第8話 帳簿に刻まれた御印(みしるし)
よろしくお願いします。
王城地下の証拠保管室ーー
石壁に冷たい魔導灯が淡く揺れ、静寂が耳を刺す。
わたしと殿下は、ヴォルフ副団長に案内され、
父の“反逆の証拠”とされた帳簿の前に立っていた。
(……これが、父を罪人にした帳簿……)
胸の奥で、ゆっくりと熱が沸き立つ。
だが、感情で判断してはならない。
前世の教官として染みついた“手順”が、冷静さを呼び戻す。
「ヴォルフ副団長。
封印を解除します」
「はっ!」
封蝋を魔導印で開封し、帳簿が机に置かれる。
殿下は帳簿を見つめ、静かに言った。
「——アリシア。“あれ”をしてくれ」
昨日の講義で皆の常識を変えた“御印の捜査”。
殿下はすでに、その価値を理解している。
「承知しました」
わたしは深呼吸し、魔導紙と妖灰粉を広げた。
「まず、触る前に魔導写晶で記録します」
殿下がうなずき、ヴォルフが写晶を構える。
全ページ、表紙、側面……
触れる前の状態をすべて残す。
(これが“現場保存”……この世界に必要な基礎)
「では、妖灰粉を」
わたしは粉を細かく振りかけ、魔導紙を密着させる。
表紙、1ページ目、裏表紙……丁寧に、慎重に。
やがて紙をそっと剥がすと——薄い線の模様が浮かび上がった。
「……出ました。御印です」
「見せてくれ」
魔導士が投影すると、
魔導板に3種類の“指紋”が拡大される。
1:父と一致する指紋
2:不明者の指紋
3:もうひとつ、不鮮明な指紋
殿下の表情が鋭くなる。
「……ヴァレンティン公爵の指紋か?」
「はい。ですが——」
指し示す。
「これは“ページの端”、つまり帳簿を持ち上げた跡です。
内容部分に触れた指紋ではありません」
「……つまり、“書いた証拠にはならない”ということか」
「はい。しかし——」
わたしははっきりと言った。
「“書いていないと断言もできない”段階です」
殿下はぐっと息をのみ、静かにうなずいた。
「……慎重だな。いいことだ」
そう、まだ断じてはいけない。
前世で何度も戒められてきた言葉が胸に響く。
——“捜査官は、推測より証拠を信じろ”。
◇ ◇ ◇
■決め手は“不明者の指紋”
「殿下。こちらをご覧ください」
わたしは、新たに浮かんだ第二の指紋を指さした。
「これは……?」
「父のものとは一致しません。
ですが筆跡の横に残っています」
「つまり——“書いた者の指紋”の可能性がある、か」
「その通りです。
この指紋の主を突き止めれば、“帳簿の作成者”に辿り着けます」
殿下の瞳が鋭さを増す。
「ヴォルフ副団長」
「王城関係者の指紋採取を開始する。
文官、侍従、魔導士……帳簿に触れる立場の者を中心にだ。
ただし——秘密裏に進めろ」
ヴォルフは凍りつくような表情でうなずく。
「かしこまりました。殿下……
ですが、この人数の採取はかなりの日数が……」
「やる価値はある。
王国の未来がかかっている」
殿下の声には迷いがなかった。
(殿下……本当に覚悟を決めたんだ)
講義を通じて、生まれた“信頼”。
殿下の中で、確かに何かが変わった。
◇ ◇ ◇
■軽々しく言ってはならない言葉
「アリシア」
「はい、殿下」
「きみは……公爵のことを、どう見ている?」
殿下の問いは重い。
わたしは迷わず答えた。
「わたしの心は“父は書いていない”と叫んでいます。
ですがーー口にすべきではありません」
「……なぜだ?」
「“冤罪だ”という言葉は、証拠が揃うまで言ってはならないからです」
これは、前世で学んだ“覚悟”だ。
「殿下。
わたしは感情ではなくーー証拠で父を救います」
殿下の表情がわずかに和らぐ。
「……そうだな。今のきみらしい」
◇ ◇ ◇
■捜査の第一歩
「帳簿の指紋は採取完了です。
次は“比較対象”を集める段階に移ります」
「つまり、真犯人捜しは——これからが本番、だな」
殿下の言葉に、わたしは強くうなずく。
(お父様……まだ決して安全ではありません。
でもーー必ず辿り着きます)
帳簿が示したのは、
“父の潔白”ではなく、
“捜査すべき影が存在する”という事実。
ーー真実は、まだ霧の向こう。
けれどわたしたちは確かに、一歩踏み出した。
「殿下。
“御印の主”を必ず見つけます」
「頼んだ、アリシア。
私も決して諦めない」
わたしと殿下の共同捜査はーー
ここから本格的に動き始めた。




