8. レイの棲み家
レイさんの家までは、馬車で二日かかった。
隣町といえども、距離はなかなかのものだ。
レイさんの家の近くにある村――リヒト――は、俺のいた街より家の数は少ないが、豊かな自然に囲まれている。
木々の間を抜ける風は涼しく、草と土の匂いが鼻をくすぐった。
村の中心から離れるほど人影はまばらになり、やがて家の数すら片手で数えられるほどになる。
「ザ・異世界って感じだな……」
(奏よ、道中は馬車で酔いまくっておったが、もう大丈夫なのかの?)
「……お前、その話はやめろ」
二日間の悪夢が脳裏によみがえる。
この世界の道は整備なんてされていない。
アニメで見た「優雅な馬車旅」とはほど遠く、実際は絶え間ない揺れが延々と体を襲ってくる。
酔った俺は何度も馬車を止めてもらい、そのたびにレイさんに冷ややかな視線を浴びせられた。
「……結局、一日で着くはずの村に二日かかったんだよな」
(ふむ、己の胃袋の弱さを自覚するがよい)
「やめろ……思い出したらまた吐き気が……」
口を押さえ、なんとか込み上げるものを抑える。
そんなやり取りをしていると、村の入り口にレイが立っていた。
「よく来たな、カナデ」
俺は慌てて一礼する。
「今日からよろしくお願いします」
うむ、と短く返し、レイは森の方を指差した。
「あそこだ。あの森の手前に見えるのが私の家だ」
視線の先には、木々の間にひっそりと佇む二階建ての家があった。
白い漆喰と濃い茶色の木枠が組み合わされた外壁は温かみがあり、屋根は深い青の瓦で陽を受けて鈍く光っている。
窓辺には小さな花が植えられ、庭先には丸太の薪が整然と積まれていた。
煙突からは白い煙がのぼり、どこか香ばしいパンの匂いが漂ってくる。
「……意外と普通の家なんですね。もっと魔術師っぽい塔とか想像してました」
「塔? あんな風の強い場所で本なんか読めるか。あの家は森の風避けと日当たりを計算して建ててある。まあ、中に入れば分かる」
森を抜け、近づくにつれて生活感と不思議さが入り混じった空気が濃くなってくる。
薪の横には見慣れない形の木箱や、銀色の金具で補強された樽が置かれ、かすかに薬草の香りが漂っていた。
「この樽……お酒ですか?」
「いや、魔術の触媒だ。水を変質させたり、薬草を漬けたりな。飲めなくはないが、飲んだら三日は寝込むぞ」
「……絶対飲まないです」
三段の階段を上がると、分厚い木の扉が構えていた。
表面には魔法陣のような彫刻が施され、真鍮の取っ手が光っている。
「おお……なんかカッコいいですね。鍵とかかかってるんですか?」
「魔術鍵だ。開け方を知らない奴が触ると、腕が三日しびれる」
「物騒すぎる!」
レイが軽く手をかざすと、彫刻が淡く青く光り、扉が音もなく開いた。
中に足を踏み入れた瞬間、ハーブの香りと古い紙の匂いが鼻をくすぐる。
室内は外観よりもずっと広く感じられた。
壁一面に本棚が並び、革張りや羊皮紙の本がぎっしり。
中央の丸テーブルには瓶や魔道具の部品が散らばっている。
奥の暖炉では煮込み鍋がコトコトと音を立て、湯気がくるくると踊っていた。
「すごい……図書館みたいですね」
「図書館ほど静かじゃないがな。あそこの本は触るなよ、半分は危険物だ」
「半分って多くないです?」
レイは笑い、マントを壁のフックにかけると、真っ直ぐに俺を見た。
「ここが今日からお前の家であり、修行場だ」
その表情には笑みも気遣いもない。
弟子として迎える覚悟と、これから課す鍛錬への厳しさだけが滲んでいた。
これから七年間、ここで生き、学び、戦う――。
その事実を噛みしめた瞬間、背筋が自然と伸びた。




