シリーズ1・第一話
――五月。
ゴールデンウィークも終わり、ようやくいつもの生活サイクルに戻った頃、
夜景がよく見える高台の公園に二人の男の姿があった。
「なーんか、周りがみんなカップルなのに野郎二人で夜景の撮影なんて、
仕事とはいえ虚しいっすねー」
一人は源五郎丸哉曽吉。
カメラマンの助手をしている二十五歳の若者だ。
本日の撮影ポイントに車を停め、運転席でぼやいた哉曽吉は溜め息を吐いた。
「そんな愚痴言ってると余計虚しくなるぞ?」
そう助手席で苦笑いをしたのはもう一人の男、及川環、三十二歳。
哉曽吉の師匠でカメラマンの彼がこの物語の主人公の一人である。
「まぁ、そうっすね」
哉曽吉はメグルと共に車から降りると、さっそく撮影の準備に取り掛かった。
そして、いざ撮影を始めようとメグルがカメラを構えたその時――、
「ちょっと、あなた達! そこで何をしているの!」
後ろから声を掛けられた。
いや、どちらかと言えば“怒鳴られた”感じではあるが。
メグルと哉曽吉が振り返ると、そこにはグレーのパンツスーツ姿の女性が腕組みで仁王立ちをしていた。
見たところ二十代前半だろうか。
「まさか、カップルを隠し撮りしているんじゃないでしょうね?」
ツカツカと大股で歩み寄って来る女性。
「アンタの方こそ何だよ? 俺達はここで夜景の撮影をしているだけだ」
短気な哉曽吉は彼女の物言いにカチンと来たようで、やや喧嘩腰になった。
「ゲン」
メグルはそんな哉曽吉を宥めながら女性の方に向き直った。
「公園の管理事務所の方ですか?」
「いいえ、こういう者よ」
女性はメグルの質問に答えるべく、ジャケットの内ポケットから警察手帳を出して二人に見せた。
名前は朝井環。
二十歳の新人刑事で彼女がこの物語のもう一人の主人公である。
(俺と同じ名前? いや、女の子だから“たまき”かな?)
「職質なら初めから警察手帳出しゃいいのに……」
ボソリと呟く哉曽吉。
「この辺りは最近、女性を狙った痴漢や隠し撮りが多発しているからパトロールをしていたところなの」
「そうですか。けど、俺達はちゃんと許可を得た上での撮影ですから」
メグルは公園の管理事務所が発行した撮影許可証をタマキに見せた。
「これ、本物でしょうね?」
しかし、どこまでも疑うタマキ。
「そんなにお疑いならその許可証に載ってる管理事務所の連絡先に問い合わせしてみたらどうですか?」
それでもメグルは哉曽吉とは対照的に淡々とした口調で言った。
「……」
その様子にタマキはやや眉間に皺を寄せ、撮影許可証をメグルに返した。
「わかったら、撮影の邪魔だから帰ってくれる?」
哉曽吉がムッとしたままの顔で言い放つ。
「…………」
すると、タマキは苦虫を噛み潰したような顔で踵を上げ、スタスタと歩いて行った。
「……ったく、なんなんすかねぇ? 今の」
哉曽吉は彼女の後姿を睨み付けながら吐き捨てるように言った。
「女だからって舐められたくなくて態と強い口調で言ったんだろ」
だが、メグルは特に気にしている様子もない。
「メグさんて“大人”っすね?」
「そう考えれば腹も立たないって事だよ。それより、ちゃっちゃと撮影終わらせて帰ろうぜ」
「はいっ」
哉曽吉はビシッと敬礼して返事をすると、メグルのサポートをするべく彼の傍らに駆け寄った。
◆ ◆ ◆
その数日後――。
メグルが仕事帰りにある高級マンションの前を通り掛かると……、
(あれは……)
ただいま人気絶頂の俳優がこれまた超人気女性アイドルの肩を抱いてマンションに連れ込んでいた。
すぐさまいつも持ち歩いているコンパクトサイズのデジカメで撮るメグル。
周りには記者やカメラマンらしき人物はいない、この現場を押さえたのはどうやらメグルだけのようだ。
そうなると大スクープになる事だって有り得る。
メグルはデジカメに収めた画像を確認して踵を返すと足早に事務所に向かって歩き始めた。
そして事務所まで後、数十メートルの所まで戻ったその時――!
「待ちなさい!」
後ろから声がして腕を捕まれた。
「え?」
メグルが足を止めて振り返る。
すると、そこには先日、丘の上の公園で会った女性刑事・朝井環が立っていた。
「またあなたなの?」
怪訝な顔をするタマキ。
(それはこっちの台詞なんだが……)
「あの、何ですか?」
「婦女暴行の現行犯であなたを逮捕します」
ガチャンと音を立てメグルの手首に嵌められる手錠。
「え? ちょ……っ」
「言い訳は署の方でたっぷりと聞くわ」
「待てよ、一体何を根拠に……っ」
「目撃証言」
「はぁっ?」
「被害者と目撃者の証言が一致しているの」
「何だよそれ? 俺の言い分も聞かずにいきなり逮捕?」
「だから、言い訳なら署の方でゆっくり聞いてあげるわよ」
そう言いながらタマキは無理矢理メグルを車の後部座席に押し込めた。
「…………」
メグルは今は何を言っても仕方がないと観念し、後ろに見える事務所を見つめながら軽く溜め息を吐いた。
(せっかくのスクープなのに……)
「朝井、容疑者を逮捕したって?」
警察署に入るとすぐに一人の男性刑事が駆け寄って来た。
「はい、この男です」
「思いっきり誤認逮捕ですけど」
メグルは二人に聞こえるように呟いた。
眉根を寄せるタマキと男性刑事。
「そんな事を言ってられるのも今のうちよ」
タマキはそう言うと取調室のドアを大きく開けてメグルに中に入るよう顎で指示した。
「是永さん、お願いします」
メグルを椅子に座らせるとタマキは一緒に取調室に入った男性刑事・是永多美男に言った。
「今回は初めてお前一人で逮捕した容疑者だろ? 取り調べもお前がやってみろ」
「え……、は、はいっ」
タマキは少し嬉しそうに返事をするとすぐに再びキリッとした表情に戻り、メグルの向かい側に腰を下ろした。
「まず、あなたの名前と年齢を言いなさい」
「及川環、三十二歳」
「一応、偽名は言っていないようね」
メグルの荷物を全て取り上げた後、免許証から書き写したのか彼の名前や年齢、住所や連絡先までもが既に調書として
タマキとその横に立っている是永の手元にあった。
「それで? 俺はいつどこででどんな風に女性に暴行を加えたと言うんですか?」
メグルはやや不機嫌そうに口を開いた。
「それを今からこっちが訊くんでしょうが」
「いや……だから、俺は誤認逮捕で連れて来られたんだから、何を訊かれたって答えられないですよ」
「まだそんな事を言ってるのっ」
「なら、逆に訊きますけどその目撃情報ってなんなんですか? その人達が俺の顔を見て
『あの人です』って言ったんですか?」
「そんな事、容疑者のあなたに言える訳ないでしょっ!」
「朝井、落ち着けよ。これじゃまるで子供の喧嘩だぞ?」
見かねた是永が思わず制止に入る。
「……すみません」
「まず犯行があった時間、どこにいたのか訊いてみれば?」
先輩らしく的確な指示をする是永。
「はい」
タマキは返事をしてメグルの方に向き直った。
「今日の午後六時から七時頃、あなた、どこにいたの?」
「その時間でしたら……新宿である人物を取材の為に張っていました」
「新宿? 品川じゃなくて?」
「えぇ、新宿です。証人もいますよ。仕事仲間ですけど」
「……ある人物って誰を張っていたの?」
「それは言えません」
「何故?」
「いくら取調べだとは言え、俺は無実ですから仕事上、秘密にしておきたい事まで話す必要はないからです」
「無実かどうかは私達警察が決める事よ」
「…………なるほど……冤罪がなくならない訳ですね」
メグルはフッと軽く溜め息と共に本音を吐き出した。
「なんですってっ?」
バンッとデスクを両手で叩き、立ち上がるタマキ。
「俺は訳もわからず、あなたにいきなり手錠をかけられて連れて来られたんですよ?
しかも罪状が『婦女暴行』なんて身に覚えのない事を……急ぎの仕事だってあるし、
その後、人と会う約束もしてるって言うのに」
そもそもメグルがあの高級マンションの前を通り掛ったのも待ち合わせ場所に向かっている途中だった。
しかし、思いがけずスクープが撮れた為、事務所に引き返していたのだ。
「それは残念ね。犯人のあなたは罪を認めなければこのまま拘束されるし、
認めたとしても拘置される事になるんだから、どちらにしても仕事も出来ないし、約束も破る事になるわ」
「あ、そ……もう話にならない……だったら、好きなだけ俺の事を調べればいいし、
ここに拘束しておけばいい。ただその代わり俺が無実だとわかった時はそれなりの責任を取って貰いますよ?」
「な、何よ……脅してるつもり?」
メグルの鋭い目つきに怯んだタマキ。
「別に」
「私に刑事を辞めろとでも言うの?」
「そこまでは言ってないですよ。せっかく撮ったスクープが台無しになった時の損害賠償をして頂ければ」
メグルはそう言うともう何も喋りたくないという顔で黙り込んだ――。