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名前を呼ばれるだけで
夜。
塔の灯りが落ち、暖炉の光だけが二人を照らしている。
エマは紅茶を飲みながら、なんとなく呟いた。
「ねえ、リュカ。私……自分の名前、けっこう好きになってきたよ」
「なぜだ」
「リュカが呼んでくれるから」
カップを置いたリュカの指が、ぴたりと止まった。
静かな沈黙が流れる。
「……エマ」
名前を呼ぶ声が、他の誰よりも優しい。
「エマ」
今度は、少しだけ熱がこもる。
「エマ」
三度目は、グッと心をなぞるように甘く。
胸の奥が、痛いくらいあたたかくなる。
「……そんなに呼ばれたら、なんか……変な感じする……」
「いいことだ」
「よくないよ!」
「おまえが、自分の名前を俺だけのものみたいに感じていればいい」
「感じないよ!? ……いや、ちょっと感じてるけど!」
「なら、もっと呼ぶ」
「リュカが呼ぶたびに心臓死ぬの!」
「死なせない」
「そこは即答!?」
しかし、リュカはふっと表情をゆるめた。
「だが――それほど、響いているのだろう?」
「……そう、だけど……」
「なら、嬉しい」
その一言に、エマは完全に負けた。
心が、とろけるほど嬉しかった。




