災いと嫌悪と3
彼女らにとってはくだらないもの。
それが民衆の命だ。
まるでチェス盤の上にある駒のように、思い通りに動かし遊ぶための道具として思っていないのだ。
人は遊ぶための道具であると自覚しているのは王妃、自覚していないのは王女達。
どちらがより性質が悪いのかと問われても、それは比較のしようが無く、どちらも性質が悪い、というのが己の評価である。
ラスティが自分を王女の下へと活かせる理由は実に単純だ。
彼女らが次に遊ぼうとする何か、そのきっかけを見つけ出せというものである。
「遊ぶなら、周りに侍らせている連中だけにすればいいものを」
ふっと吐く息と同時に振るった剣を受け止める鈍い音が響、その音に似合うだけの手ごたえが己の体を震わせる。
稽古用の剣の刃はつぶされているがその分丈夫で、滅多なことでは折れないようにつくられているうえ、普通の騎士剣よりもかなり重く出来ている。
なので、まともに打ち合った時のその反動は愛用の剣よりもずっと大きいため、普段の稽古ではまずまともに剣を受けたり、受けられたりしないように配慮しながらなのだが、今はそれをする気もなく、まともに返って来た反動に顔をゆがめつつも、もう一度、もう一度と剣を振るい続ける。
その結果、出来上がったのは、自分の稽古に強制的に付き合わせた騎士見習いの少年たちと暇そうだった同僚達が地に沈んでいる光景であった。
「……もうちょっと、こう……おと! 手加減ってものをだ、なっ……おわっと!?」
唯一まだ地に伏していないのはパーシヴァルで、ラスティと団長の鬼の様な鍛錬に共に耐え抜いただけあり、まだ余裕が垣間見える。
「もう沈んでもいいんだぞ? パーシー」
「いやいやそんな、お前を置いて先に沈むなんて滅相もない!」
苦笑いを浮かべながらも、上手くこちらの攻撃を裁くのは流石である。
お互い、剣だけでの戦いは得意では無いながらも、知り尽くした相手の得手不得手を見抜き予測しながらの攻防は三十合程になったところで、流石にまともに受けて来た反動に耐えきれなくなって打ち合う手を止める事となった。
「結局お落とせなかったか」
「いや、そこは流石に俺にも意地がだな……」
そこで丁度聞き知った声が自分を呼んだ。
「フェルラートさーん!」
声のした方向を向けば、手に紙の様なものを持ったロズリーの姿があった。
騎士宿舎で寝起きしている自分とパーシヴァルとは違い、ラスティの屋敷で寝起きし見習いとして働いているロズリーが単独で騎士宿舎に来る事は意外と少ない。
というのも、ラスティの手伝いをする上で、身の回りの手伝いをロズリーが全てこなしているがゆえに、滅多にラスティと離れて行動出来ないだけなのだが。
未だ地面に転がっている同僚たちを避けて跨いでやってきたロズリーは、普段はややぶっきらぼうな雰囲気がかなり和らいだ状態のようで、きっと姉であるカレンからの手紙でも来たのだろうという事が安易に察せられて思わずパーシヴァルと顔を合わせて小さく笑った。
ロズリーの姉贔屓は筋金入りなのだから実にわかりやすい。
「お勤めご苦労様でした。何となく状況から察せられますが、収穫はありましたか?」
「臭い香水の香りが染みついただけだ」
肩をすくめてみせれば、ロズリーもわかりきった様子で一つ頷くだけだった。
「ラスティ様も苦戦しているようです。お陰で書類の仕分け作業が進まなくて本当に困りました」
その言葉に過去の経験を重ね合わせ、思わずため息を漏らす。
隣に居るパーシヴァルも全くと言っていいほど同じ反応をしていた。
「その仕事は?」
「勿論、終わらせました。けど今日はもう頭を使う仕事は嫌ですね」
「そちらもご苦労様だな」
「パーシーさんはもっと働いてもいいんですよ?」
「お断りします」
ロズリーは恨みがましそうな表情でパーシヴァルを見たが、すぐに首を振ってこちらを見た。
「今日はこれを渡しに。フェルラートさん宛に姉さんからです」
「カレン殿から?」
差し出されたのは簡素な封筒に入った手紙だろうか。
紙だけが入っているのかと思ったが、その封筒には少しだけふくらみがあった。
とりだしてみればそれは紐であった。
紐といってもそれは単なる紐ではなく、藍、紫、そして銀色の紐が複雑に編み込まれた紐で、自分の手首から中指の先までの長さよりもやや長め、太さは小指程の太さがあるものだった。
いったいどんな時に使う紐なのかがわからなかったが、編み込まれてつくられたその紐の色の配分は実に見事で、たった三色しか使っていないのが分からないほどに奇麗な色合いを出しており、関心し魅入るほどの一品だった。
「凄いなこれは」
隣で観ていたパーシヴァルも思わずという感じでそう呟いていた。
紐に目を奪われてしばし忘れて居た手紙を開き、達筆な文字により飾り紐を同封した意が書かれてあった。
『村を出て初めて訪れた町で奇麗な刺繍用の糸を見つけたので、何かに使えないかと悩み、村を出るきっかけを下さったお礼にと、危険な事も多いだろうお仕事の事も考えて、糸を編んでお守りをつくる事にしました。良ければお使いください』
お守りとしてとは、いったいどのようにしてと考え込みそうになったところで、即座にロズリーが答えをくれた。
「腕とか足に結わえつけておくお守りですよ。姉さんのお守りは、本当の意味でお守りになります。少なくとも俺は、ですけど。俺とラスティ様も貰いましたよ」
そう言ってロズリーが袖を少しずり上げ腕を出して見せれば、自分に渡されたものとはまた違った色合いで編み込み方も事なる紐がつけられていた。
ロズリーのものは、赤と橙、そして若草の様な淡い緑色で、彼自身に良く似合う色の紐だった。
この様子だと、ラスティに贈られたものも良く似合う色合いでつくられたものに違いない。
「あれ? 俺のは?」
「一応ありますよ……」
そう言うロズリーの表情は実に微妙なものだった。
「クリスティーヌさんが作ったものだそうですけど……」
「……それは聞かなかったことにしよう」
「もってきてますから、お渡しします。というより、俺はこれをさっさと手放したいので差し上げます。拒否権はありません、とラスティ様からもお達しをもらっていますので受け取ってください」
「何それ怖いんですけどっ!?」
そうしてロズリーが懐から小さな紙の袋を取り出してパーシヴァルに手渡す。
怖々とした表情で受け取ったパーシヴァルは意を決したように、袋から中身をとりだしたところで思わず声が漏れた。
「……呪われそうだな。それは」
作りはカレンが作った紐の見事さには劣るものの、決して悪いものではないのだが、色合いのせいか、はたまた蛇が絡み合ったようなその形のせいか、あるいは作った人そのものに対しての畏怖なのかはわからないが、何故だか物凄く呪われそうな代物であった。
これは確かにさっさと手放したいと思ったロズリーの言葉に納得である。
「これをどうしろってんだよっ」
やや涙目になったパーシヴァル肩を思わず軽く叩いて慰みの意を示した。
それにしてもと、手に持っている紐を眺める。
弓の稽古中に一挙手一投足を逃さぬように見続けていたからというのも確かにあるが、彼女、カレンの姿は実に鮮明に記憶していた。
だから、彼女の髪型は何時も奇麗に編み込まれていたなと思いだすのはとても安易であった。
貴族の令嬢が侍女に手伝ってもらってする髪型を、一人鏡の前でやっていると言った事に感心したのはついこの間の事である。
本当に、カレンという女性はいい意味で規格外な女性だなと思わざる負えない。
(そんな彼女と比較するのも悪いといえば悪いが……)
ついさっきまで嫌々ではあっても任務で王女の傍に居たのに、よく思い起こしてみても、王女に関する記憶は驚くほどに少なかった。
どんな会話をしていたのかは記憶していても、どんな会話に興味を示していたのかは知らないし、どんな色のドレスを着て居たかは記憶していても、どんな形のドレスだったのかまでは記憶していないぐらいにいい加減だ。
強烈な香水の臭いと、粘着質な視線と、極めて不愉快な感情と嫌悪感が、見事に王女に対する情報を遮断しているといっても過言ではないかもしれない。
そこまで考えふと気付いた。
(ドレス……?)
ひっかかった言葉に思考を巡らせてみても、あまりに大雑把な記憶しかないため答えは見つからない。
だが、ドレスという言葉は確かにあの茶会では話題で出たと記憶していて、その話題で自分はふと何かを思ったという記憶が記憶としてあった。
まだしぶとく寝転がっている見習いの少年達と同僚達を足でつついて起こしながら、宿舎へと足を進めながら考える。
(実に不愉快な上に面倒ではあるが、明日もう一度王女の下へいってみるか)
やや憂鬱ではあるものの、カレンのお守りを手と口を使って腕につければ不思議と気持ちはやすらいで、鬱憤をはらす勢いで剣を振るっていた先ほどの自分を少しだけ反省する。
そして、気持ちを改め自身にしか聴こえない声で呟いた。
「民衆を遊び道具にさせたままになど出来ないし……な」
騎士だからこそ、苦しむ民衆に手を差し伸べなければならないのだから――――。