第72話 パスカル・アシャール
エドワード王太子が摂政となった日から三週間後、パスカル・アシャール子爵は焦っていた。彼は国王派の貴族であり、特にマチュー・ラプノー侯爵の厚い寵愛を受けていた。そのマチューがギャンブルの怨恨で刺殺されてから、セリアの父であるジュノイー侯爵が国王派をまとめるようになり、彼は冷遇されていた。しかしパスカルは諦めなかった。病気がちな国王に近づき、沈みがちな王の気持ちを、軽妙な話術で楽しませ、信頼を得ていった。だが、彼の努力も、国王が政治の一線から退き、王太子が摂政となったことで無に帰した。
そんな中、国王派の主要貴族が今日、王太子から相談があるとのことで王宮に集まることとなっていた。彼はメイドに着替えさせてもらっている間、なんとしてもこの会合で王太子の信頼を勝ち取ることを考えていた。着替えが終わり玄関に向かうと、心配そうな表情をする妻がいた。彼は彼女に向かって不敵な笑みで言い放った。
「私は、この舌さえあればどうにかなる。心配するな」
そして、彼は王宮へ向かった。
◇◆◇◆
王宮の会議室には、ジュノイー侯爵をはじめとする国王派の貴族が、十数名座っていた。パスカル子爵は、集まった貴族の中で最も階級が低いため、部屋の隅の末席に座っている。彼の視線は、会議室の重苦しい雰囲気の中で、どうすれば自分の存在をアピールできるかを探していた。
そして、摂政であるエドワード王太子が入室すると、一同は起立して迎え入れた。彼は着席するなり、本題を切り出した。
「今回、卿らに集まってもらったのは、みなに相談したい件があるからだ。余は、グラッセ公爵家との縁談を斡旋しようと思っている。シリル公爵には、ジュノイー侯爵の娘のアントワーヌを。そしてシリル公爵の姉で、公爵家摂政のミレーヌには、バーソロミュー・サティ侯爵だ。なお、サティ侯爵の内諾は既に得てある」
バーソロミュー・サティ侯爵は、国王派でも反国王派でもない、いわば中立派の貴族だった。彼は四十一歳で未だ独身だが、その理由は少女しか愛せないという性癖にあると、貴族の間では噂されていた。
「縁談の斡旋程度で、王家の家臣が出向くのはさすがに仰々しいので、違うものが使者としていくのが穏当だろう。そこで卿らに聞きたい。我が内意を公爵家へ伝える者は誰が良いだろうか?」
エドワードは、一通り言うべきことを言った高揚感から、満足げな笑みを浮かべた。だが、彼を待っていたのは、称賛でも同意でもなく、重苦しい沈黙だった。貴族たちは、ミレーヌという恐るべき相手との交渉に、誰も口を開こうとしなかった。その空気を変えようと、一人の貴族が立ち上がった。
「殿下、私にお任せいただけないでしょうか」
パスカルは、自分の話術を過信していた。あの銀髪の小娘など、言葉で容易く手玉に取れると信じて疑わなかった。この誰もが嫌がる任務を引き受ければ、エドワードの信頼を勝ち取れるうえ、他の貴族たちにも恩を売ることができる。大いなる自信と、いくつかの打算が、彼の自薦という行動を後押ししていた。
「おお、アルシャール子爵。卿が行ってくれるのか?」
エドワードの喜びに満ちた声が、会議室に響いた。パスカルは内心でほくそ笑みながら、恭しく頭を下げた。
「もちろんでございます。殿下」
その受け答えを聞きながら、苦々しい表情をする貴族が居た。ジュノイー侯爵である。彼は内心思った。
(あの口先だけの男が殿下に取り入るために立候補するとは……まあ、よい。この任務は次の策のためのもので、失敗するとセリアが言っている。それに、娘の婚姻の使者として立候補したものを下手に止めるのも大人げないな。ここは、奴が自滅するのを見物するとしよう)
国王派の貴族は、ジュノイー侯爵が発言しなかったのを見て、皆沈黙を保った。こうして、ミレーヌの元へパスカル・アシャール子爵が派遣されることが決定した。
この決定が、頭脳戦を繰り広げる二人の大いなる誤算を引き起こすこととなる。
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