第6話 二人の騎士
公爵家私邸に漂う重苦しい空気は、一ヶ月前と変わらない。ロドルフ公爵夫妻は未だ王家からの不興に怯え、使用人たちは二人の顔色を窺い、萎縮する日々が続いていた。だが、ミレーヌの自室だけは、まるで別の時間が流れているかのようだ。彼女の隣には、書類を抱えたレベッカが控えている。
レベッカは、この一ヶ月でミレーヌの予想をはるかに超える「駒」へと成長した。指示された情報収集はもちろん、ミレーヌが求めるであろう次の行動まで先読みし、臨機応変に対応する。その働きぶりは、過去に香織が指揮したプロジェクトのどの部下よりも有能だった。
ミレーヌは、そんなレベッカを心の底から満足気に眺める。彼女の覇道を突き進む上で、これほど効率的かつ有能な手駒を得られたことは、最良の成果と言えた。
続いてミレーヌが狙いを定めたのは、公爵家お抱えの騎士団だった。絶対的な武力なくして、世界を変えることなど不可能だ。騎士の中から、最も使える「駒」を見つけ出し、手中に収める。それが次の段階だった。
しかし、公爵令嬢であるミレーヌには、直接騎士と接する機会はほとんどない。外出時の護衛として数名の下級騎士がつく程度だ。もしミレーヌが自ら騎士団の訓練所などに赴けば、たちまちその噂はロドルフ公爵の耳に入り、警戒されるだろう。それは避けたい。
もどかしいが、ミレーヌはレベッカに命じた。メイドたちから騎士団の噂話を集めるよう、地道な情報収集を続けさせる。
数日後、レベッカの報告によって、騎士団の中から二人の候補が挙がった。
「レベッカ、ありがとう。それで二人の経歴は?」
「はい。フィデール様は騎士団第一部隊の副長で、ジャン子爵家の次男。二十九歳になります。領内随一の勇猛な騎士との評判です」
ミレーヌは、アイスブルーの瞳を細めた。
「どういうところが勇猛なの?」
「先々月、領内に盗賊団のアジトが発見された際、一人で突入し、十名を切り捨て、三名を捕縛したとのことです。武芸は秀でていると聞きます」
「それで、ジャックというのは?」
「騎士団第三部隊長です。レルネ男爵家の四男で、今年四十二歳になります。一昨年の農奴の反乱鎮圧の際、一兵も損じることなく、また農奴の死者も出さずに反乱を治めたようです」
「どうやったの?」
「第三部隊全員を出動させ、三方から反乱した農奴を包囲したそうです。その後、ジャック様自ら一人で、農奴たちの元に赴き、説得に当たったとか。なんでも、四日間連続で農奴の指導者と話し合ったとのことです」
「ふーん」
ミレーヌは、顎に手を当てて熟考する。思考の海に沈む彼女に、レベッカが問いかけた。
「お嬢様は、二人と接触を図りますか?」
「いいえ、ジャックのみでいいわ」
「はい、わかりました」
レベッカの素直な返答に、ミレーヌは微かに唇の端を上げた。
「ずいぶん素直に返事するのね? 『なぜ?』と尋ねないの?」
「はい。多分、お嬢様はジャック様をお選びになると思っておりました。フィデール様は勇猛ですが、一人で十三人の盗賊へ赴くのは、個人の武芸を誇るだけの人物かと。それに比べて、ジャック部隊長は、まず包囲し、相手を閉じ込め、かつ部下に任せず自ら交渉に赴くという理知的な判断ができる人物です。また、自ら農奴たちの集団に赴く度胸もあり、腕にも自信がおありなのでしょう」
ミレーヌは、レベッカの淀みない、的確な分析を聞き、満足した。やはりこの駒は使える。
「彼と接触する方法はいくらでもあるからいいとして、レベッカ、貴女はジャックの人となりをもっと細かく調べなさい」
「かしこまりました」
レベッカが部屋を辞すと、ミレーヌはゆっくりと椅子から立ち上がった。窓の外に広がる公爵家私邸の庭の向こうには、騎士団の訓練場が小さく見える。それを眺めるミレーヌの表情は、獲物を見定めたかのように、かすかに満足げな笑みを浮かべていた。
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