外伝 ある村娘の災難
「ひっ、ひえぇぇぇえええ!」
良くも悪くも平凡だが平穏な生活をしてきた少女は、目の前に現れた非現実的な存在を目の前にして、小さいながらも大きな悲鳴をあげて、脱兎のごとくその場から逃げ出したのだった。
始まりは今朝の事である。
アンリは普段と変わらない朝をむかえて、元気な挨拶をして家を出た所で、普段とは違う村の様子に気付き、首を傾げた。
村の最奥、すなわち村の入り口からは遠く森の入り口に最も近い場所に位置する場所に、村一番の狩人カイル一家の家の前に、見知らぬ格好の人物が数名居るのを見つけた。
そして、それを遠巻きに、されど興味深そうな様子で数名の村人がその人物たちを見つめていた。
「どうかしたの?」
「ロズリーが帰って来たみたいだよ」
「ロズリー君が帰って来たの!?」
アンリは思わず飛び跳ねて喜んだ。
この小さな村には若い男と言えば出稼ぎにも出れないほど幼い子ばかりで、働き盛りの若者はほとんど出稼ぎに出て居て普段は居ない。
なので、村の少女たちは身近に居る年の近い男に必然的に目を向ける事になり、大変少ない若い男を当然品定めする事になる。
ロズリーはその品定めされる者の筆頭的存在だった。
そして、断トツの人気を誇っていた。
あくまでこの村の中での話だが――――。
少々ぶっきらぼうだが面倒見が良い性格と、魔物も多くいる森にも単身入ってゆけるような強さをも持った頼りがいのある少年を、村の娘たち皆が心惹かれるのは当然とも言える。
アンリも例にもれず、ロズリーに想いを寄せていた者の一人であった。
なので、ロズリーが村を出た時に悲壮感にくれ涙を流した時とは逆に、歓喜で胸がおどり、今すぐにでも彼の姿を見たいと駆けだそうとしたところを、容赦なく止められた事に憤慨した。
「やめておきな」
彼女を止めたのは、村の薬師を務める老婆である。
やや偏屈なきらいはあるものの、薬師としての腕は確かで、物事を客観的に見つめる目を持つ老婆は、基本的には放任主義な人物である。
そんな老婆が止めに入ったと言う事に、アンリはこの時もっとしっかり考えをめぐらせておけばよかったと近い将来思うのだが、残念ながら現時点では老婆の言葉を受け入れることなく、想いを寄せていた少年の家へと駆けて行ったのだった。
家の中で何やら会話をしている様子を、アンリを含む年頃の女の子数名と共に少し身を隠しながらも窓からのぞき見てた瞬間、彼女たちはその頬を朱に染めた。
「すごい、すごいっ、すごいっ!」
声を抑えてかなり小声ではあるものの、その興奮具合はかなりのものだった。
まず窓から見えたのは家の住人たちである。
結婚適齢期を迎えても尚未だ相手を作らない変わり者の女性カレンが主に口を動かしているようで、少し場所を移動したカレンの傍にやってきたのはロズリーだった。
一年前とはかなり雰囲気が変わっており、背が伸びて体の厚みが増した様子で大人っぽさがぐっとあがった。その分魅力もあがっている。
「ロ、ロズリー君、かっこいいっ!!」
誰かが言った言葉に、誰もがぶんぶんと音がなりそうな感じで頷いた。
次に見えたのは、やたらとキラキラした空気を纏った男性だった。
「……王子様みたい」
まさに本の世界に良く出てくる白馬の王子様よろしく、恐ろしくキラキラな男性だった。
整った美しい容姿は圧巻で、ゆるくウェーブのかかった黄金色の髪が、蜂蜜を口いっぱいに頬張ったような甘さをさらに追加して、よりその姿を引きたてていた。
頬笑みが無駄に少女たちの血圧をあげる効力を持っていたので、アンリは思わず自分の鼻を押さえた。
アンリの隣に居た少女は残念ながら鼻から血を流して脱落した。
「うわっ……」
その人物が見えた瞬間、アンリは思わず身震いをした。
「氷の王子様みたいだね」
巨大な氷から彫りぬいたような、という表現をすれば納得してもらえるだろう。
冷やかな空気を全身に纏った男性だった。
ちらりとこちらに一瞬だけ向けられた視線が余りに冷やかだったので、その一瞬で心が凍えてしまった。
さっきの火照った体はどこだ。
残念ながらまた一人、冷やかな視線にあてられて脱落した。
最後にみえたのは、先ほどの凍てついた空気を塗り替えるほどの陽気な雰囲気を全身から醸し出している男性だった。
先ほどの二人とさして変わらない服装なのだが、かなり着崩されており、それが不思議と下品とは感じさせずに、彼を魅力的にみせていた。
彼もまたこちらに視線を向けて、その風貌通りの陽気な笑みをうかべで、こちらに小さく手まで振ってくれた。
「かっこいいよー! 優しいよー!」
きゃっきゃ、きゃっきゃと小さく叫びながら、少女たちはそれなりに隠していた身を気にすることなく手を振り返したのだった。
その様子を窓の内側から見ていたカレンが、何故だか凄くげんなりとした表情でため息をついていたのだが、それを知る者はいなかった。
とにかく華やかな面々を目にして興奮していた少女たちは、扉が開いて彼らが出て来た所を見逃すはずが無かった。
先に出て来たのは陽気な風貌の男性パーシヴァルと、対照的に冷やかな風貌の男性フェルラートの二人である。
「はじめまして、お譲さん方」
気軽に声がかかり、少女たちは小さく歓喜の悲鳴をあげた。
アンリはあまりに近くに来た彼らを、目を丸くして見つめて、火照った頬をに手をやり、緩んだ口元を必死で抑えてみたものの見事に失敗した。
「ロズリーから話を聞いてはいたけど、なかなか雰囲気のいい村だね」
「あの……ロズリー君とお知り合いなんですか?」
「うん、まあね。ラスティさん……窓から見てたからわかるかな? あの金髪のキラキラしたひと。あの人の従者を今ロズリーがやっててね。俺らはその先輩なんだ」
「えっ!? ってことは」
「俺らは騎士なんだ。残念ながら、休暇中だから制服着ていないけど」
そこで一気に少女たちに火がついた。
「騎士様をこんな間近で見れるなんてっ!」
一気に騒がしくなったところで、さらに騒がしくなる要因が投入された。
無駄にキラキラな人、ラスティの登場である。
「おやおや、賑やかだね」
彼の周りでは有名な言葉、天然たらしのラスティの笑顔が炸裂し、何人かの少女は腰砕けになる。
倒れそうになる少女を助けようとラスティとパーシヴァルが手を伸ばせば、あまりに近くに来過ぎた彼らの顔を見て、幸せそうな表情で意識を手放していた。
アンリはそれが羨ましくてたまらなかったが、残念な事に彼女はそれなりに免疫があるのか、倒れ込むだけの要素を持ち合わせていなかった。
唯一少女たちに近寄らなかったフェルラートは、カイル一家の玄関口の横の壁に背を持たれて無言でその様子を見ていた。
アンリはそんな彼の姿を横目で見ていて「素敵!」と思ってしまった。
それが、彼女の最大の過ちであった。
ちなみにこの時すでに、ロズリーに対して抱いていた想いは見事に吹き飛んでいたのは言うまでも無い。
「ロズリーはまだ少しご家族との団欒を過ごすと言っているから、それまでの時間、よければ村を案内してくれないかな?」
ラスティの申し出に、少女たちは声を揃えて言った。
「もちろんです!!」
その後、最初に居たアンリを含めた少女たちと、その他騎士たちに魅了された女性陣も混ざってかなり村が騒がしくなったのだが、彼らが森小屋へと早々に発った後に、彼らと知り合いであるカレンに文句を言いに行ったところ。
「いい加減にしないと、全員埋めるわよ?」
笑顔でキレたカレンを前にして文句を言える者は居なかった。
女でありながら魔物が多く住む森に単身入る事の出来る彼女の実力は本物で、やると決めたら必ずやる人である事は、村人の誰もが知っている事実である。
誰もが顔を引きつらせて、平謝りして一目散に家に帰って行ったのだった。
だが、その日の熱は、そう簡単に下がるものでは無かった。
それから数日後の事である。
カレンと共にフェルラートが村に来ていた。
それを見つけたアンリは、ちょっと前のカレンの様子を思い出して少し逃げ腰になりそうになりながらも、丁度何事かを話し終えてカレンが離れて行ったのが見えたので、勇気を振り絞ってフェルラートのところへと足を進めた。
薬師の老婆に止められた事。最初にフェルラートを見て感じ取っていた印象。倒れる少女たちを助けに行きもしない彼の態度をちゃんと理解していれば、アンリは過ちを犯す事は無かったのだが、時既に遅し。
「あの……」
声をかけた瞬間に、アンリは絶対零度の射殺す様な視線をもろにくらってしまったのだった。
「ひっ、ひえぇぇぇえええ!」
整った顔立ちこそ凶器であった。
今までの人生で一度たりとも向けられた事の無い、気合いの入った殺意が、その整った顔に浮かべばそれだけで鋭利すぎる凶器である。
見事にぐさりと致命傷をくらい、蒼白となった顔でアンリは全速力で自宅へと逃げ帰った。
「コワイコワイコワイっ」
アンリは全力で自分の行動に後悔し、消えない記憶を必死で消そうと思って失敗し続けたのであった。
「だからやめておけと言ったろうに」
それからしばらく、世にも恐ろしい御面相が頭から離れる事がなかったため、見事に寝不足となり、薬師の老婆にお世話になることになったアンリは、ごもっともでしたと呻いて肩をおとしたのだった。
ちなみに後日、華やかな騎士たちと普通に会話をしていたカレンに三人の印象を尋ねたところ。
「ラスティ様のキラキラは目に痛いわよね。パーシヴァル様は普通に話しやすい人よ。ちょっと遊び人風な所があるけど、常識的な人ね。でも、フェルラート様が一番話しやすい人だったわよ? 表情あまり読めないけど」
見事に自分の印象と食い違うその言葉に、アンリは愕然として、また地味にへこんだのだった。