第51話 ティリッヒの戦い
騎乗のジャックが第一部隊に戻ると、副官のジルダが笑顔で出迎えた。
「上手くいきましたね」
「マティスの行動パターンは昔から読みやすいからな。当初の予定どおりいくぞ」
「承知しました! 総員、密集体型を維持しながら撤退しろ!」
◆◇◆◇
突撃を命じたマティスは、騎乗しジャックを追っていた。
「ジャック様、少し速度を落としてください。多くの兵は徒歩です。また、我々中央部隊が突出しすぎて、右翼、左翼が追い付いていません」
マティスの指揮下にある中央部隊指揮官のブドーが騎乗のまま進言した。
「包囲などせずとも、弱腰のジャックなど我々だけで充分だ! 続け」
「いけません。中央の部隊だけでは相手の三分の二程度です。数の優位がなくなってしまいます」
「いや、見ろ。あいつらは既に逃げてるではないか。我々がいきなり突撃することなど考えてなかったのだ! この機を逃すな! 進め! ジャックを捉えたものは金貨十枚だ! 生死は問わぬ!」
その掛け声に、兵士たちは勇んだ。こうして、侯爵家中央部隊は、右翼・左翼部隊を残して、ジャック率いる第一部隊の後を追うこととなった。
◆◇◆◇
一方、左翼部隊の指揮官であるアルカットは、マティスの突出を苦々しい思いながらも、追い付くべく兵を急かしていた。
「総員急げ! 中央部隊が接敵するタイミングで敵の横腹を叩くぞ」
「無理です」
アルカットの副官が冷静に答えた。
「なぜだ!」
「前方に湿地帯が見えます。右か左に迂回する必要があります。中央部隊の接敵には間に合わないと思います」
ミカラス地方のティリッヒ地域はこのような湿地が点在しており、迂闊に踏み入れると行軍スピードが遅くなる。予め地形を熟知していなければ、速やかな進軍ができないやっかいな地域といえる。
「ち、やむを得ない。右への迂回は、中央部隊の後ろにつくので意味がない。湿地帯の左側を進み、敵の後背を付くぞ」
左翼部隊が湿地帯を避けながら進軍し始める。すると、数多の銃声が轟き、兵士が四十名ほど倒れた。
「敵襲です」とアルカットの副官が叫ぶ。アルカットは、敵の姿を探すも、敵影は無く、左手百五十メートルほど離れた場所に藪が広がっていた。
(あの藪なら兵は隠せるが、銃の射程距離には程遠い。ではどこから打ってきたのか? まさか……)
すると、二度目の銃声が鳴り響きわたった。兵士が三十名以上倒れ、アルカットの隣にいた副官も同じく倒れた。アルカットが倒れた副官を見ると、顔面を打ち抜かれ血が流れている。これを合図に、藪から数多の兵士が現れた。アルカットは、この戦いで初めて恐怖を感じた。第一部隊だけかと思った敵は、まだ居たのだ。それも自分が率いる部隊よりも多い兵士たち。もしかして、公爵家は、我々よりも圧倒的多数の兵を配備していたのか……。
数多の敵兵を見た自軍の兵士たちは、及び腰になった。それとは対照的に、公爵家の兵士たちは雄叫びを上げながら突撃してくる。
「ひ、怯むな! 戦え! おい、お前、逃げるな!」
アルカットが声を張り上げるも、公爵家騎士団第二部隊と第三部隊の急襲を受け、左翼部隊は総崩れとなった。アルカットが討ち死にするのは、これから半刻もかからなかった。
◆◇◆◇
「マティス様、お待ちください。銃声が聞こえました」
遠くの銃声を聞いた中央部隊指揮官のブドーがマティスに言った。
「分かってる。敵も銃くらい持っているだろ」
「いや、左手後方から聞こえました。あ、今も聞こえました。かなりの数の銃声です。左翼部隊が戦闘に入ったと思われます」
「左翼が交戦中だと? 何を寝ぼけたことを。敵は目の前にいるだろ」
「もしかして、敵は第一部隊だけでは無いかもしれません。それにここは敵領地です。ここは右翼部隊と合流して、体制を立て直すべきかと」
「ええい、全軍、一旦止まれ!」
ブドーの言葉を聞き、全軍を停止させ、どうするか考えるマティス。彼がめずらしく躊躇したタイミングが中央部隊の命運を分けた。マティスの思考を打ち消すような鬨の声が前方から聞こえた。
◆◇◆◇
「全軍、反転。突撃せよ!」
中央部隊の進軍が止まったタイミングを見て、ジャックは突撃を命じた。新型銃百五十丁余りは全て第二・第三部隊に預けているため、白兵戦となる。味方約九百名に対して、敵は約六百五十名と数的優位を築いているうえに、停止したことで、追撃の勢いが削がれた敵は、気が緩んでしまった。それを見逃すジャックではなかった。
敵の反転攻勢を見たブドーは、即座に戦闘態勢を指示したが、反応は鈍かった。第一部隊が中央部隊に襲い掛かり激しい戦いとなったが、ジャックは自軍の兵三名で敵二名を相手するように徹底させ、局地戦闘においても優位性を保つ。
このティリッヒの戦いは、ジャックがミレーヌの配下となってから初めての戦いであり、彼の不敗伝説はこの戦いから続くこととなった。
◆◇◆◇
「マティス様、一旦後退すべきです」
戦闘開始から半刻以上経過し、様々な不利な要因もありながら、体制を立て直すべく指揮し続けるブドーがマティスに言った。
「後退だと! もう少し待てば右翼軍が来るぞ。そうすればジャックなど恐れぬに足りぬ」
「しかし、左翼軍の動向もよくわかりません。ここは撤退し、速やかに右翼軍と合流を」
「くどい。ジャックに後ろ姿など見せられるか!」
すると、右手後方から鬨の声が聞こえ、新たな兵団が進んできた。
「ほら見ろ、ようやく右翼軍が来たぞ! 我々の勝ちだ!」
マティスは、その声と見慣れた旗印を見て、直感的にそう叫んだ。湿地帯での行軍に難渋した右翼軍が中央軍にようやく合流し、勝利の女神はマティスに微笑んだと誰もが思った。しかし、マティスが喜んだ時間は、時計の長針が三つほど進んだ程度だった。数多の銃声が聞こえ、合流したばかりの右翼軍の兵士が多数倒れる。
「左手後方から敵襲です! 数は千、いや二千」
慌てふためいた兵士がマティスたちに報告した。ブドーは目を閉じ首を少し振った。そして剣を掲げて、叫んだ。
「総員、マティス様をお守りしながら、撤退するぞ」
「お前、勝手に指揮をする気か!」
「失礼ながら、ワトー侯爵様よりマティス様をお守りするように厳命を受けております。挟撃された今となっては、包囲されるのも時間の問題です。血路を開いて脱出いたします」
マティスがブドーに文句を言おうとすると、大声で叫ぶ声がマティスの耳に入った。
「どこにいるマティス! お前は釈放されて逃げるように親の元へ戻ったが、今回も逃げるのか!」
その声がする方角をマティスは見た。ジャックだ。
「お、おのれ、ジャック」
マティスはブドーの制止を聞かず、剣を抜いてジャックの元へ走ってく。十名以上の騎士たちがマティスに追随するも、ジャックの近くにいた公爵家騎士たちに次々と討たれていった。奇跡的に、ジャックとマティスの間を遮る者がいなくなった。マティスにとって、それは天が与えた好機に思えた。彼は、その道に向かって走りながら叫んだ。
「ジャック! 死ね!」
ジャックは、雄たけびを上げながら突っ込むマティスを冷静にかわし首元を一閃する。マティスの胴から首が離れた。それを見たワトー侯爵家騎士たちは、総崩れとなる。すかさずジャックは、全軍に追撃を命じた。ワトー侯爵領へ戻れた者は、戦いに参加した者の半分程度であり、戦死者の中には崩壊する軍の殿を務めた中央部隊指揮官のブドーも含まれていた。その損害の大きさに、後世の歴史家はただ言葉を失ったという。
こうしてティリッヒの戦いは、ミレーヌ側の圧倒的な勝利に終わった。
しかし、領都にいるミレーヌには危機が迫っていた。
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