第74話 保身の代償
王都から遥か離れた、公爵家の領都。その中心にそびえる館の応接室で、パスカル・アシャール子爵は深々とため息をついた。王太子エドワードの命を受けて、ミレーヌとの婚姻交渉は、今回で三度目。四ヵ月間、一向に進展しない交渉に、彼は焦燥を募らせていた。
四ヵ月前の最初の会談。使者として公爵家を訪れたパスカルは、執務室で冷たいアイスブルーの瞳を持つ少女と対峙した。彼の、いかに王太子が今回の婚姻を望んでいるかを語る言葉に、ミレーヌは淡々と、しかし明確に拒絶の意を示した。
「王太子殿下のご配慮、本当に痛み入ります。しかし、公爵位を継いだ弟シリルは、まだ幼い身です。結婚は、時期尚早かと思います。さらに、彼が成人するまでは、私が後見人として支えなければなりません。私は公爵家の摂政として領地を治める責任がございます。公爵家が安定しなければ、殿下にもご迷惑をおかけすると思いますので、今、個人的な婚姻を望んではおりません。もちろん、時期が来ればお話をお受けしたいと思いますので、殿下によろしくお伝えください」
パスカルは、ミレーヌの言葉をそのまま伝えることを躊躇した。任務失敗の責任を問われることへの恐怖が、彼の良心に勝ったからだ。彼は、純粋な王太子に言葉を歪曲して報告した。
「ミレーヌ様は、『王太子殿下のご配慮は、公爵家の摂政として領地を治める私には不要である。身は公爵家の未来に捧げると決めており、個人的な婚姻など望むべくもない』と、殿下のお気持ちを一笑に付されました」
それを聞いたエドワードは、手を握り小刻みに震えたが、「そうか、では日を改めてもう一度説得しろ」と言った。
二度目の会談は、二か月後に行われた。今度は、懇願するように説得を試みた。しかしながら、ミレーヌは再び、静かに、理路整然に回答し、「時期が来れば受ける」と言って申し出を受けなかった。
この言葉を、パスカルは前回と同様に、ミレーヌが理論整然ではなく高慢に王太子の斡旋を拒否したと報告した。もちろん自分の責任は全くないという顔をしながら。
パスカルの報告を聞きながら、エドワードの顔色ははっきりと変わっていた。そして、言葉を振り絞るように言った。
「なぜだ、なぜミレーヌは私の思いを理解してくれないのだ……。しかし、後には引けない。必ず説得しろ」
その日の夜、パスカルは、王都の私邸に戻ると、妻に今日の会談の結果を話した。妻は、彼の言葉に顔色を変え、静かに言った。
「あなた、このままでは、ミレーヌ様と王太子の両方から恨まれるわ。早く、この件から手を引くべきよ」
パスカルは、妻の言葉に耳を傾けることはなかった。彼は、ミレーヌという女を、自らの言葉で打ち破るまで、決して引き下がれないという、見栄と意地で、頭がいっぱいだった。そして、彼は、次こそは必ずミレーヌを説得してみせると決意した。
◇◆◇◆
応接室にいるパスカルが今までのことを思い出している最中、ミレーヌがやってきた。儀礼的な挨拶が終わり、彼は、今回の三度目の会談では、恫喝するしかないと思い、説得を試みた。
「ミレーヌ様。王太子殿下は、この婚姻がグラッセ公爵家と王家双方にとって最善の道だとお考えです。ですが、もしこれを拒否されれば、殿下は『王命を軽んじた』と判断せざるを得ません。そうすれば、公爵家と王家の間に不要な溝が生まれるでしょう。これは、貴女の望むところではないはずですな」
ミレーヌは、パスカルの言葉に静かに頷いた。パスカルは彼女の表情や所作を見ながら、なぜか、自分が追い詰められているかのように感じた。自分の全ての行いを見抜いているかのようなその冷たい目。その冷徹な視線の持ち主が、笑みを浮かべた後、言葉を発した。
「失礼ではございますが、パスカル子爵は私の言葉を正確に殿下にお伝えしたのでしょうか?」
「もちろん、一言一句正確にお伝えしてます」
パスカルは、ミレーヌの言葉に内心慌てたが、顔には出さなかった。しかし、その額には、一筋の冷や汗が流れていた。
「それならばよろしいのですが、今までお伝えしたことを聞いた殿下がそのようなご判断をされるとは思えないのですが」
「私を疑うのですか」
「いえいえ、そんなことはございません。私の忠誠は王家に捧げています。今回の婚姻はお断りしているわけではなく、時期がくればもちろんお受けさせていただきます。それを是非とも殿下にお伝えいただければと。お願いしますね、パスカル子爵」
彼は、ミレーヌが笑みを浮かべながら言い放った言葉に、反論ができなかった。
◇◆◇◆
取り付く島もないパスカルは、王都に戻ると、彼女の言葉を、エドワードが最も憤慨するような形で報告した。もはやミレーヌを説得することは不可能である。自身の保身のためには、相手を悪く言うしか他は無い。
「ミレーヌ様は、殿下のご提案を嘲笑しておられました。曰く、王家を司る摂政陛下は、ご自身を客観的に見ることができず、婚姻という安易な手段に頼って有力貴族を取り込もうとしている。そのようなことでは王国の安定などありえないと」
パスカルの歪曲した報告は、奇しくもエドワードの考えと一致していた。これを否定されたことに彼は内心、はらわたが煮えくり返った。
「ま、まことか、パスカル。余が三度懇願しても、ミレーヌはそのように言ったのか……」
「は、はい。殿下」
「……」
エドワードは怒りに震え言葉につまった。そして、彼は、苦しげに顔を歪めながら、王家の家臣に向かって叫んだ。その言葉は、カッツー王国の歴史を大きく変えることになる。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
今後の励みになりますので、感想・ブックマーク・評価などで応援いただけますと幸いです。




