第61話 不足する鉄
侯爵家の館の一室で、少年が豪華な衣装を身にまとっている。窓から差し込む午後の光が、少年の幼い顔を優しく照らしている。その姿を、静かにソファーに腰掛ける銀髪の女性が見守っていた。
「お姉さま、似合うかな?」
「よく似合ってるわ、シリル」
来月下旬に開催される王太子の結婚式。その衣装の最終確認をするシリルは、少しでもミレーヌに褒められたくて、「どうしても見てほしい」と懇願したのだった。
ミレーヌはそんな弟の頼みを承諾し、彼の隣に座っていた。そのミレーヌの言葉に、シリルの頬は喜びで赤くなる。すると、メイドのリサが入室し、ミレーヌに声をかける。
「失礼します。ラウール様がお伝えしたいことがあると」
「そう、会議室で待っているように伝えて」
シリルは、ミレーヌが自分を置いて仕事に向かうことに、不安を感じているようだった。
「お姉さま、忙しいね」
「ごめんね、シリル。また後でゆっくりとね」
ミレーヌがそう言うと、シリルは、一瞬の不安を忘れ、嬉しそうに微笑んだ。ミレーヌはシリルの手を敢えて握ったあと、恍惚の眼を向ける少年を置いて、執務室へ向かった。
◇◆◇◆
「鉄が足りない?」
「はい、正確には安定的に手に入りにくくなったということでして」
会議室で、ミレーヌに報告していたラウールが珍しく汗をかきながら答えた。
ラウールの報告によれば、国内外で鉄の需要が増え、鉄砲や弾丸に必要な鉄が安定して手に入りにくくなっている。その上、価格も上がっているから、当初の予算では、必要な量を確保するのが難しいとのことだった。
「それで、どうするつもりなの?」
「安定的な供給先を確保すべきだと考えます。例えば国内最大規模のキゾルド鉱山を有するをリアル辺境伯に頼むとか」
辺境伯領のキゾルド鉱山は、リアル辺境伯の卓越した手腕により、国内で唯一、安定した鉄の供給能力を維持していた。彼は鉄の取引で不正を働かない公正な人物として、領外でも広く名を知られていた。
「リアル辺境伯……。そういえば一度も会ったことが無いわね」
ミレーヌの独り言のような発言に、レベッカが即座に答えた。
「リアル・グラック辺境伯は、元々征服された異民族の末裔でして、社交界とも距離を取っていらっしゃいます。それに、征服の先陣勤めたのは我が公爵家ですから……」
「ああ、そうだったわね」
自分の家の歴史など、興味の対象外であり、全く調べていなかったミレーヌは、適当に相槌を打つ。
(隣国との紛争を口実に、社交界から距離を置いている……。王家への不信感からだろうか。いずれにせよ、彼が王家にとって都合の悪い存在であることは確か。鉄の安定供給のために手を結べば一石二鳥。しかし、我が公爵家に対しても良い感情は抱いていない)
「そういえば、ゲオルクの姓もリアル辺境伯と同じグラックだったわね。貴女、何か聞いてる?」
「私は特に聞いてませんが」
「ゲオルクを呼んできて」
一刻後、レベッカがゲオルクを執務室に連れてきた。
「俺に何か用があるって聞いたけど、なんだ?」
「リアル辺境伯のこと知ってる?」
「ああ、俺の従兄弟だよ」
「貴方、貴族だったのね?」
ミレーヌの言葉には、驚きと、どこか面白がるような響きがあった。彼女は、ゲオルクの豪胆な振る舞いから、彼が貴族社会とは無縁の人物だと思い込んでいた。
「いや、貴族の縁者ってところか。俺が十六歳の時に親父が戦死した後、リアルの親に面倒見てもらうのも嫌で飛び出したから、かれこれ十七年以上も会ってないけどな。それでリアルのこと聞きたいのか?」
「そうよ。どういう人となり?」
「俺と違って、真面目な人間だ」
「もっと貴方たちのこと聞きたいの。いいかしら?」
(貴方たち? 俺とリアルのことか? いや違う。俺たちの部族のことを知りたいのか?)
「知りたいのは、俺たち二人だけではないよな?」
「そうよ。貴方たちのことをもっと詳しくね」
自分の予想が当たったゲオルグが笑いながら答えた。
「報酬は?」
「金貨二枚で」
「金貨三枚ならいいぜ」
「決まりね」
ゲオルグは報酬などどうでもよかった。ミレーヌは故郷の人々を手駒にしようとしているのだと。しかし、交渉相手は、あのリアルだ。過去の因習に拘り過ぎてる真面目人間を動かすつもりなのか興味があった。
その後、ゲオルクはミレーヌに民族の歴史やリアルの事などを説明した。彼女は、不適な笑みを度々浮かべる。
ゲオルクはなぜ笑みを浮かべたのか理由を思い描くも、正確に察することは難しいと改めて感じた。一方、彼女のアイスブルーの瞳は、自分の心理を正確に見抜いているかのように、自分に向けられている。
(リアルは、この公爵令嬢を見たらどう思い、どう対応するのだろうか?)
ぜひ、間近で拝見したいものだなとゲオルクは思った。なお、彼の希望は果たされることとなる。
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