塔の扉に刻んだ“帰還条件”
玄関ホールの石床に、淡い光が広がっていく。
新しく描いた魔法陣が、扉へ向かってじわりと染み込んでいった。
塔の扉は、もともと複雑な結界で守られている。
外からの侵入者を拒むためのもの。
だがそれでは足りないと、三週目の途中で気づいた。
侵入者を拒むだけでは、不十分だ。
“出ていく者”をも制限しなければならない。
特に――エマを。
「出入りの条件、再設定……」
魔力を込めながら、扉の縁に指で符をなぞる。
新しい条件はひとつだけだ。
“エマが触れている状態でなければ、俺も扉を通れない”
“エマだけでは扉は開かない。必ず俺と一緒でなければならない”
安全のため、という建前は保てる。
外が危険だから。魔力の流れが不安定だから。
理由はいくらでも並べられる。
だが、それだけではない。
一度覚えた不安は、簡単には消えない。
もしエマが「ちょっとそこまで」と一人で出て行って、
もしその数分の間に、誰かが、何かが――
「……くだらない妄想だ」
わかっている。
この世界がすべて敵というわけではないことも。
街の人間の中には、エマに好意的な者もいることも。
それでも、一週目の光景は消えてくれない。
血の匂いと、途切れた呼吸と、伸ばした指先の冷たさが、今でも脳裏に焼きついている。
三週目の俺は、その記憶を抱いたままエマの前に立っている。
「……これでいい」
扉の魔法陣が、静かに収束する。
条件はすべて刻み込まれた。
エマは、最初きっとこう言うだろう。
『え、手つながないと外出できないの!?』
声を上ずらせて、目を丸くして。
そのあと、少し頬を赤くして、
「……まあ、いっか」と照れ隠しにツッコミを入れる。
その全てを、俺は知っている。
何度も彼女の反応を想像しながら、魔法陣を調整したのだから。
この扉は、エマのために開く。
だが、それは同時に――
「エマが俺と一緒に帰ってくるための扉」でもある。
帰還条件を扉に刻むのは、
エマの自由を奪うためじゃない。
彼女の「帰る場所」を固定するためだ。
「塔に帰ろう」と言ったとき、
エマの頭に浮かぶ景色が、いつも“俺のいる場所”であるように。
そのためなら、扉ひとつにだって、いくらでも魔法を重ねる。




