黄昏時のにわか雨
朝、記録会に来てくれなかった仁に対して苛立っている俊也。そして、なぜか生気を失っている仁。仁に何があったのか、またもや喧嘩になってしまうのか?!
最後まで楽しんでいってください!
何か、ものすごく焦げている匂いが部屋中に立ち込める。空気を吸い込みすぎたせいなのか、むせ返る。最初は火事かと思い、焦ったが、どうやら違うらしい。焦げている匂いの中に、何か甘酸っぱい匂いが微かに嗅ぎ取れる。きっと、母さんがまた失敗作を作り出したのだろう。過去に何度も失敗作を処理してきたが、どれもマシだと思えるものすらなく、とてもじゃないが食えたものではない。
「今度は何焦がしたの」
母さんはとても慌てた様子で、答える余裕などなさそうだ。しかし、おはようから始まらない日なんていつぶりだろうか。今日は、いつもとは何かが違う一日になりそうな予感がする。のどが渇いたので水を飲みにキッチンへと進む。水をコップに注いでいると、母さんが「返事できなくてごめん」と困惑した顔をして歩いてきた。その手には丸焦げになったフルーツが乗ったお皿を手にしている。まさか、今日の朝食はこれがあるのだろうかと思い、暑くもないのに汗が背中を伝う。
「またこれ処理してもらってもいい?」と案の定言ってきた。
最悪だ。しかし、この匂いには嗅ぎ覚えがある気がする。そう考えていたのが顔に出ていたのか、「ドライフルーツ・・・作ろうと思ったんだよ」と苦虫を嚙み潰したような顔をして母さんは言う。もはや原形をとどめていないドライフルーツを見ているとなぜか笑いが込み上げてきた。フルーツの匂いの成分について、母さんが何か言っていた気がするが思い出せない。それどころか、『焦げた匂い』という単語が、あの日の試合のことをを連想させ、胸が締め付けられるような、そんな感覚に襲われた。やはり、匂いというのは永遠に記憶されるのだと実感する。
「いつまで引きずってんの!」と背中に平手打ちを食らう。時折母さんはエスパーなのではないかと思わせられる瞬間がある。
「もう終わったことなんだから、次のインターハイで結果が出せるように頑張りなさいよ!」
「わかってるって」
自分ではそう思っていても、実際は一ミリたりとも自分のことをわかっていないということがほとんどなのではないだろうか。頭の中ではわかっている。だけれども心というのは、一度鎖で縛られてしまったら、なかなか解くのは難しい。そんな自分がもどかしくてたまらない。
朝食をとり、学校へと行く準備を進める。焦げの塊がまだ燃えているのか胃が熱い。
学校へ着いた時、胃が少し落ち着いてきた。なのに、なぜかまだ胸がもやもやする。本当はまだ胃がやられているのではないかと思ってしまうほどだ。
教室へと向かう途中、仁の姿が見えた。どこか悲しく、どこか『居場所』を失った人間のようにふらふらと廊下を歩いている。仁を見て思い出したが、記録会の時に仁の姿はなく、監督とコーチだけが観客席にいた。「記録会には行く」と笑顔で前日に話していたのだが・・・心配になったと同時に、少しの苛立ちを覚えた。イライラしていても仕方がない。そう言い聞かせ、仁の背中を追いかけた。
「仁、何かあったのか?昨日いなかったけど・・・」
仁の背中を軽くたたいただけなのに、まるで力士の張り手でも食らったかのように前に吹っ飛んだ。
「おい!大丈夫かよ!」
「ああ・・・」と答える仁には力がなくその目線には終着点がない。まるで絶望という底の見えない海を眺めているかのようだ。倒れこんだ時にかなり大きい音が鳴ったためか、周りに人が集まってきた。その中から、男子生徒を呼びつけ、仁を保健室へと運んだ。
ベッドに座り込んでいる仁は、魂が抜けてしまったかのような顔をして、窓の外を眺めている。「何かあったのか」と質問をしても、「ああ」というだけで何にも情報が得られない。なかなかメンタルがやられているらしい。あまりメンタルがマイナスのほうへと傾くことはない奴だと思っていた。ここまで、無気力な仁は初めて目にする。
「授業始まるから先行ってるぞ」
そう一言残して保健室を後にした。ドアを閉める瞬間に「ああ」という声がかすかに聞こえた。
その後の授業は、まったくと言っていいほど集中することができなかった。
放課後になり仁のクラスへと向かったが、仁の姿はなかった。早退したのかと思ったが一応保健室にもよることにした。保健室へと降りる階段を一段ずつ降りるたびに、心に重しが投げ込まれているような気がした。
保健室の扉を開けると、仁が寝転がって天井をじっと眺めている。さっきよりは顔つきが良くなっているような気がした。
「朝、突き飛ばして悪かった」
朝のことをまだ謝っていなかった。
「いいんだよ」
「ああ」という返答ではないことに安心する。
「何があったのか教えてくれないか?」
きっと何か最悪なことでもあったのだろう。足が動かないとかだろうか。考えられる可能性のあるものをやたらと想像する。
「実はさ・・・」
仁の声でハッとする。
「母さんがうちに来たんだよね」と悲しそうな顔で言う。なぜだろうか、悲しい顔をする意味が分からない。
「よかったじゃねぇか」ニコニコしながら答える。
仁は天井から俺のほうに目線を移動する。しかし、目線の先に障害物が現れ、邪魔そうな目をしている。そんな仁の目線が少しぞっとする。
「よくねぇんだよそれが・・・あいつはな!『生んでやったのは誰だ!』とか言って俺の家を占領して、俺をもの扱いしてきやがった!」
仁の声が保健室に轟く。
「それにあいつは、足が悪かった・・・あいつの病気が俺に遺伝したんだ。あいつのせいで、俺は大好きな陸上がもうできなんだよ!そんなあいつの血が俺の身体にも通っていると思うと・・・気持ち悪くてたまらない!」
嗚咽しながら叫ぶ仁の姿を見て、胸が締め付けられる。何をしてあげられるのか、どんな言葉をかけてやればいいのか、頭が混乱し、考えが完結しない。
「・・・今日、うちに泊まるか?」
そんな考えは頭に浮かんでいなかった。しかし、自然と口から出た。きっと「そのお母さんのおかげでお前がいて、お母さんのおかげでお前と一緒にいれたんだ」と言ったほうが良かったのではないかと後々思った。
だがそんな変な回答に仁は、「いいのか?」と少し不安げな表情をしている。その表情には『迷惑がかかってしまうのでは?』と顔に書かれているように見えた。
「もちろん!俺の母さんが迷惑に感じるとでも思っているのか?」
やはり迷惑ではないかと考えていたのだろう。苦笑いを浮かべている。
「ありがとう」と言われ少し照れくさいが、今回の仁の件は俺だけではなく母さんも交えたほうが、もっと的確なアドバイスが出てくるだろう。
仁の顔には大きな雫が、窓からのオレンジ色の光に照らされ温かみを帯びていた。そんな姿を見ると記録会に来ていなかったことなんて、とてもくだらなく、そんなことで苛立っていたのかと思うと逆に自分に対して苛立ちを覚えた。
第八話、最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回は俊也の母を交えての相談会。そして、俊也の覚醒!
楽しみにお待ちください。




