ仕方が無いと、目覚めて記憶が鮮明になる時間を使って、周りの情報をとにかく色々集めた。
自分の名前は、驚く事にカレンという日本人で有った時と同じ名であること。
森の傍にある小さな村で、近くの森で狩りをし、村では小さな農園を作って必要な食物を育てて生活をする、そんな家に産まれたこと。
幸いな事に父、母ともに健在である事。
自分が両親の間に初めて産まれた子どもであること。女の子であること。
そのほか、言葉を覚え、色々な事を知り、村では珍しく文字の読み書きが出来た両親に文字を教わり覚え、弟と妹ができ、村の子達と遊び、大人たちの手伝いをし、あの怒涛の様な日々に充てられていたからこそ緩やかに流れて行く時を、大事に思いながら日々を過ごして今に至る。
今日もいい一日で有りますようにと朝のひと仕事を終えて一息つき、部屋で本を読もうとしたところで、慌ただしく階段を駆け上る音を聞いて首をかしげた。
「姉さん。お願い! 協力して!」
慌ただしく階段を駆け上り突然部屋にノックも無く入ってきたのは弟のロズリーだった。
少し野生の狼のような鋭さのある顔立ちは父譲り、少し癖のあるダークグレイの髪と優しげな目元は母譲りで、牡鹿のように俊敏でしなやかな体躯をしている少年である。
きっともっと背が伸びればカッコ良くなるに違いないと私は姉の立場ながら将来を楽しみにしていたりするのは本人には内緒だ。
「ん? どうしたの?」
こんなに慌ただしい弟を見るのは久しぶりだと思いながら、普段はぶっきらぼうな弟に目を向けると、唐突に話が切りだされた。
「昔から俺、騎士団に入りたいって言ってたよね」
「うん? うん」
私は唐突な内容にいまいちピンとこなかったが、ロズリーの騎士団に入りたいと言う夢は知っていたので頷いた。
「騎士団の入団試験は十八からなんだけど、見習いというか、騎士の従者として入れるのは十五からなんだ」
「へえ。そうなんだ」
そこまで聞いてやっと何が言いたいのか何となく分ってきた。
「来月、十五になったら、俺、見習いとして王都に行きたい」
「これまた随分と唐突。どうしたの? 急に」
一番言いたい事を言ったからか、ロズリーな少し落ち着いたようで、部屋の扉を閉めて、ベッドの横にある椅子にどかりと座ってふうっと深い息を吐いた。
「今朝、父さんと隣町に行って獲物を売りに行った時にさ、そこに巡回に出てた騎士団の人に会ったんだ」
読もうとしていた本を本棚に戻し、椅子に座った弟と目線を合わせるためにベッドに腰掛ける。
「その人はもともと従者が居たらしいんだけど、二年前にその従者だった人が正式に騎士団に入団したから、身の回りの世話をしてくれる人が居なくてちょっと困ってるって言ってて……」
「うん。それで?」
「俺が騎士団になりたいって事を言ったら、よかったら自分の従者にならないかって言われたんだ」
「なるほどねぇ」
今のところ、うまい話にしか聞こえない。
懸念材料しか出てこないと言うのが現在の結論だ。
それでも、判断するにはまだ早く、話は最後まで聞く事にする。
「その人はラスティって言う騎士で、何だか無駄にキラキラした奇麗な人だったんだけど……でも、強そうな人ではあったんだ。凄く、動きに無駄が無かったから……」
「なんかその評価はよくわからないけど、ロズリーがそう見えた人なら、剣の腕はともかく強そうな人ではあるんだろうけど……うーん、どうだろうなぁ。騎士はその人だけだったの?」
「いや。十人くらい来ていたらしくって、俺が会ったのはそのラスティって人と、その人の従者だったて言う、パーシヴァルって人の二人だけ。昨夜到着したばっかりだから、早朝だったのもあって、起きてる人が三人しか居なかったんだ」
「三人? 二人しか今の話には登場してい無かったけど?」
「もう一人、フェルラートって人が弓の練習をしに森へ出ていたらしくって、そこには居なかったんだ。その人もラスティって人の従者だったんだって」
「そっか」
昨夜到着したばかりなら、確かにこの村までは話が来ないのは仕方が無い。
恐らく一番早い知らせが、父とこの弟の情報だろう。
「話は大体わかったわ。巡回は大体五人から十人くらいですると聞くし、騎士と名乗った人たちは恐らく本物でしょう。ロズリーの夢は知っているし、そのために努力しているのも知っているから、正式な騎士からの誘いを受ける事が出来るのであれば、私は反対しないわ」
「本当!?」
「でも、すぐに従者になって良いとは言えないわ。ロズリーを預けても良いって思える人かどうかがわからないままじゃ、お父さんとお母さんを納得させる事は出来ないもの」
喜んだのもつかの間、ロズリーは肩を落としてため息をついた。
「どうすればいいのかな……」
このうなだれようは、本当に従者になれるなら、なりたいと思っているような雰囲気だ。
そうでなければ慌てて私の所に来る事も無いはず。
この弟は、私の所に来れば両親を何とか説得できると思っている節があるからだ。
まあ、記憶のある年数を含めれば四十年を越える経験と知識があるわけだし、もともと相手を説得してなんぼの世界で生きていたわけだから、どうしても説得しなきゃならないならば首を縦に振らせる事が出来るような準備をして挑んでいるので勝率は頗る良くなる。
普段はあまり我儘を言わない弟だから、結構手を貸してきたのだが、今思うと少し甘やかし過ぎかなと思う節が無いわけではない。
だがいずれ弟は村を出て独り立ちするのだから、今は甘やかしてもいいかと思って、弟に甘い自分を甘やかす事にする。
「まだ騎士団の人たちは町に居ると言っていた?」
「明日の朝には発つと言っていたけど」
隣の町までは徒歩で二刻程度だし、それなら今から出ても夕方には着く。
もともと時間を有効利用するために分単位で仕事をこなす生活をしていたせいか、動くとなったらその判断から行動までが周りが呆れるほど早い。
さすがに十八年もこの世界で生きて来たらそれは自覚している。
行動に出る速さがこの世界に住む人の感覚とは違うのだから当然かもしれないけれど、そのお陰で意外と損をすることは少ない。
早め早めの行動は度を越せば苦痛でしかないが、他の人よりも少し早めに行動を起こすことは良い結果を生む行動となる。
この世界で生きてきて、それが初めて良い習慣だと気付いたのだから、日本人だった私のあの生活は少しおかしかったのだろう。
まあ、それは余談である。
「なら今日はまだ居るのね。それなら、もう一度会いに行きましょう」
「え? でも、家の仕事は?」
私の決断の速さに慣れている家族でもこうして戸惑うのだから、周りはもっと大変なのかもと思わなくはないけれど、これが私のしみついたペース。
合わせられる所は合わせて、必要な時は自分のペースに即座に切り替えて動く。
これが上手くやっていく方法だと今は思っている。
「たまにはサボっても怒られないでしょ」
にやっと笑うと、ロズリーは嬉しそうな、少し呆れたような笑みを返した。