外伝 とある衛兵の恋愛事情
王都より馬車で五日ほどかかる距離にある小さな町に二つしかない、気持ち境目程度に設けられた門の東側。
簡素な皮製の鎧を身につけた青年ジャックは、早朝のためまだ眠気の残る頭を軽く振り、腰に剣を携え、足早に職場である東門へと向かった。
「おはよう」
ジャックは自分よりも一つ年上で今年二十九になる同僚エドガーに挨拶を交わし、夜間警備にあたっていた者と交代をする。
「今日は愛しのカレン殿が来ると良いな、ジャック」
にやにやした表情のエドガーをジャックはやや不機嫌に唇を尖らせて小突いた。
王都側と言われる西の門に対して、東の門は人の出入りはかなり少ない。
東門を出ても、その先にあるのは魔物が多く住む森が広がるばかりで、森の傍にある小さな村に住む村人か、あるいは道に迷って辿りついた旅人か、そのくらいの人々しか普段は東門からの出入りはしない。
だが魔物が多く住む森の側に位置するため、大人数を割くには値しないがいざという時に頼りになる者が居ないと困るという理由により、腕の立つ者が少人数で警備に当たるのが東門である。
そんな場所にジャックとエドガーがともに配属されたのは七年前の事だった。
有り余った体力を発散すべく用心棒のような仕事を趣味でしていたジャックとエドガーは、それなりに腕が立つ事を見込まれ町の衛兵になってほしいと頼まれた。
いい加減ふらふらしているのもどうかと思っていた二人は、その数日後には真新しい制服に身を包み、やや真剣な面持ちで東門の衛兵所にやってきた。
そこで二人が始めて出会った通行者の一人が彼女であった。
「おはようございます、カイル殿!」
野生の狼のような鋭さのある顔立ちだが、どこか温かみのある目をした男カイルは、細身ながらも逞しい体つきをしており、肩に自身と大差ない大きな獲物を担いでいながらも、ふらつく事などまったくせずに、穏やかに笑んで挨拶を返していた。
「誰ですか? あの人」
ジャックは先輩の衛兵に小声で尋ねる。
「カイル殿だ。腕のいい狩人だよ。あの魔物がわんさかいる森で単身平気で狩りをする人さ」
「……マジですか?」
「おお。マジだとも」
食料が減った冬場など、時折森から魔物が町にやってくる事がある。
群で来る事は先ず無いのだが、森からやってくる魔物は相当に強い。
一匹でも現れれば、魔物と対峙した衛兵のうちに必ずと言っていいほど大けがをする者が出るくらいだ。
鍛えている者がそうなのだから、そうでない者達が相手をすれば被害は甚大であり、死者が出る事も珍しくは無い。
そんな魔物が沢山いると言う森で、単身で入り平気で狩りをする人とかどんな超人だよと考えたのは当然と言えよう。
ジャックとエドガーはそれぞれ顔を見合わせ、カイルが通り過ぎるのを目で追った。
そこで始めて、カイルの後ろに一人の少女が居た事に気付く。
「あの子は?」
「ああ。カイル殿の娘さんだ。礼儀正しくて良い子だよ」
「へぇ」
見た目はカイルとはあまり似ていない。
顔立ちはいたって平凡で、それほど特徴的な部分は見当たらない。
ダークグレイの髪を左右のこめかみあたりから編み込み、頭の後ろよりやや高い位置にて奇麗に結わいている髪型が特徴と言えば特徴だろうか。
貴族でもないのにこれほど髪型に凝る者はそう居ないためやや目立つ。
だが、少年っぽい格好をしている事もあるが、派手さは不思議と感じられないし、何よりよく似あっていた。
そう思いながら少女を眺めていたジャックは見事な不意打ちを喰らう事になる。
「おはようございます!」
はつらつとした挨拶とともに浮かべられた少女の笑みに、ジャックの心はズドンと射ぬかれたのである。
それはまさに一目惚れというものだった。
当時二十一であったジャックに対し、カレンは十二。
まさか十ほど離れた少女に一目惚れするとは思いもしなかったジャックは、その時から色々と一人で思い悩む日々をおくる事になったのである。
成長期が遅かったのか、カレンの背は十六ぐらいまでは伸びていたようで、女性としては平均より少し高い程度の背丈となっていた。
その頃には、コルセットで締め上げても居ないのに、見事な曲線美を描く体つきをしており、ジャックは時折それを夢に見て「ぬをぉぉぉお!」と呻き周る事も増えていた。
もう、はたから見れば彼は単なる阿呆にしか見えない。
彼女が本当は自分よりもずっと年上なんじゃないかと疑いたくなるほどに大人びた性格だったのも見事に都合の悪い方へと作用していた。
本心を言っても世辞だなんだと、尽く軽くあしらわれてしまうのである。
これには流石にジャックは参っていた。
でも、燃え上がった恋心は弱まる事を知らずに七年もの歳月があっという間に経過したのであった。
七年の歳月がたっても、まったく進展が無いのが残念でならない。
「カレン殿にはいつだって会いたいが、あのガキには金輪際会いたくないんだがなあ」
「無理だろそれは。なんてったって、弟君だからなあ」
そんなジャックの目下の悩みはカレンの弟ロズリーであった。
ロズリーと会ったのはカレンに一目惚れした日より半年後の事である。
カイルとカレンとともにやってきたカイルに良く似た顔立ちの少年が、何をどう感じ取ったのか、姉であるカレンの腕にひっついて、「ざまあみろ」と言いたげに舌を出して思いきりジャックに敵意をむき出しにしたその様子を、ジャックはつい昨日の事のように思い出す。
それからずっと、カレンのそばにはかなりの確率でロズリーが居るようになった。
そして、カレンが余所見をしている時にこそ、ジャックにとって腹の立つ事をしてくるのである。
「あのガキ、本当にムカつくんだよっ!」
そう思っていても、どうしようも出来ない部分がジャックにはあった。
ロズリーは常にと言っていいほどカレンのそばに居るため、下手に愚痴なり態度に出したりが出来ないのである。
「カレン殿がそばにさえ居なければあんなガキ……!」
「姉さんがそばに居なければなんだよ? おっさん」
「のわっ!?」
唐突にした声の主に思わず飛び上がって驚けば、まさにそのムカつくガキことロズリーがそこに居た。
声をかけられるまでまるで気配が無かった事に、地味に冷や汗をかくジャック。
カイルに似た容姿を持つロズリーは、その似た容姿をそのまま受け継ぎ七年経った今はかなり男前な少年となっていて、例の森に単身狩りに出るほどの腕前になっていた。
ジャックにとっては実に腹正しい事この上ない現状となっているのである。
「所詮田舎町の衛兵程度で留まるおっさんなんかに、大事な姉さんを託せるわけ無いし」
「おまっ……何言って……」
野生の狼の様な鋭い視線が向けられて、ジャックは思わずたじろいだ。
それを見たロズリーは、呆れたように鼻で笑う。
「弱すぎるよ、おっさん」
本気で馬鹿にするような態度に腹が立つものの言い返せないのが今のジャックの実力である。
「あんたじゃ力不足。踏み台にもならない。むしろ邪魔」
「……くっ!」
そう言って、颯爽と町へと姿を消したロズリーの背中を苦々しく見つめたジャックは、それからしばらく悩んだ後にある決意をするのだった。
「カレン殿の踏み台にもならない? ふざけるなっ。踏み台くらいにはなってやらあ!!」
「いいのか? そんな低い目標で……」
冷静なつっこみを入れたエドガーの言葉はジャックの耳には入らなかった。
「鍛えるぞ、エドガー!」
「俺もかよっ!?」
「男は強くあるべきだっ! あのガキに鼻で笑われて悔しく無いのかお前は!!」
「鼻で笑われたのはお前であって俺じゃないんだが……」
そう言いながらも結局はジャックの剣の稽古に付き合う事になったエドガー。
気付けば田舎町の衛兵にしてはやたらと腕の立つ二人になっていた。
腹の立つカレンの弟ロズリーは、騎士になる夢があったとの事で王都へと行ったため、暫くは平和で幸せな日々が続いた。
恋の進展はまるで無かったのであるが。
そしてジャックは二十九になって不敵に笑う。
「ふっ。今ならあのムカつくガキにも勝てる気がする」
「へえ。じゃあ、やってみれば?」
「のわっ!?」
不意打ちでやってきたのは、また一段と見た目が良くなり強さも増したロズリーがそこに居た。
「勝てるんでしょ? やってみせてよ」
「ぐぬぅ……!」
結局ボコボコにやられたジャックは改めて決意する。
「今度はもっと高い踏み台になってみせるっ!」
「……踏み台が高くなってもあまり意味が無いだろう、って聞いてないか」
またつきあわなきゃならんのか? とため息をつくエドガーの心情もしらず、ジャックは今日も剣を振るのであった。