第66話 リナの報告
舞踏会の喧騒が嘘のように、王都の公爵家私邸は静寂に包まれていた。慣れない社交場に長時間いたシリルは、戻るや否やベッドに倒れ込むようにして寝てしまった。その姿を見たミレーヌも、今日は一人静かに休もうと自室に戻った。しかし、部屋の中は、予想外の来客によって、すでに満月の光だけが静かに降り注いでいた。窓辺に佇む紅の髪の女、リナの姿があった。彼女はミレーヌ達が王都へ行くのを聞きつけ、またもや勝手についてきたのであった。
「驚かさないでよ、リナ」
「悪い悪い」
リナは、子供のように無邪気な表情で返事をしながら、ベッドに腰掛けた。彼女の存在は、この厳格な館の中で、唯一の異質な空気だった。
「どうしたのよ?」
「王太子の婚約者じゃなくて、もう奥さんか。調べろって前に言ったじゃん。王宮って苦手なんだけど、頼まれたから頑張って潜入したんだよ」
セリアが黒幕と知ったミレーヌは、ラウールやリナなどにセリアのことを徹底的に調べるように指示していた。
「それで、どうだったの?」
「無理」
どんな依頼もいとも簡単にこなすリナの意外な答えに、ミレーヌは一瞬言葉を失った。彼女の鋭い知性が、目の前の事実をすぐには処理できずにいる。
「無理ってどうして?」
「部屋にタダな者じゃない奴がずっと張り付いてるんだよ。見た目は年寄りだけど、ありゃ達人だね。ワタシだから相手に悟らなかったけど、近づいたらまずバレるね」
「そんなに凄いの?」
「雰囲気から察すると、サシで勝負は無理だね」
リナはそう言いながら、その老人の姿を頭の中で思い描いていた。その男の纏う雰囲気は、過去に幾多の死線をくぐり抜けてきた者だけが持つ、独特の重みと鋭さがあった。それは、自分が今まで相対してきた騎士よりも、強烈な気配だった。
「フィデールでも?」
「フィデール? アタシと同じくらいだから無理だよ」
「同じくらいって……フィデールの剣技知ってるでしょ?」
フィデールと一年半以上訓練を共にして、嫌というほど剣技を知り抜いているミレーヌは、思わず問い返した。
「確かに、アイツの剣技は凄いけど、アタシより頭の回転が悪いし、感情がすぐ出るじゃん。試合なら絶対に無理だけど、どんな手を使ってもいいなら負けない自信はあるよ。アタシが絶対に勝てないのと思ってるのはゲオルクくらいかな」
「じゃあ、ゲオルク並みということなの?」
リナの意外な答えに思わず聞き返すミレーヌ。彼女は、自分が思い描いてた部下の剣技の力量の格付けを改める必要があると思った。
「それは、ゲオルクがその爺を見て判断してもらうしかないよね」
リナの言葉に、ミレーヌは静かに頷いた。彼女は、話を元に戻すため尋ねた。
「そのセリアの部屋に控えてた年寄りのこと調べられる?」
「うーん、調べてみるけど、ラウールのおっさんに頼んだほうが早いかもね。あと、名高い騎士だったかもしれないから、ゲオルグやジャックにも聞いてみたら?」
「わかったわ」
「そんじゃ、私はこれからひと働きしてくる。せっかく王都に来たのに、稼ぎもなく帰る訳にはいかないからね」
そう言ってリナは窓を開けて飛び降りた。この部屋は二階にあるが、彼女にとって、それはただの短い階段に過ぎなかった。
窓から外を見るミレーヌ。満月の光が寝静まった世界を照らす。それを見ながら、ミレーヌは思考の部屋に入った。
(舞踏会では思ったとおりシリルを標的にしてきた。でも、シリルが一瞬、相手の美貌に目を奪われたことは想定外。もっと自分に依存するようにしていかないと。それと、敵は知略がすぐれ、さらに武勇の者も近くにいる。一筋縄ではないかないか)
自分の計画に立ちはだかる好敵手。シリルをその手から守りつつ、相手を潰すにはどうしたらいいのか。銀髪の公爵家摂政の思考は続いていった。
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