7. 旅立ちの日
昨日、俺はレイさんの弟子になった。
これから厳しい特訓が始まるんだろうな……と覚悟しながら、鳥のさえずりが響く朝を迎えた。
「おはよう、カナデちゃん」
居間に入ったレイに、母――シルヴィアが朝食の支度をしながら声をかける。
父、テイラーは椅子に腰かけ、古びた新聞のような紙を読みながらコップの飲み物に口をつけていた。
「おはよう」
二人の挨拶に、俺も自然と返す。
だが――そこで、ふと違和感に気づく。
「おはよう、母さん、父さん……って、えっ?」
目を疑った。そこにはもうひとり、見慣れた姿があった。
「ようやく起きたかの、奏」
優雅に椅子に腰かけていたのは、他でもない――サティスだった。
両親があまりにも普通に接していたせいで、俺は目の前の異常にしばらく気づかなかったらしい。
「なんでお前が家の椅子に座ってんだよ!? 朝から静かだったのって、そういうことか」
「サティスさんね、今朝お庭を直してくれたのよ。お母さん、びっくりしちゃったわ」
シルヴィアが微笑みながらそう言うと、サティスはこともなげに頷いた。
「妾にかかれば、あの程度の修復など造作もないことよ」
その顔には、どこか誇らしげな色が浮かんでいる。
扇子を手にしながら、得意気に鼻を鳴らす様は――あまりに堂々としていて、否応なしに目を引く。
「お前の精霊なんだろ? 本当にすごい精霊を見つけてきたもんだ」
父・テイラーも感心したように腕を組み、満足げに頷いた。
「お母さんも昔は精霊と契約してたけど、あんな上位精霊は初めて見るわ。本当に……すごい子ね」
両親は二人とも、完全に納得した様子でサティスを“精霊”として受け入れていた。
その横で、サティスは気を良くしたのか、扇子を顔の前でふわりと広げて笑みを隠している。
……まぁ、“精霊”ってことにしておいた方が都合がいい。
まさか“魔神”だなんて、誰にも言えるはずがない。
「それはそうと、俺……今日から師匠の家に行くって覚えてるよね?」
問いかけると、両親は当然と言わんばかりの顔で頷いた。
「ああ。お前の人生にとって、大きな節目になるかもしれん。しっかり学んでこい」
「レイちゃんの元なら安心だわ。サティスさんも一緒なら、なおさらね」
二人は心からの笑顔で俺を送り出してくれる。
その気持ちは嬉しい。だからこそ、期待には応えたいと思う。
(よし……やるしかないな)
「じゃあ、行ってくるよ」
俺が椅子から立ち上がると、母は振り返り、手に持った鍋をコンロに戻して笑顔を向けてきた。
「行ってらっしゃい、カナデちゃん。あんまり無理しちゃダメよ?」
「レイちゃんの家なら安心だけど、何かあったらすぐ帰ってきなさい。――ねぇ、サティスさん?」
「無論じゃ」
サティスの低く響く声に、母は驚いたように目を丸くし、そして小さく感嘆の息を漏らした。
「やっぱり……ただの精霊じゃない気がするわね……。でも、なんだか安心したわ。ありがとう、サティスさん」
「礼など無用。――妾は、そうあるべくして傍におるのじゃ」
その一言に、父が新聞を畳んで口を開いた。
「……サティスさん。君がどれほどの存在かは分からんが、息子を頼む。カナデには、背負うものがある」
「心得ておる」
サティスは一切の冗談も抜きで、真摯に父の言葉に応じた。
そんな二人のやり取りに少しだけ気圧されながらも、俺は思わず口を挟んだ。
「……いや、あの、二人とも? 俺はただレイさんに魔術を教わりに行くだけなんだけど」
「おぬしはそう思っておるかもしれぬが、それが“すべて”とは限らぬぞ?」
サティスの一言に、母がふっと笑う。
「それでもいいのよ、カナデ。あなたにとって大切な場所になるのなら。――行ってらっしゃい」
「うん、ありがとう」
俺は深く頭を下げ、家族の声を背に玄関へ向かう。
サティスの衣が揺れ、彼女の気配がすぐ後ろに寄り添ってくる。
俺は知っている。この背後にいる存在が、ただの“精霊”でないことも。
――そして、これからの日が“普通の訓練”だけでは終わらないだろうという予感も。
でもそれでも、今は。
「よし、行こうか」
静かに扉を開け、朝の光の中へと一歩を踏み出した。