第57話 勅命
銀相場が暴落した一週間後、午後の日が執務室に差し込む中、ミレーヌは書類を見ながらアールグレイティーを飲んでいた。前世とは違いコーヒーというものが無いこの世界で、無性に飲みたい時もあった。探せばあるかもしれないが、個人の嗜好如きで部下を使うのは非合理的と思い諦めていた。
(商業改革に続いて検地も終わった。次は自由兵の拡充と火薬の改良……といっても火薬の知識は全くない。ホマンだけでは難しいか……こんなことなら化学をもっと学べばよかった……)
不意のドアのノックする音が彼女の考えを中断させる。レベッカが入室してきた。彼女の顔色が少し悪い。
「失礼します。火急のご報告がございます」
「どうしたの?」
「実は、王都の駐在書記官から連絡があり、勅使が当家に向かっているとの連絡がありました。一週間後には当家に到着するかと」
「え? 貴女、事前に聞いてた?」
「いえ。オーブリー殿の書簡もほぼ同時刻に伝書鳩で届いています。事務方には特に相談なく、王太子が直接国王に進言して決定したようで……」
オーブリーは王家の次席書記官であるが、ラウールが直接懐柔し、王家内部の情報を定期的に流してくれる貴重な駒である。
(王太子が進言? あの純情坊やが何を進言したのか……いずれにせよ内容を聞かないことには判断できないか……)
「レベッカ、各方面に勅使が来る旨の連絡をして、迎え入れる準備を」
「承知いたしました」
◇◆◇◆
一週間後、勅使が公爵家の屋敷に到着した。応対は家令のパトリスに任せ、ミレーヌは勅命を受けるべく公爵家広間の上座手前に立っていた。ドアがノックされると、ミレーヌは膝をつく。勅使が広間に入り上座に立った。ここから仰々しく勅命が下されるはずだが、なぜか勅使はミレーヌに話しかけた。
「貴殿の弟シリルはどうした?」
「邸内におりますが……何か?」
「すぐに呼んでまいれ。シリルに伝えるべき儀である」
その言葉に強い衝撃を受けたミレーヌであったが、振り返り奥に控えるレベッカに目で合図した。レベッカは即座に立ち上がり一礼して広間を出ていく。
(シリルに伝えるだと? よもや……いや、彼はまだ十三歳。早すぎる……では彼に何の用なのか……もしかして……しかしそんな事がありうるのか……)
ミレーヌの顔から汗が一滴流れ落ちた。鼓動が激しくなる。大よそ十分後、レベッカがシリルを連れて広間に入室した。レベッカに即され、シリルはミレーヌの脇に立つ。
「シリル、膝をつき、右手を床について顔を伏せなさい」
ミレーヌは小声でシリルに指示した。シリルが跪くと勅使は徐に羊皮紙を広げ勅命を読む。
「勅命である。シリル・グラッセ。貴殿に公爵位を授ける。叙爵式は三か月後の今日、王都で行う。以上である」
ミレーヌは、事前に想定した最悪の勅命を聞き、改めて衝撃を受ける。その表情は一瞬で硬直し、鼓動が激しくなった。勅使は、彼女の姿を、愉快そうに眺めていた。
(私ではなく、十三歳の子供に公爵位だと? 正気か? 国王がこんなバカげた勅命を出すとは……。 しかし、今は受け入れざるを得ない……)
「どうした? 異議があるのか?」
勅使がしびれを切らして言葉を発する。怯えて震えるシリルにミレーヌは小声で伝える。
「シリル、『謹んでお受けします』といいなさい」
「つ、つつしんで、お受けします」
シリルが震える声で勅使に返答した。それを聞いて満足そうな顔をした勅使は、跪く人々を残して広間を出て行く。勅使の案内をするため、パトリスが慌てて後を追った。ミレーヌは立ち上がり、未だに震えるシリルに手を添え話しかけた。
「シリル、立ちなさい。もう勅使殿はいないから」
ミレーヌは、まだ震えが止まらないシリルの手を優しく握りしめた。もちろんそのやさしさは、ミレーヌの心底の感情とは異なり、シリルを自分の手のひらに治めるための演技である。
「お姉さま、ぼくどうなるの?」
「心配いらないから大丈夫よ。誰かシリルを部屋まで連れて行って。ひどく疲れているから見てあげて」
シリルお付きのメイド数名が駆け寄りシリルを自室へ連れていった。それを見届けたミレーヌは腕を組む。
(一体誰かこのような策を……。王太子ではない。彼の人となりは婚約者候補として一年間近くにいて分かる。単純な男だ。こんな狡猾な策を弄するとは思えない。彼に誰かが提案したはず。では誰? 王太子の家臣にこんな策を思いつく者はいないはず。王太子を動かせる人物であり、王太子が信頼する人物……ん、待って。ああ、そうか。そうだったのか……)
すべての点と点が線で結ばれた瞬間、彼女は大きく目を見開いた。彼女の顔に浮かんだのは、怒りや焦りではなく、満面の笑みだった。
(アイツなら可能だ。アイツしかいない。そうか、一連の騒動もアイツが全て糸を引いていたのか……すっかり騙されていた……)
急に笑い出したミレーヌに、近くに侍るレベッカとフィデールは驚く。その笑い声は、敗北を認める者のものではなく、強敵との出会いを喜ぶ、狂気じみた笑い声だった。
公爵令嬢の笑い声がしばらく広間に鳴り響いていた。
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