第7話 騎士の誓い
それから三日後、ミレーヌの自室には、いつものようにレベッカが報告のため控えていた。部屋には、わずかにユリの香りが漂う。
「そう、やはり、彼はマティスに対して少なからずいい感情を持っていないようね」
ミレーヌは、冷ややかな声で確認する。
「はい、お嬢様。マティス騎士団長の無理難題は、全てジャック様に押し付けられていると、騎士の間では専らの評判です」
「あの無能な騎士団長は自分で物事を解決できないでしょうけど、他に人はいないの?」
「もともと、騎士団の幹部は公爵様の太鼓持ちばかりでして。問題解決能力のある幹部は、ジャック様くらいしかいないようです」
「どうしようもないわね。我が公爵家は」
ミレーヌは、心底うんざりしたように、わずかにため息をつく。その表情には、いらだちと軽蔑が浮かんだ。
「それで、ジャック様とはどうやって接触するのですか?」
レベッカが、慎重に問いかけた。すると、ミレーヌは、予め用意してあった封筒を彼女に差し出す。
「この手紙を彼に渡して頂戴。そして四日後に外出するわ。そうね、領都の孤児院に慰問するという名目にしましょう。すぐに手配して」
「かしこまりました」
レベッカが退室したあと、ミレーヌは、手元に残された数枚の紙を眺める。ジャックの経歴、性格、そして彼が抱える不満の全てが、そこに詳細に記されている。完璧な「駒」を手に入れるための準備は、滞りなく進んでいた。
◆◇◆◇
四日後。澄み切った秋の空の下、ミレーヌは馬車に乗り込み、領都の孤児院へ向かった。護衛には騎士団第三部隊の騎士がつく。それを指揮するのは、髭を蓄えた中年の騎士――紛れもないジャック部隊長だった。
孤児院に着いたミレーヌは、孤児たちと触れ合い、優しい言葉をかけて励ます。子供たちの無邪気な声が響く中、ミレーヌはただ静かに、用意された笑顔を浮かべていた。彼女の瞳に、感情の揺らぎは一切ない。
しばらくして、ミレーヌは少し疲れた様子を見せた。
「少し休みたいのだけれど」
院長は慌てて、ミレーヌを応接室へと通した。
「なにかあったら困るから、そうね、ジャック部隊長。一緒に入って、私のこと警護してくれない?」
「承知いたしました」
ジャックの声は、表情と同じく硬い。
「あと、院長。休むだけだからお茶とかいらないわ。そんな暇があるなら子供たちの面倒を見てあげて」
「か、かしこまりました」
院長が足早に去ると、事前の指示どおり、ジャックはミレーヌとともに孤児院の応接室へと入った。
応接室のソファに、ミレーヌは優雅に腰を下ろす。
「貴方も座ったら?」
堂々たる体躯を持つジャックは、その言葉に促され、ぎこちなくソファの端に腰掛けた。彼の表情は、硬いままだった。彼はミレーヌが口を開くのを待たず、問いを発する。
「ミレーヌ様、わざわざ私をご指名された理由をお聞かせ願いたい」
「そうね。興味があるの、貴方に」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「貴方は、無能なあの男、そう、マティスの下で燻っている。そうでしょ?」
予想外の問いに、ジャックは驚き、言葉を失う。沈黙が、肯定の返事のようだった。
「仮に、その無能な男が死んでも、お父様は、他の無能な騎士を後釜に据えるわ。決して貴方じゃない。どうしてだかわかる? 貴方は他の騎士団幹部のように、お父様におべっかは使わない。いや、使えないのよ。そして、太鼓持ち連中の一人が貴方の上官となって、いつまでもこき使われる。これは、確かな未来予想図だわ」
ジャックには、まったく反論ができなかった。目の前の小娘から放たれる威圧感は、尋常ではない。なぜ、こんなにも戸惑うのか。
「その未来予想図が変わるといったら、あなたはどうする?」
「そ、それはどういうことでしょうか?」
「そうね、貴方は確か男爵家の四男だったわね。マティスは候爵家の次男。貴方の家柄だと、いくら功績を挙げても名誉的な騎士爵止まりかしら。マティスのように候爵家の血縁であれば、国王の特別な計らいで新たに子爵家を起こすことも可能かもしれない。それが今の世の中よ。いくら才能があってもこの世の摂理には逆らえないわ。貴方も既にわかっているでしょ? そして、諦めているでしょ?」
ミレーヌの言葉は、ジャックの心の奥底に突き刺さった。彼は何も言い返すことができない。
その時、ミレーヌは突然、立ち上がった。まるで、彼の心の迷いを見透かしたかのように、真っ直ぐに彼を見据える。
「ジャック、私に誓いなさい」
「そ、それはどうしてでしょうか?」
「貴方が諦めていた腐った世を変えるのは、この私だからよ」
この小娘は何を言っているのか。ジャックの頭に疑問がよぎる。しかし、その疑問もすぐに吹き飛んだ。ミレーヌから放たれる圧倒的な威圧感に、なぜか彼は全く反論できない。
「沈黙は答えじゃないわ。もちろん、断るのも構いません。ただ……」
ミレーヌの口角が、冷酷に吊り上がる。
「あとで、マティスにこう告げるわ。『ジャックに乱暴されてた』と。貴方はすぐに失脚よ。もしかしたら死罪かもね」
観念したジャックは、乾いた喉を鳴らした。死を恐れたわけではない。この公爵令嬢の言うことが、現実になるだろうという、不可解な確信が胸を支配していた。恐る恐る、彼は尋ねる。
「わ、私が、誓いを立てた暁には、何をお約束いただけるのでしょうか?」
「貴方の能力に見合った地位と権力すべてを与えるわ。もう一度だけ言います。ジャック、私に誓いなさい」
孤児院の応接室にて、中年の騎士が、若き令嬢の前に膝をつき、深い静寂の中、忠誠を誓った。彼の運命が、この瞬間に大きく変わることを、彼はまだ知る由もなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
不定期での更新となりますので、ぜひブックマークして次話をお待ちいただけると嬉しいです。