第70話 公爵家の夏
夏になり、ミレーヌは十九歳の誕生日を迎えた。昨年同様に身内だけの宴席にしようと考えていたが、最愛の姉の誕生日を領民が祝福すべきだとシリルがパトリスやレベッカに訴えたおかげで、今年は領内全域で摂政の誕生祭が実施された。
煩わしい税制の統一、密告制度による汚職官僚の排除、そして公共事業で得られる賃金。生活の向上が進んでいることを実感した領民たちは、公爵家摂政の誕生日を心から祝福する声を、領土内の各地で上げていた。
誕生祭も大きな混乱もなく終わり、ミレーヌは執務室でレベッカと相対していた。
「そう、鉄の安定供給は大丈夫そうね」
「はい、リアル様より鉄が購入できるようになったうえに、銃の生産体制を抜本的に見直し、月に百丁程度は生産できるようになりました」
銃の有用性は各貴族も認め、入手を積極的に進めていた。しかし、自領で銃を生産できる貴族は少なく、できても月間十丁程度にすぎない。他家は外国から高額で購入しているため、大量に揃えることは不可能だった。なお、貴族達が入手している銃は火縄銃であり、フリントロック式の新型銃はミレーヌの公爵家が独占している。
「リアル辺境伯には王家との取引は継続するように言ってあるわね?」
「はい、今までの六割程度の鉄を納入しているようです」
秘密同盟締結後、いきなり王家への鉄の供給を止めると立場が悪くなるのではないか、とリアル辺境伯は懸念を伝えてきた。ミレーヌは、ラウールなどに指示を出し、キゾルド鉱山で崩落事故があり、鉄の生産が減ったという噂を国内に広めた。これにより、辺境伯は王家へ売る鉄の量を減らすことができた。もちろん、供給が減った分の鉄は、ミレーヌがすべて市場価格で購入している。
「失礼ですが、本当によろしかったのでしょうか?」
「何が?」
「辺境伯との同盟の件です。自治を認めたことは、後々障害になりませんか?」
リアル辺境伯との同盟を締結する際、ミレーヌは鉄の市場価格での購入以外にも、辺境伯の安全保障や自治権を認めるなど、一見、リアル辺境伯に有利な契約内容となっていた。
「あんな土地に固執してる部族など障害にすらならないわ。今は必要だから、手を組んだだけで、後々刃向かうようなら処分すればいい話。それで、両都市の改修工事は進んでいるの?」
「問題ございません。あと、三ヵ月程度で概ね完了するとのことです」
両都市の改修は、ジャックが立案し、ミレーヌが修正した計画に基づいていた。従来の城壁に比べ、銃撃用の開口部がいくつも設けられている。つまり銃を活用した防衛戦に特化しており、完成すれば、領都への侵攻を試みる敵の大きな障壁となるだろう。
「あとは街道の整備事業と関所の強化ね」
「そちらも都市の改修が終わり次第着手します」
両都市の改修事業は、公爵家領に特需を生み出していた。工事に従事する者たちの宿や食事、さらには仕事後の娯楽といった需要が生まれ、両都市の経済は著しく活性化している。ミレーヌは、街道整備事業に着手すれば、経済はさらに活性化することを知っていた。
「それで、お伺いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何?」
「戦争が近いとお考えなのでしょうか?」
「そうね。すぐには起きないわ。でも、いずれは起きるでしょうから、今から準備しておいてるだけ。なにか懸念でもあるの?」
ミレーヌは、レベッカの問いに、どこか満足げな表情を浮かべた。レベッカが抱いた疑問は、ミレーヌが部下に求める水準を十分満たしており、さらに上司に聞く姿勢が評価できると思った。
「いえ、銃の増産や防衛拠点の改修のご指示いただいてからずっと考えていたのですが、今実施する理由が解らなかったもので」
その答えに満足げにうなずくミレーヌ。それを見てレベッカは一礼して去ろうとすると、主人から声がかかった。
「そういえば、例の老人。何か分かった?」
「ラウール殿やリナからはまだ報告は上がっていません。ジャック騎士団長やゲオルク傭兵団長もここ二十年くらいでそんな凄腕の騎士は聞いた事が無いとおっしゃっております」
「そう……もっと昔のことを調べないとダメかもね。セリアのことも含めて些細なことでも分かったらすぐに教えて」
「承知しました」
レベッカは一礼して執務室を出ていった。ミレーヌは一人になると、腕組みをして思考に耽る。彼女は、ライバルの次なる一手を冷静に、そして楽しむかのように読んでいた。まるで、チェスの名人が盤面を前にするかのようだった。
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