シリーズ1・第四話
その日の昼過ぎ――、
「及川さん」
メグルと哉曽吉が取材を終えて事務所に戻ると一人の記者が駐車場で待ち構えていた。
マスコミ関係者の中でも強引な取材をする事で有名な御木本という男だ。
「……何ですか?」
メグルはやや警戒しながら足を止めた。
「今朝、報道されてた『誤認逮捕されたカメラマン』って、あなたの事ですよね?」
口端を上げてゆっくりと近付いて来た御木本。
「アンタ、なんでその事……っ」
「ゲン」
御木本の挑発とも思える行動にまんまと乗せられた哉曽吉。
メグルは小声でそれを制した。
「やっばりそうなんだ?」
ククッと笑う御木本に哉曽吉は『しまった』と言わんばかりに顔を顰めた。
「特ダネを落としたって聞きましたけど?」
「……他の記者やカメラマンの姿がないようですけど、皆さん帰られたんですか?」
メグルは御木本の質問には答えず、逆に質問を返した。
今朝、メグルが出勤して来た時は他に数人の記者とカメラマンがいた。
それが今は目の前にいるこの御木本というあまり評判が良くない記者一人……メグルはそれを不審に思ったのだ。
「『誤認逮捕されたのはここの事務所のカメラマンじゃないらしい』ってちょっと俺がガセネタを流したら、
ホイホイどこかへ行ったよ」
「そうですか」
メグルはまるで予想していたかのような返事を返した。
「それで? あなたなんでしょ? 誤認逮捕されたカメラマンというのは」
「……」
御木本の質問には答えずじっと見つめ返すだけのメグル。
「……」
そんな二人の様子を哉曽吉も黙って窺っている。
「じゃあ、特ダネを落としたのも本当なんですね?」
「……書きたければ勝手にどうぞ?」
すると、自信たっぷりに訊く御木本にメグルは顔色一つ変えず言い放った。
「何?」
眉根を寄せる御木本。
「メグさんっ?」
哉曽吉はメグルに視線を移した。
「あなたは誤認逮捕の一件を詳しく知っているようですね。他の記者達が知り得ていない情報を
一体どこで手に入れたのかは知りませんが、誤認逮捕されたのが俺かどうかはともかく、
記事にしてくれれば俺の名前が売れる事は確かです。しかし、あなたには何のメリットが?
他の記者達にガセネタを流した事で業界から信頼を失う事はもちろん、そんなあなたを雇っている会社も
多少なりとも信頼を失うでしょうね。更に俺が名誉毀損であなたとあなたの会社を訴えたらどうなるでしょう?」
「……っ」
「だけど、俺はそんな大袈裟な話にするつもりはありません。だから……取引をしませんか?」
「……取引?」
御木本は怪訝な顔で訊き返した。
「あなたがこれ以上、俺や星川署の刑事に付き纏わない事を約束して頂けるなら
俺の顔と名前等は全て伏せるという条件を付けた上であなただけにコメントをします。
それであなたは他の記者達を出し抜けるし、俺の顔も名前もわからなければ
あなたがガセネタを流したとはバレないでしょう?」
「……そうだな」
「そういう事でいいですか?」
「あぁ」
御木本はそう返事をすると胸元のポケットからボイスレコーダーを出した。
◆ ◆ ◆
「ただいま戻りました」
「戻りっすー」
御木本との“取引”を終えたメグルが哉曽吉と共に事務所に戻ると、すぐに谷野に呼ばれた。
「メグル、ちょっと」
「はい」
「例の件、顧問弁護士とも相談して星川署側への損害賠償とお前への慰謝料の金額をとりあえず決めた」
「……キャップ、その事なんですが、いくらスクープとは言え、あれは俺がたまたまあの場を通り掛ったから
撮れたものですし、スキャンダル続きの俳優ですから今更すっぱ抜いたところで新鮮味がないと思うんです。
ですから……今回の事は今日現在、俺に来ている依頼を全て受けるという事で済ませては頂けませんか?」
「メグル、今お前に来ている依頼全てって……グラビアの撮影もあるんだぞ?」
「えぇ、構いません。それで全て丸く収まるのなら。本当は『もっとすごいスクープを撮って来てみせます』なんて
言えたら格好良いんでしょうけれど、確実ではないですからね。
それに慰謝料の事も俺は受け取るつもりはありません」
「……わかった。お前がそこまで言うのなら」
谷野は苦笑してメグルに来ている仕事の依頼を整理し始めた――。
◆ ◆ ◆
――翌朝。
(あれ?)
出勤してきたタマキは星川署の前で足を止めた。
昨日は大勢いた記者達がいなくなっているのだ。
(……なんでだろう?)
タマキは首を捻りながらデスクに着いた。
「どうしたの? 朝から難しい顔をして」
そんなタマキに竹岡が声を掛ける。
「それが……昨日、たくさんいた記者達が今朝は一人もいなくなってるんですよ」
「あー、そう言えばそうだね。上層部から圧力でも掛けられたんじゃねぇのかな?」
「そうなんですかね?」
それにしても腑に落ちない。
誤認逮捕してしまったのはベテラン刑事ではなく新人の自分だ。
新人の為に上層部が動くだろうか?
「新人が記者に囲まれて余計な事をベラベラ喋られたら困るから、上層部が手を回したんじゃねぇの?」
タマキと竹岡が首を捻っている中、意地悪そうに言ったのはやはり長原だ。
「……それもそうですね」
内心、ちょっとカチンときたタマキだったが、確かにそうかもしれないと思い、
態とにっこり笑って言った。
「……」
てっきりタマキがヘコむと思っていた長原は笑みを浮かべた彼女の様子にムッとした。
「おぃっす」
すると、そこへ是永が出勤してきた。
「「おはようございます」」
挨拶を返すタマキと竹岡。
「……」
だが長岡はムスッとしたままだ。
その様子でまた何かあったのだとなんとなく察しつつ、是永はデスクに着くと
無言でスポーツ新聞の一面が見えるようにタマキの目の前に置いた。
「え……」
新聞の記事に目を疑うタマキ。
そこには“誤認逮捕のカメラマン、独占取材!!”と大きく見出しがあった。
「何故、及川さんがこの新聞社の取材だけ受けたのかはわからないが、写真も載ってないし、
名前も年齢も伏せられているからそれが条件だったのかもしれないな」
「……」
タマキは新聞を手に取って記事を読み始めた。
内容はタマキ達の前で言っていたように今回の事に関して何も遺恨に思っていない事、
なるべく穏便に済ませたいという事、警察に対しては迅速に真犯人を逮捕した事で不信感は持っていない、
誤認逮捕してしまった新人刑事、つまりタマキに対しても今回の失敗をトラウマにせず
教訓としてこれからも一生懸命頑張って欲しい、
更にスクープを落としたという情報はガセネタであるとコメントをしていた。
「スクープを落とした事はガセネタって……でも、あちらの社長さんは確かに落としたって言ってましたよね?」
「それは昨日、谷野社長が『あいつに何か考えがあるんでしょう』と言っていたから、
及川さんが社長に話をつけてくれたのかもしれないな?」
「そんな……一体、どうやって……」
「朝井」
タマキが俯いて考えていると、署長の芦田が捜査一課の部屋に入って来た。
「はい!」
スクッと立ち上がるタマキ。
「今、谷野社長から正式に『今回の事は全て不問にする』と電話があった」
「「「「え……」」」」
芦田の言葉に驚きを隠せないタマキ。
傍にいる是永と竹岡、それに長原も同時に声を上げた。
「損害賠償の事も慰謝料の事も気にしなくて良いそうだ」
「で、でも、署長……どうしてですか?」
タマキはどうにも腑に落ちない様子で訊ねた。
いや、腑に落ちていないのはタマキだけではない。
「全ては及川氏が手を回してくれたお蔭のようだ」
「……っ」
タマキは絶句した。
一体、彼は何をしたのだろう――?
「朝井、今回はたまたま誤認逮捕をした相手がお前の味方になってくれたから良かったが……、
二度とこんな事が起こらないようにな?
私達の仕事はちょっとした判断ミス、早とちりが取り返しのつかない事にも発展する可能性もある。
それは今回の事で朝井も身に沁みてわかった事だろう。
だが、及川氏も言っている通り、これを“トラウマ”とせず、“教訓”として受け止めて
これからも頑張って欲しい」
「はいっ!」
タマキは肝に命じる様に大きな声で返事をして敬礼をしたのだった――。