災いと嫌悪と1
「人が居ない間に随分とやってくれたものだ」
王都に帰還した旨を騎士団長へと報告をしに行く道すがら、ラスティの屋敷で受けた情報に、ラスティはどこか投げやりにそう嘆いてみせた。
この国では王が国を治め、王に仕える者達によって王の意思を国民達に伝えて国を動かす国である。
王に近しかったり、政治的影響力を持ちえる者には爵位が与えられ、最も位の高い【公爵】をはじめ、【侯爵】【伯爵】【子爵】【男爵】という爵位を与えられた者達を筆頭にして国が動いている。
ラスティは騎士でありながらも、国政への影響力を極めて強く持つ【侯爵】の爵位を持っている。
その地位は【公爵】の次に高い地位であり、同爵位を持つ者は国に四人しか居ない。
その中でも最も若い者がラスティである。
ブレイクニル侯爵家の当主になったのは十五年前。当時二十一という異例の若さで侯爵家を継いだのだが、その評判は落ちぶれる事無く良いままである。
その理由は主にその容姿によるものが大きいのだが、なんだかんだと共に過ごしてきた期間が長くなった自分にとっては、ラスティがどれ程国を想い、国の為に尽くしているのかを知った上で、その評判があるのだとも思っている。
口に出して本人に教える気は毛頭無いのだが――――。
帰還してすぐに、第一王子からラスティ宅に届けられた手紙の内容自体は分からないが、投げやりに嘆いた後に自分へと視線を向けた所からするに、きっとあの人物による事柄である可能性が高そうだと見当を付けたところで、直後にその予想があたりである事が知れた。
「フェル。君に仕事だ」
キラキラとした笑顔に今更騙されはしない。
笑顔の裏に隠された色々な部分は、未だに憧れや羨望を向けられるほどに純粋な気持ちで受け入れる事が出来ないくらいに、自分はラスティという人物を知っているからだ。
「お断りします」
「まだ内容を言っていないじゃないか」
「ええ。ですが断ります」
「つれないなぁ」
どうせ断りきれないのは分かっているのだが、少なくとも拒絶する自分の心情を受け止めて貰いたい。
「面倒なのは重々承知の上での君への要請だ。王妃殿下と王女殿下相手に、今の王子殿下が一人でどうにか出来る訳もないからね」
「……やはり、あの方たちの事でしたか」
騎士団長に仕える事になってから、この国の王子と関わりが生まれた。
現時点では国に唯一の王子である。
歳は自分より三つ下の十六。五人兄弟のうちの二番目の年長者である。
良く言えばおっとり。悪く言えばどんくさくて判断力にかけるその王子との出会いをきっかけに、自分の女運が壊滅的になった。
王子自身に罪は無くとも、きっかけを作った王子に対して、好意的な感情を抱けと言う方が無理である。
幸いにして馬鹿でも無能でも無いので仕える分には差し支える事はないものの、王子の傍に居れば、否でも付属品のごとくついてくる者達の対応が必要となってくる。
それが実に面倒であり不快なのだが、それを直接言える立場で無いのが一層気分を憂鬱にさせた。
「詳細は殿下に直接聞いてから動く事になるが、手紙の内容からするに、君の協力が不可欠だ。王妃殿下だけなら私だけでも対応できるが、王女殿下も含めてとなると物理的な意味で身体が足りない」
馬鹿でも無能でも無いが、判断力にかける王子。
だからこそ親しい有権者の協力が必要となる。
王子が親しい有権者は騎士団長とラスティ。その二人と親しい間柄である自分に何かしら役割が周ってくるのは仕方が無いとは言え、何故自分なのかと正直に思う。
「パーシーでも良いんだけどね、王女殿下の食い付きが良いのは君の方だから、ちょっと乱暴に進めても繕いやすいからね」
「……結局そういう事ですか」
「あははっ!」
つまり、面倒だから楽を少しくらい楽をしたいというラスティの思惑の上での人選により、また今回も壊滅的な女運が見事に自分を苦しめるのだと思うと、今直ぐ逃げ出したい気持である。
だが、キラキラとした笑みを浮かべて愉快そうに笑うラスティではあるが、彼がその笑みの裏でどれ程の緻密な計算の下、なんらかの政治的な働きをするに違いは無い。
少々どころか癖が有り過ぎはするが、ラスティは自分にとって憧れであり目指すべき人である事に変わりは無いため、彼を支えるのだと思えば、結局のところ自分は頷かざる負えないのだ。
「……面倒」
仕方なく頷いた後に漏れた言葉に、隣に立つパーシヴァルが苦笑いを浮かべて、自分の肩を叩いて気持ちばかりの励ましの言葉をかけてくれたが、気持ちは沈んだままであった。
王子から一通りの話を聞き終えてから、騎士宿舎へと戻ってからはため息ばかりが漏れてしまう。
元々女性が嫌いでもなければ苦手でも無かったが、王妃と王女達のお陰で、好意を寄せてくる女性に対しては嫌悪感しか抱けなくなってしまった。
王妃と王女達は揃って実に容姿に優れており、その見た目だけの評価で言えば減点しうる点は何一つとして無いだろう。
だが、内面的な部分はその容姿とはうってかわって、美しくも無ければ可愛いと思える点が何一つとして無い、と自分は思っている。
よくあるおとぎ話や小説にはありがちな、男遊びが好きな浪費家な王妃と、その血と性格を見事に受け継いだ王女たち。
貴族達の大概もそうだが、権力を持つ一族の女性たちは、良くも悪くも良くある話と、現実はさほど遠くないというのを憐れむべきか否かは人それぞれだが、自分としては、よくある話しとは異なっていて欲しかったと切実に思う。
自分の容姿は人から言わせれば、羨ましいほど良いという。
鏡で見る自身を見て自分が感じるのは、容姿自体は悪くは無いが、無愛想な上に可愛げが無いと思う程度である。
ついぞ、羨ましがれる程の容姿を持っているとは思った事が無い。
ラスティの持つ華やかさや、パーシヴァルが持つ艶やかさ、そのどちらかが有ればまた少し違う感想を抱いただろうが、残念ながら自分にはそう言ったものは皆無であるため、面白みのない容姿だと思う以外に何もない。
だが、自分の思いとは裏腹に、周囲はその優れていると言う自分の容姿によって動いているのが事実であるようだ。
武芸を身につけているからこそによりはっきりと分かってしまう、纏わりつくねっとりとした視線は形容しがたいほどに気持ちが悪い。
打算だらけの笑みを浮かべ、まるでひな鳥の様に絶え間なく会話を続ける彼女たちに魅力など感じる事など無い。
王妃や王女達に夜の誘いを受けたのは一度や二度では無かった。
全てなんとか避けることが出来てはいるが、立場上、権力を持った彼女らが本気になれば、実に面倒な事になりかねないとは思っている。
ラスティがある程度逃げ道を作ってくれてはいるが、何時も彼が作ってくれている逃げ道があるとは限らないので、彼女たちから逃げる術を考えるのも非常に難儀だ。
彼女たちと接する時には必ず身につける、柔らかく肌触りの良い皮の手袋を机の引き出しから取り出して、また深いため息が漏れた。
その直後に頭をかすめて行ったのは、数日前に別れたロズリーの姉であるカレンの姿だった。
『……なんだかずるいっ!』
自分が弓を引く姿を見て、そう言って少し不貞腐れた彼女の姿は、不思議と今の自分の心を落ち着かせてくれた。
「そう言えば……。彼女の手は、温かかったな……」
王都に居る時は皮の手袋をした上で女性と接するようにしているため、その体温を感じる事が無いので、その手の温もりを覚える事は無い。
だから、自分でつぶやいた内容に対して自分で驚き、思わず己の手を見つめる。
礼をと思って作り渡した自分の魔石。
何故、魔石を作り、それを彼女に渡そうと思ったのか、実は自分でも良く分かっていなかった。
そうしたいからそうした、としか言えなかったのだ。
だが今、ようやくその理由が分かった気がした。
「そうか。私は彼女に直接触れる事が出来た。……だからか」
見つめた己の手を軽く握り少しだけ目を閉じて、魔石の存在を確かめてみれば、その存在はまだ消えては居なかった。
その事に、驚くほどにホッとする。
「まだ、なんとかなりそうだ」
無意識に呟いたその言葉の意味を理解するために考えを巡らすには、今は少し時間が足りない。
握った手を開いて、皮の手袋を身につけるとすぐに、部屋を後にした。