10. 魔術の一歩
朝日がゆっくりと昇り始める頃、俺は庭の真ん中で静かに立っていた。まだ肌に残る昨夜の疲労と筋肉のこわばりが、今日の修行の厳しさを物語っている。
レイの言葉が頭に響く。
「お前の魔力回路は空っぽだが、大気から直接マナを集めて魔力へと変換できれば、全属性の魔術が使えるようになる」
「そんなこと……できるのか?」
俺は自分の心に問いかける。
レイは隣に立ち、冷静な声で答えた。
「できる。だが、簡単ではない。これは私と歴代勇者にしかできなかった高等技術だ」
「……歴代勇者だけ?」
「そうだ。お前のように魔力回路が空の者は珍しい。だからこそ、修行は厳しくなる」
「わかりました。やるしかないですね」
俺は気合いを入れて、まずは深呼吸をした。
肺いっぱいに空気を吸い込み、その空気を魔力回路のある体の奥深くへ送り込むように意識を集中する。
しかし、空気は体の中を滑らかに通り抜けるだけで、マナは全く集まらなかった。
「なあ、どうして大気中のマナは俺から逃げるんだ?」
俺は苦しそうにレイを見た。
レイはため息をつきながら説明した。
「それはな、お前の体内に漏れている魔神の魔力の“匂い”が大気中のマナを遠ざけているからだ」
「匂いって……」
「そう。お前の魔力回路は空だが、魔神の魔力は完全に封じられていない。蓋をしても少しずつ漏れている。大気中のマナは本能的にそれを避ける」
俺は自分の身体をじっと見つめる。
「なんだか、自分の体が裏切っているみたいだ」
レイは優しく頭を振った。
「裏切りなんてない。魔神はお前の一部だ。だが今は、それを恐れず共存し、マナを受け入れる心を持つことだ」
俺は深呼吸を繰り返し、体の奥深くでマナを吸い込むことに集中する。
何度も繰り返すうちに、額には汗がにじみ、手足は震え、息が荒くなっていく。
「……まだ全然集まらない」
俺は膝をつき、肩で息をしながら呟いた。
「最初は誰でもそうだ。焦るな。体と心をゆっくり慣らせ」
レイは厳しくも温かく声をかけてくれる。
俺はふと疑問が湧いた。
「マナが集まれば、本当に全属性の魔術が使えるようになるんですか?」
レイはうなずいた。
「そうだ。火、水、風、土、光、闇……大気中のマナはそれらすべてを含んでいる。お前がそれを自由に操れるようになれば、どんな魔術も使いこなせるようになる」
「それは……すごい」
俺の胸に小さな希望が灯った。
「ただし、魔力がないお前には並大抵の努力では無理だ。だが、七年もあればできるかもしれん」
レイは淡々と告げた。
「七年か……長いな」
俺は苦笑した。
「魔術師に近道などない。長く辛い道を歩むことで、強さが得られるのだ」
その時、空気の中に小さな光の粒がふわりと舞い込んだ。
「……来たか?」
俺は立ち上がり、手を差し出す。
小さな光の粒は俺の腕の中で踊り、回路へと流れ込んでいく感触があった。
「溜まった……気がする」
「いいぞ、その調子だ」
レイは微笑んだ。
「気持ちを焦らず、ゆっくり、ゆっくり回路を満たせ」
俺は再び呼吸を整え、体全体でマナを感じ取ろうと集中した。
周囲の空気がまるで違って感じられ、肌を滑る風の感触が柔らかくなったように思えた。
「できる……できるんだな、俺」
レイは厳しい目をしたまま、言葉を続けた。
「この先はもっと苦しい。だが、お前が大気中のマナを自在に集められるようになれば、全ての魔術が使える道が開ける」
「わかりました。絶対に諦めません」
夕陽が沈みかける空の下、俺はぐったりしながらも胸の内で燃える火を感じていた。
「今日一日でここまで来たのは、立派だ」
レイが肩を軽く叩く。
「明日も、同じことを繰り返す」
俺はうなずき、闘志を燃やした。
七年という長い道のりの一歩目。
苦しく、遠い道のりだけど、俺は確かに歩き始めたのだ――。




