第85話 突入作戦
ジュノイー侯爵が率いる東方面軍も、北方面軍と同様に攻城戦で膠着状態に陥っていた。初戦で放置された四機のトレビュシェットは、銃撃の雨の中、犠牲を払って敵の射程距離外に戻された。侯爵はそれを使って投石を続けたが、ミレーヌ側が施した強固な土塁にはめり込むだけで、致命的な損傷を与えるには至らない。両軍は睨み合いとなり、士気は低下しつつあった。
そんな中、ジュノイー侯爵の元に、ワトー侯爵とその嫡男カリクステ・ワトーがやってきた。
「これはワトー侯爵、どうされたのだ?」
「実は、愚息がミレーヌから密書を受け取ったのですが」
「密書だと?」
ジュノイー侯爵は、隣に控えるカリクステを見た。
「はい、こちらです」
カリクステが差し出した密書には、こちらに寝返るならば、当主の座にしがみつく老父の代わりに、貴殿をワトー侯爵家の当主とし、賠償金も免除する旨が書いてあった。
「それで、私に見せた理由を教えてもらおうか」
「はい、この密書を利用してロサークを落とす方法がございます」
ジュノイー侯爵の目が光った。
「ほう、どのような方法か?」
カリクステは、密書を利用して偽りの投降をしたのち、手薄な西門を城内から開放。ワトー侯爵が率いる突入部隊を城内へ導き入れ、混乱に乗じて総攻撃を仕掛ける策を披露した。
「突入部隊をどうするかだな」
「大軍ですと移動中に気が付かれる恐れがあります。多くても千程度でしょうか」
ジュノイー侯爵は、脇で冷静に提言するマクレ子爵に目をやった。突入兵力は、目立たず、しかし城内を制圧するに足る規模が求められる。するとワトー侯爵がジュノイー侯爵に語りかけた。
「息子の仇討ちをしたいので、私が突入部隊を率いたいと思う」
「それでしたら問題ないが、ワトー侯爵の兵も先の戦いでかなりの数が減ったと伺っている。他に数名の貴族を付けて、千名ほどの兵を率いて頂きたい」
「おお、感謝する。ジュノイー侯爵」
侯爵同士の会話を聞いていたカリクステにとって、弟の仇討ちなど二の次だった。彼を突き動かしているのは、前回ミレーヌの策に敗北したという屈辱だ。今度こそ、自らの知恵でジャックとミレーヌを出し抜いてみせると、彼は固く決意していた。
◇◆◇◆
密談から三日後、カリクステは五名の部下とともに密かに軍から離脱した。彼らは城塞都市ロサークの門へと向かい、門前で叫んだ。
「カリクステ・ワトーだ! ミレーヌ様のお誘いを受けて参上した。開門を願いたい!」
城壁から「武器を捨てろ!」と声がかかり、彼らは武器を捨て、両手を上げた。
「これで良いだろう。責任者と面会を願いたい」とカリクステが言い放つ。しばらくして東門が開き、兵士が「こちらに来い」と呼びかけた。
ワトーたちが城内に入ると、顎鬚をはやした中年の騎士が、多くの騎士たちを連れて待ちかまえていた。
「ようこそ、カリクステ殿。ミレーヌ様から委細全て伺っています。さあ、こちらへ。武器は後で部下に取ってこさせますので」
ジャックの言葉を聞き、すべてが計画通りに進んでいることに、カリクステは内心でほくそ笑んだ。
◇◆◇◆
四日後の未明。突入部隊千名を率いたワトー侯爵は、西門を伺える森の中で息をひそめていた。斥候の報告で西門が開いたのを確認すると、侯爵は剣を掲げた。事前に指示されていた通り、兵たちは声を一つ上げずに剣を抜き、静かに西門へと向かう。ワトー侯爵は息子が手引きしたことで復讐が果たせることに内心喜んでいた。先頭の兵が城門に突入する寸前、城門は音を立てて急に閉ざされた。その直後、城壁には松明が次々と灯され、夜の闇を切り裂く。そして、城壁から一つの重いものが落ちてきた。その物体は、驚愕した先頭の兵士の頭上に激しく叩きつけられた。
「く、首だ!」
ワトー侯爵が近寄ると、見慣れた顔が恨めしそうに、虚ろな目でこちらを見ていた。それは、まぎれもなく、彼の息子カリクステの首だった。
「カ、カリクステ……」
呆然と立ち尽くす侯爵に、容赦なくジャックの号令と共にマスケット銃の弾丸が襲い掛かった。侯爵は崩れ落ち、そして一方的な虐殺が西門前で繰り広げられた。
実は、ジャックの行動はすべて、ミレーヌの周到な計画通りだった。ミレーヌは、カリクステの自尊心の強さを見抜き、彼が「自分こそがミレーヌを出し抜ける」と考えることを予測して密書を送った。カリクステは、その命を賭けた投降を「ミレーヌの策を逆手に取った」と確信していたが、その首は、城門前に集結した突入軍を殲滅するための、冷徹な餌として利用されたのだった。
本陣にいるジュノイー侯爵たちに遠い銃撃の音がかすかにそれも何度も聞こえた。侯爵は、その音に耳を澄ませた後、城塞ロサークを見た。城内は、何事もなかったかのような静寂に包まれている。
彼は長年の経験から、この状況が何を意味するかを即座に悟った。突入部隊が突入するはずなのに、城内からは騒ぎが見受けられない。これは、味方の策が完全に失敗した証拠だった。彼は静かに剣を抜き、総攻撃の中止を命じた。
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