第1話 悪役令嬢、婚約を破棄されて思い出す
初めての連載になります。できれば毎日更新したいと思ってますので評価,感想などよろしくお願いします。
「アリシア・ヴァレンティン。
――きみとの婚約を、ここで破棄する。」
高い天井に、その声だけがやけに澄んで響いた。
音楽が止まる。
笑い声も消える。
王城の大広間にいた誰もが、グラスを持ったまま凍りついた。
……うん、知ってた。
これ、いわゆる「公開婚約破棄」ってやつだ。
わたし――アリシア・ヴァレンティン公爵令嬢は、
目の前でまっすぐこちらを見据える王太子レオンハルト殿下を見上げながら、
心のどこかで妙に冷静にそんなことを考えていた。
ざわ……と周囲の空気が揺れる。
「ついに……」「やっぱりね」「殿下もよく我慢なさったわ」
「相手はあのヴァレンティン家だぞ」「でも、被害令嬢のことを思えば――」
ひそひそと交わされる声。
刺すような視線。
わたしは、ドレスのすそを踏まないように一歩前へ出た。
「……理由を、うかがってもよろしいでしょうか。殿下」
自分の声が、少しも震えていないことに、
自分でいちばん驚いていた。
レオンハルト殿下は、ほんのわずか目を細め、
そのまま大広間全体に向けて宣言する。
「理由は二つだ。
一つ、きみが度重なる醜聞といじめ行為で、
王妃となる器ではないと判断したこと。
一つ、被害を受けた侯爵令嬢エレナ・グリフィスの訴えに、
十分な信憑性があると確認したことだ。」
ああ、来た。
――悪役令嬢断罪ルート、ってやつだ。
「アリシア・ヴァレンティン。
きみとの婚約は、ここに白紙とする。」
その言葉と同時に、
殿下の手から、わたしの薬指にはめられていた指輪が外された。
冷たい感触が消える。
かわりに、胸の奥がすうっと冷えていく。
でも、泣きたいとか、取り乱したいとか、そういう感情は――不思議と湧いてこなかった。
だって、わたしは知っている。
この場に立っている「アリシア」が、
本当にろくでもない人間だったことを。
それからもう一つ。
この瞬間が訪れるだろうってことを、
心のどこかで、最初から分かっていたことを。
◇ ◇ ◇
――視界が、赤く染まっていた。
金属の匂い。
誰かの叫び声。
床に落ちる、自分の血の音。
『おい! しっかりしろ、××!(※本名)』
『救急! 刺創! 意識レベル低下!』
必死に誰かが肩を揺さぶってくる。
でも、指先に力が入らない。
目の前には、さっき取り押さえようとした男の顔があった。
さっきまで泣きそうな顔で「やってないんだ!」と叫んでいた容疑者。
彼の手には、血のついた包丁。
『……なんで、こんな……』
ああ、そうだ。
わたし、刺されたんだっけ。
警察官として十年。
いろんな現場を見てきた。
冤罪も見てきた。
それでも、最後の最後で――。
視界が暗くなっていく。
耳鳴りの向こうで、誰かが泣いている。
ごめん。
まだ、やりたいことがたくさん――。
そこで、記憶は途切れた。
◇ ◇ ◇
――そして気がついたとき、
わたしは豪奢な天蓋付きのベッドの上で、
「アリシア・ヴァレンティン」として目を覚ました。
最初は夢だと思った。
でも鏡に映る金髪碧眼の少女と、口うるさい侍女たちと、
何より「公爵令嬢」としての生活が、それを否定していった。
状況を整理するのに時間はかからなかった。
これはもう、「前の世界」じゃない。
警察官として働いていたあの国でも、
あの街でもない。
わたしはたぶん、一度死んだ。
そして、気づいたらこの世界の公爵令嬢の身体に入っていた。
……よりにもよって、「悪役令嬢」の。
◇ ◇ ◇
「アリシア嬢。何か言うことは?」
殿下の静かな問いが、現在に引き戻す。
大広間の視線が、一斉にわたしへと注がれているのが分かる。
中には、あからさまに嘲笑を浮かべている者もいた。
――そうだろうな。
元のアリシアは、
気に入らない相手を平気で侮辱し、
気に入らない侍女を平気で泣かせ、
殿下の周りを取り巻く令嬢たちを平気で踏みつけてきた。
事情を知れば知るほど、
殿下の「婚約破棄」はむしろ遅すぎたくらいだと思う。
だからわたしは、深く息を吸い込んで、ゆっくりと頭を下げた。
「……殿下のご判断、もっともかと存じますわ。」
大広間が、ざわっと揺れた。
「わたくしがこれまでにしでかした数々の非礼について、
言い訳をするつもりはございません。
――ただ一つだけ、お願いがございます。」
顔を上げる。
レオンハルト殿下と、まっすぐ目を合わせた。
「この場ではなく、後日でかまいませんので。
どうか、一度だけ、お時間をいただけませんか。
そのとき、すべてをお話しいたします。」
「……すべて?」
「はい。
わたくしが何をしてきたのか。
そして――今、何をしたいのかを。」
殿下の眉が、わずかに動いた。
彼の横にいる宰相が「まさか殿下に逆らうつもりか」といった顔でこちらをにらむ。
でも、わたしは知っている。
人が誰かを断罪するとき、
いちばん怖いのは「知らなかった」で終わることだ。
前の世界で、何度も見てきた。
証拠も不十分、捜査も粗い、
それなのに世論と雰囲気だけで人を追い詰めていく光景を。
――同じことを、今度は自分がされる側になるのかもしれない。
そう思うと、妙に笑えてきた。
(でも。
それでもいい。
せめて、今回は――)
冤罪で苦しむ人を、
一人でも少なくできるなら。
「……分かった。」
沈黙を破ったのは、レオンハルト殿下だった。
「きみの罪が消えるわけではない。
だが、話を聞く機会くらいは与えよう。
後日、改めて時間をとる。」
「ありがとうございます、殿下。」
わたしは深く一礼した。
この世界の礼儀作法は、
前のアリシアが身体に叩きこんでくれていたおかげで、
完璧にこなすことができる。
中身が入れ替わった今、その技術だけが妙に頼もしい。
「本日のところは、
アリシア・ヴァレンティンとの婚約破棄のみを告げる。
詳しい事情は追って文書で通達する。
以上だ。」
殿下がそう宣言すると、
止まっていた音楽がぎこちなく再開された。
けれど、誰も踊ろうとはしない。
もうこの場にいる意味はない、と判断したわたしは、
静かに会場を後にした。
◇ ◇ ◇
ヴァレンティン公爵家の馬車の中。
窓の外の夜景をぼんやり眺めながら、
わたしはさっきまでの出来事を頭の中で整理していた。
「……やっぱり、こうなったか。」
これはきっと、この世界の「物語」で決まっていた流れなんだろう。
悪役令嬢は断罪されて、
ヒロインが選ばれて、
王太子は正義を貫いて――。
でも、わたしには、もう一つだけ気になることがあった。
最近、公爵家の周りで妙な話を耳にしていたのだ。
父に、横領だの反逆だのという噂が立ち始めていること。
なぜか証拠の書類が次々と「見つかって」いること。
そのくせ、父は一貫して否定していること。
警察官だった感覚が、
そこに違和感を覚えないはずがない。
(……あれは、怪しい。
証拠が“出過ぎている”。)
現場を知らない人間ほど、証拠を積みすぎる。
本当にやった人間は、
むしろ痕跡を消そうとして中途半端になることが多い。
わたしは一度目を閉じ、
深く息を吐いた。
(もう一度、やり直そう。
今度は「悪役令嬢」としてじゃなく――)
一人の捜査官として。
この世界には、まだ指紋も足跡も、
アリバイもプロファイリングもない。
冤罪を防ぐための「道具」を、
誰も知らない。
だったら――。
(教えてあげても、いいよね。
神様がどういうつもりでわたしをここに放り込んだのかは知らないけど。)
馬車が揺れる。
遠くで、王都の鐘が一つ鳴った。
わたしは、そっと口元に笑みを浮かべる。
「悪役令嬢アリシア・ヴァレンティンは、本日をもって死にました。
――これからは、科学捜査官アリシアとして生きさせてもらいますわ。」
誰にともなくそう呟いて、
わたしは静かに拳を握った。
この世界の冤罪を、ひとつでも減らすために。
第二の人生は、
公開婚約破棄から始まる。




