12. vsドラゴン!?
それから半年が過ぎた。
レイの厳しい指導のもと、俺はひたすら魔術の修行に明け暮れた。風、火、水。三属性を意識的に引き分ける訓練をこなし、今では詠唱の途中で属性を変えることすらできる。そして今日、ついに実戦訓練の日を迎えた。
場所は村から少し離れた、木々がさらに鬱蒼と茂る森の奥。
「いいか? 奏。相手はオークよ。一人前の冒険者が二人掛かりでようやく倒せる相手。本気でかからなければ、命はないぞ」
レイの低くも凛とした声が、俺の闘志を煽る。腰にはレイから渡された短剣が一本。魔術が通用しない時の最後の頼みだ。
その時、ガサガサと茂みが揺れ、人型のシルエットが現れた。身長は俺の倍近く。緑色の肌に、鋭い牙。──オークだ。
「よし、かかってこい!」
俺は不敵に笑い、素早く風の球体を放った。「グッ」とオークが呻き、左肩に直撃した風の魔術が、わずかな傷をつける。だが、それだけだ。オークは怒りの咆哮をあげ、持っていた棍棒を振り上げて突進してきた。
「甘いんだよ!」
俺は回避しながら、間髪入れずに炎の魔術を放つ。しかし、オークの分厚い皮に阻まれ、効果は薄い。水の魔術も試したが、これもただ濡れるだけで、攻撃にはならない。
「くそっ、効かねぇ……!」
オークの棍棒が、俺の頭上をかすめて地面に叩きつけられる。轟音と衝撃が、俺の体を襲った。
「まだまだ訓練が足りてないな」
レイの声が飛ぶ。俺は息を切らしながらも、もう一度ディストを放つ。今度は風と水の魔術を同時に発動させ、オークの足元を滑らせようとするが、それすらも効果はなかった。
「もういい」
レイが短く呟くと、一歩前へ踏み出した。その瞬間、レイの全身からとてつもない魔力が噴き出す。俺がこれまでに感じたことのない、巨大で底の見えない魔力の奔流。
レイの手が軽く振られると、辺りの木々が震え、風が唸り声を上げた。次の瞬間、オークの体が跡形もなく消滅した。いや、消滅したのではない。ただの風の魔術だったはずなのに、オークの体がバラバラに、塵のように霧散したのだ。
呆然とする俺に、レイは背を向けたまま言った。
「見たでしょう。これが、実戦だ」
俺は言葉を失った。この半年間の修行が、いかに浅はかなものだったか。俺の魔術が、いかに無力なものだったかを思い知らされた。
その時だった。
「レイさん、後ろ!」
俺の声に、レイが振り返った。その瞬間、森の奥から無数の魔物の群れが押し寄せてきた。オーク、ゴブリン、コボリン……。村の周辺では考えられないほどの数が、牙を剥き出しにしてこちらに向かってくる。
「珍しいわね、魔物の軍隊なんて」
レイはそう言う。その表情に焦りはない。魔物の大群を前にしても、彼女は全く怯む気配がない。だが、彼女の視界に俺の姿が映らなくなっていた。
「奏……!?」
レイは驚愕に目を見開く。俺の姿は、いつの間にか消えていた。
視界が戻った時、俺は森の奥深く、誰も踏み入ることのない場所に立っていた。周囲には巨大な岩石がゴロゴロと転がり、不気味な静寂が支配している。
「……レイさん?」
俺が周囲を見渡すと、その岩陰から、純白の鱗を持つ巨大な生物が姿を現した。
「……りゅ、う?」
あまりにも巨大で、あまりにも美しい。そして、その白い鱗から放たれる圧倒的な威圧感に、俺の足はすくんだ。サティスが言っていた、人間が最も恐れる魔物“竜”。だが、その存在は、単なる魔物というよりは、気高い神のようだった。
「ひっ……!」
全身を駆け巡る恐怖に、俺は魔術の詠唱すら忘れていた。いや、違う。魔術を唱えようとしても、恐怖という感情が邪魔をして、大気中のマナを収束できない。
「くそっ、このっ……ディスト!」
なんとか絞り出した声と共に、俺は風の魔術を放つ。だが、その球体は竜の体をかすり、まるで意味をなさない。
竜はゆっくりと首を傾げ、俺を嘲笑うかのように、低い声で言った。
「──大気中のマナを人間に使うなどふざけたことを……。実に不愉快です。消えてください」
次の瞬間、竜の口から放たれたのは、強大な魔力の塊。俺はそれを避けきれず、まともに喰らった。全身を灼きつくすような熱と痛みが俺を襲い、俺の意識はそこで途切れた。
気が付くと、俺は竜の爪の間に横たわっていた。体はぼろぼろで、動くことすらままならない。悔しさ、情けなさ、そして恐怖。あらゆる感情が、俺の心に渦巻いていた。
(……このまま、やられてたまるかよ!)
その時、俺は心の中でサティスに語りかけた。
(サティス、力を貸せ……)
(ようやく妾の出番か。待ちくたびれたぞ。だが、そなたの魔力回路については保証できんぞ)
「……わかってる」
(レイには悪いが、一時的に魔力断絶を破壊して、奏の魔力回路に妾の魔力を流し込むぞ)
俺はサティスの言葉に小さく頷く。
(よし! いくぞ!)
サティスの声と共に、俺の全身に温かく、それでいて強烈な力が流れ込んできた。血管が脈打ち、神経が震える。それは痛みではなく、体が本来の力を取り戻していくような感覚だ。
そして、その力が最高潮に達した時、俺の体から一度体験したことのある巨大な魔力が溢れ出した。魔力回路に禍々しい魔力が流れてくるのがわかる。閉ざされていた扉が開き、これまで感じることのなかったマナの奔流が、俺の全身を駆け巡る。
俺はゆっくりと立ち上がり、竜を睨みつけた。恐怖は消え失せ、代わりに生まれたのは、静かで、燃え盛るような闘志。
「よくもやってくれたな。リベンジマッチだ」
俺は両手を広げ、全身から溢れ出る魔力を解放する。その瞬間、俺の周りに渦巻いていた三つの属性のマナが、まるで拒絶するかのように弾け飛んだ。代わりに、俺の全身から噴き出すのは、サティスが持つ漆黒の炎と闇の魔力。
俺の背後で渦巻く漆黒の魔力に、竜はわずかに後ずさった。その金色の瞳に、警戒と、そして微かな恐怖の色が浮かぶ。
「な、なんて魔力……! この悪しき気配、まさか……魔神!?」
竜の声が、僅かに震えていた。高貴な存在である竜が、俺の中にある魔神の魔力に怯えている。
「ふざけんな、このっ!」
俺は竜の言葉を無視し、放たれた炎のブレスを正面から向き合った。
「ディスト!」
俺の魔力回路から放たれたのは、風や水ではない。漆黒の炎と闇の魔力が混ざり合い、これまで見たこともない異質な竜巻が生まれた。それは竜巻というより、黒い太陽のようだ。竜の炎のブレスと黒い竜巻がぶつかり合い、爆音と共に、辺り一面に激しい光が広がる。
竜巻の中心で、俺はさらに集中力を高めた。漆黒の炎と闇の魔力が、俺の意思に応えていく。二つの力が、複雑に絡み合い、より強力な魔術へと昇華されていくのを感じた。
俺は渾身の力を込め、その黒い竜巻を竜に向かって放った。
竜は驚愕に目を見開く。その顔には、初めて見る焦りの色が浮かんでいた。
「馬鹿な……、魔神の魔力なんてあり得るはずが……」
竜の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。黒い竜巻は、竜の体を飲み込み、地面へと叩きつけた。
俺は、その場に崩れ落ちた。全身から力が抜け、指一本動かせない。
(やったのか?)
魔力回路から魔力が空になるのを感じ、そのまま地面に倒れ込んだ。意識が遠のくと共に、この世界の厳しさと、魔術の深遠さを、改めて知ることになったのだった。




