11. 初めての魔術
森での修行を始めてから、もうすぐ一ヶ月が経つ。
俺はようやく、大気中のマナを――ほんのわずかだが――自分の魔力回路へと取り込めるようになった。
そして今日、初めて基礎魔術を習得した。
「――ディスト!」
手のひらの前で空気が集まり、小さな風の球体が形を成す。
それは前方の大木へ向けて放たれ、軽くぶつかって消えた。
結果は……まあ、見ての通りだ。
木の表面にすら傷はつかない。
「……よし、大分コツは掴めてきたぞ」
マナの属性を選別するほどの技量はまだない。
今は吸い上げたマナが風になるのか、水になるのか、あるいは火になるのか……完全にランダムだ。
それでも、何もできなかった一ヶ月前に比べれば、確かな進歩だ。
(奏は努力家じゃのう。妾は感心しておるぞ)
(そりゃあ、どうも)
今朝、レイさんは村に用事で出かけた。
俺は家の前の小さな庭で、1人黙々と魔術の練習を続けている。
「レイさん、いつ帰ってくるかな……。魔力を飛ばせるようになったところ、見てもらいたいんだけどな」
(まるで子供じゃな。妾から見れば、小さな赤子がようやく寝返りをうった程度じゃ)
「……うるさい」
サティスの冷ややかな声に軽くムッとしつつ、俺は再び《ディスト》を放った。
威力は低くても、発動までの流れが少しずつ体に馴染んできているのがわかる。
一時間ほど経った頃、息を整えるために、的にしていた木の根元へ腰を下ろした。
湿った土の匂いと、木陰を抜ける風が心地いい。
(なあ、サティス。この世界って、やっぱり魔物とかいるのか?)
(無論、存在するぞ。まだ奏は出会ったことがないだけじゃ。奴らは森や魔界都市に棲み、時には人の街を襲う)
(へぇ……)
(中でも人間が最も恐れる魔物は“竜”じゃ)
(竜? ドラゴンまでいるのか!)
(うむ。彼奴らは空中戦を好み、しかも得意とする。人間にとっては天敵のようなものじゃ)
竜という単語に、胸の奥が少し高鳴る。
子供の頃からファンタジー作品に慣れ親しんできた俺にとって、竜はまさに冒険の象徴だ。
(……まあ、今のそなたじゃオーク一匹倒せんがの)
(わかってるって。……で、そのオークってやつも強いのか?)
(魔物の中では中堅に位置するが、この世界では普通の魔術師にとって厄介な相手じゃ)
(中堅でそれか……)
想像以上に、この世界の魔物は容赦がないらしい。
俺は改めて気を引き締め、もう一度の詠唱に入った。
――その時。
「……ふむ、随分と形になってきたな」
背後から聞き覚えのある低い声がした。
振り向けば、木漏れ日の下にレイさんが立っていた。手には買い物袋、足元には旅の埃がついている。
「レイさん! 帰ってたんですか!」
「ちょうど今だ。……見せてみろ、成果を」
急に緊張が走る。
一ヶ月間、毎日吐くほど鍛え続けてきた成果を、ようやく披露できる時が来た。
「――ディスト!」
集中。
手のひらに集めたマナが、今度は水の球体として形を取り、目の前の木へ飛んでいく。
パシャッ、と音を立てて水しぶきが散った。
……威力は相変わらず、雀の涙だ。
「……まだ威力は弱いが、発動までの時間が初日より三分の一に縮んでいる。大気中のマナを掴む感覚も安定してきたな」
レイさんはそう言って、わずかに口元を緩めた。
ほんの少しだけど、それが嬉しい。
「だが――」
急に目つきが鋭くなる。
「属性を選別できなければ、実戦では役に立たん。次の段階では、風・火・水の三属性を意識的に引き分ける訓練をする」
「……わかりました!」
「それと、来週には森の奥まで足を延ばす。そろそろ魔物と遭遇する可能性もある」
「……魔物と」
(ほう、ついにお出ましか)
サティスの声が心の中でくぐもるように響いた。
胸の奥で、小さな不安と高揚感が入り混じる。
こうして、俺の修行は次の段階へと進むことになった。




