災いと嫌悪と2
女嫌いというより、女に嫌悪感を抱いているというのが正しい。
むせかえるような強烈な香水も、混ざってしまえば鼻につく臭いに他ならない。
これほどの強烈な臭いに耐え続けている近衛騎士達の嗅覚は、いったいどうなっているのかと一人考えながらも、視線は王女の言動に注視するよう心がける。
現在は王宮の南西に位置する庭園にある温室に居た。
そこでは王女主催の茶会がそこで開かれており、王女が招いた貴族の令嬢たちがその茶会を楽しんでいる。
本当に楽しんで居るかどうかは私にはわからないが、少なくとも、表面的には皆楽しそうにしているのは確かである。
付き添ってきた私にとっては退屈な時間という他無いのだが、これも仕事と割り切って、きつい香水の臭いと知性があまり感じられない会話でころころと笑う令嬢たちにうんざりしながらも、ラスティから言い渡された内容について聞き逃しも見逃しもしないように集中は絶えず切らさぬようにしていた時だった。
「我が王女様に随分と熱い眼差し、もとい不躾でいて下浸る視線をどうにかしてほしいですね。フェルラート殿」
突如発せられた言葉の主は、隣に立つ王女の近衛騎士を務めるヨハンソンという男である。
このヨハンソンという近衛騎士は王女にご執心の騎士の一人でその筆頭でもある。
こちらは熱い視線など欠片もおくったためしが無いが、王女中心にものを見る彼に肯定する言葉も否定する言葉も見事に都合の良い方向に解釈して勘違いするため面倒な人物で、関わらないで済むなら全力をとして関わらないようにしたいが、残念ながら、この騎士が主とする王女から情報を得るために動かなければならない機会が無くならない限りは、この騎士とも付き合っていかなければならない。
ため息が漏れそうになるのを堪えて視線を一時だけヨハンソンに向け、すぐに視線を王女へと戻せば、やや怒気の籠った言葉がさらにかけられることになる。
「何故ただの正騎士たる貴方が我が王女殿下の傍に居られるのか常々疑問に思っていましたが、やはりその優れた容姿とその体でもって殿下にとりいっているのかね? 下賤な事だ」
近衛騎士は王宮騎士団の中で最も地位の高い騎士であり、王直属の配下と言える騎士の事を示す。近衛騎士以外は正騎士と呼ばれ、私はそちらに属する。地位としては近衛騎士よりも地位が低い。
だが、地位の上下など意味はない。
それは近衛騎士は王直属の配下であるという名目だけで、実力者らしい実力者は居ない、名ばかりの騎士達であるというのを知っているからだろう。
戦場に出ず、地方を駆けまわる事もせず、民衆との接触をさけて、ただ着飾り、その容姿と名前をひけらかすだけの存在。
それが現在の王宮騎士団の近衛騎士達の姿である。
成りあがりの貴族の息子達がこぞってこの地位に居ると言えば分かりやすいだろう。
地位は金で買えるという典型的な行為が行われているのが、まさか騎士団の中枢たる近衛騎士たちだとは民衆たちも思うまい。
それを恥と思う自分と、恥と思わない彼らの違いによって、近衛騎士と正騎士は現在大変仲が悪い。
貴族出身であるのに近衛騎士にはならないラスティは例外的であって、その例外はそれほど多くはない。
(お前のその発言こそ下賤ではないか……)
体の内に危険な炎が小さく生まれた事を感じ取る。
まだ抑えきれないほどでないが、長く続けば危ないかもしれないと思い、より気を引き締める。
女に対して嫌悪感しか抱けぬようになったことをきっかけにして、魔法を使う事が出来なくなっていた。
より正確に言えば、魔法を制御する事が出来なくなった、である。
魔法は使用する者の精神を強く反映するものであり、女に対して嫌悪感を抱き気分を害する頻度が増えたのが致命的な制御力の欠落を引き起こしたのである。
元々魔力が強かったのは確かにあるが、扱える魔法の威力も特殊であったがゆえに、魔法を使おうとするたびに暴走するような状態になってしまうのである。
これには自分もそうだが周りの方が被害をうけた。
(気分を害しただけで近衛兵を消炭にするわけにはいかないからな……)
自分の扱う魔法の主は炎。その中でも最も最大級の火力を誇ると言われる紫の炎を操る事ができたがゆえに、制御が利かなくなった今では危険すぎる力に過ぎないのだ。
炎に触れれば途端に消炭になる力が暴走すれば笑い事で済むわけがない。
(気に食わなければ無視すればいいものを。迷惑なっ)
精神の耐久力を試しに来たのではないはずだがと思えるほどに、茶会が終わるまでの間延々と好きでも無い女との見当違いな憶測に耐え続け、結局何も情報を得られなかった事に辟易することとなった。
「フェルラート。また今度も迎えに来て頂戴」
万弁の笑みを浮かべ、強すぎる香水をすり込んだ体を押しつけるようにして腕に巻き付きそう言った王女は、確かに美しいが、容姿が美しいだけで、彼女に対して微塵も心は動くことはない。
「……また、時間がとれましたら」
「いいえ。貴方は私の為に時間をつくるのよ?」
なんと自分勝手な言葉だろう。
男なら誰でも思い通りになると思っているのがありありとわかる言葉だ。
美しさなど、いったい彼女の何処にあるのだろうか?
「私にも職務がありますので」
「貴方は私の傍に居る事を仕事にすれば良いのよ。何度もそう、言っているでしょう?」
「民との距離が近い今の立場が私には合っているのです。申し訳ありません」
「ふふっ。まあいいわ。許してあげる。貴方は私の大切な騎士ですもの」
何処までも勘違いするのが主従の共通点なのだろうか?
勝手に自分のものだと言わんばかりに体を密着させる王女に、それを見て憤慨して顔を赤らめて居るヨハンソンを含む近衛兵達。
(……不愉快だ)
王女を部屋まで送り届けるまでの間、終始この状態が続いた。
やっと解放された時には、王女の付けて居た香水の臭いが鼻につき、思わず顔をしかめる。
騎士宿舎に戻れば、やはり皆に煙たがられた。
「お前、臭いぞ」
真正面から遠慮なくそう言ったのはパーシヴァルである。
「王女殿下の相手をしてきた。やはり、臭うか?」
「なるほど。王女殿下か。好きな奴は好きなんだろうが、俺はその臭いは好かん。さっさと湯浴みして消してこい」
「好きでこんな臭いをつけてくるものか」
不機嫌に返せば、何故か宿舎で和んでいた面々が一斉に黙り込み、静まり返っていた。
「お前。その奇麗な顔で凄むな。怖すぎる」
どうやら無意識に不機嫌である感情が表に出て居たらしい。悪い事をした。
「夕方以降に仕事は?」
湯浴みするため足を進めてすぐにパーシヴァルに向き直り尋ねれば、にやりとした笑みが返ってくる。
「憂さ晴らしの稽古だろう? 付き合おう」
流石に付き合いが長いだけある。
言わずともこちらの意思をさっしてくれていた。
だが、これには小さな悲鳴も上がっていた。
悲鳴をあげたのは騎士見習いの少年達である。
「見習いの諸君! 遠慮せずに我々の稽古につきあいたまえ! ちなみに拒否権は無いっ!」
見習いの少年たちには悪いが、この晴れない気持ちをどうにかするために、厳しく稽古をつけさせてもらおう。
まずは湯浴みをして、この不快な臭いを消しにかかろうと、止めた足を再び動かした。