第9話 二人の邂逅
「まちなさい!」
ミレーヌの声が響き渡ると、その場にいた衛兵も御者も、そして揉めていた商人も、皆がその冷たさに凍りつき、動きを止めた。ミレーヌは馬車から降り立つと、衛兵を睨みつける。彼女の視線が、衛兵に臆することなく抗弁していた男に注がれた。
「私が彼を呼んだの。中にいれておやりなさい。そうね、客間に通して」
衛兵達は戸惑いながらも、公爵令嬢の命令に逆らうことはできない。彼らは慌てて門を開ける。要領を得ず呆然と立ち尽くす商人の顔を見て、ミレーヌはにやりと冷たく笑った。その笑みに、商人は得体のしれない恐怖を感じながらも、衛兵に促されるまま公爵家内に案内されていった。
一刻の後、公爵家の客間にミレーヌが優雅に入室する。既に席に着いていたのは、中肉中背の中年男性。そう、商人ラウールだ。彼は、公爵家令嬢であるミレーヌの突然の介入にまだ驚きを隠せない様子だ。彼は居住まいを正し、口を開いた。
「えっと、この度は、お救いいただきありがとうございます。私はラウールと申しまして、この度公爵家様と直線商売をさせてもらえないかと思い、お伺いした次第です」
「ようこそ、ラウール。私はミレーヌ・グラッセ。グラッセ家の長女です」
完璧なあいさつを終え、ミレーヌはソファーに優雅に腰掛けた。男性としては小柄なラウールも対面のソファーにぎこちなく座る。
ラウールは、伝手を利用して公爵家と繋がりを持ちたいと考え、ある人物に相談したところ、有償で紹介状が手に入ると言われたことを語った。その紹介状には面会日時が記載してあったので本日伺ったものの、衛兵から偽物だと突きつけられ、つい口論となってしまったと言う。
「それにしても、偽物を見抜けないとは、商人としては失格ではないですか?」
「はい、私も少しばかり焦りがあったようで。おっしゃるとおり商人として失格でございますね」
臆することなく返答するラウールに、ミレーヌのアイスブルーの瞳が、僅かに光を帯びる。興味が湧いたのだ。その突き刺すような眼光を気にすることなく、ラウールは尋ねた。
「それで、ミレーヌ様はどうして商人失格の私を、わざわざ部屋に通したのですか?」
「これは、一本取られましたね。商人失格は取り消しますわ」
ミレーヌは、微かに口角を上げた。確かに、これまでの彼女の前に居た人々は、公爵令嬢という彼女の立場に怯えていたが、目の前の男は初対面にも関わらず、全く動じる様子がない。ミレーヌの中で、確かな興味が湧き上がった。
「それにしても、貴方、面白い方ね」
「良く言われます。今後もミレーヌ様とお話しさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「まだ私は公爵家の長女の身分です。あなたにとって、メリットはあるのかしら?」
「はい、十分あります」
「なぜ?」
「『まだ』とおっしゃったではないですか。いずれは違う、という意味に捉えましたが、違いましたか?」
ミレーヌは、不意を突かれたかのように、僅かに瞳を細めた。この男の、鋭い洞察力。それは、彼女の知的好奇心をくすぐるものだった。
「本当にあなたは面白い方ね。いいでしょう。私の傍使いにレベッカというものがいます。彼女に面会希望を伝えなさい。お相手して差し上げるわ」
こうして、公爵家の奥深くで、冷徹な令嬢と不屈の商人の、秘めたる会談が幕を開けた。
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