第47話 陰謀の序曲
ミレーヌが王都から戻った日の翌日、王太子殿下の婚約が公表され、同時に恩赦が実施された。一年三ヵ月ぶりに自由の身になった、元騎士団長のマティス・ワトーは、実家が予め用意した馬車に乗り込み、逃げるように公爵家領都を後にした。
(この私を一年以上も拘束しおって。いつか必ず、この借りを返してやる)
彼の心には、騎士団長を追われたミレーヌとジャックに対する屈辱が根強く支配していた。
ワトー侯爵領に到着したマティスは、父のエタン・ワトーに挨拶するため執務室へ行った。そこには、兄のカリクステ・ワトーがソファーに座ってエタンと話会っていた。
「おお、ようやく帰ったか。マティス」
入室したマティスを父のエタン侯爵が声を掛けた。
「ようやく釈放されました。父上、いろいろと面倒をおかけしたようで」
「面倒だったのは、この僕さ。マティス、公爵家の騎士団長になるようにいろいろ助力したのに、失脚し、さらに拘束されるとは。まったく釈放されたなど、おめおめと言えたものだな」
カリクステは、相手の不幸など気に掛けもせず、自身の計画どおり動かない愚弟に、冷たい視線を投げかけた。その口調には、弟への愛情は無く、蔑みが滲んでいた。
「よさんか、カリクステ」
「父上、失礼しました。お前があの銀髪の小娘のところにいる限り、こちらとしても手を出せなくて困ってたんだ。父上も熱心に釈放を働きかけるように僕に命じて何度も公爵家と折衝したことか。分かっているかい?」
「……兄上、申し訳ありません」
マティスは反論したい気持ちもあったが、父が目の前にいることから、我慢して謝罪した。
「まあ、いいよ。無事に帰ってきてくれたから、いろいろと仕掛けることができそうだと父上と話をしていたんだ。あの方からの情報もあるしな」
「あの方とは?」
「ああ、それは別にお前が知る必要は無いさ。それで、何か言うべきことはあるのかい?」
すると、見かねたエタン侯爵は、厳しく当る兄を叱った。
「カリクステ。お前はマティスに厳しすぎるぞ。確かに、私が死んだらお前がこの家を継ぐが、兄弟仲良くしてもらわんと」
「父上、申し訳ございません」
カリクステは、形ばかりの謝罪を口にした。彼の言葉には感情がこもっていなかったが、父の機嫌を損ねることは得策ではないと判断したのだろう。
「こうしてマティスが無事に帰ってきたくれたんだ。不味い飯しか食べてなかっただろ? 今日は豪華な食事にしよう」
「ありがとうございます、父上。実は釈放前に、看守たちの立ち話を聞いたのですが面白い情報が手に入りまして」
「それはなんだい?」
瞳を細めながらカリクステが間髪入れず聞いた。
「公爵家は検地を進めているらしいんだが……」
「それは知っている。それで?」
「その検地、ミカラス地方で根強い反対でうまく行ってないらしいんだ。なんでも有力地主が反対を唱えて、いくつかの地主も賛同を示しているらしい」
カリクステの顔に、獲物を見つけた狩人のような笑みが浮かんだ。
「それは面白いな。父上、どうでしょうか? 先日お伝えした策のうち、一つがうまくいくかもしれませんね」
彼は、ミレーヌが検地の遅れを利用して何か企んでいる可能性を警戒しつつも、この状況を逆に利用できると確信していた。
「農民の反乱を扇動するという策か。大丈夫なのか?」
父であるエタン侯爵は慎重だったが、カリクステの表情には確信があった。
「大丈夫ですとも、扇動した痕跡を残さなければよい話ですから。銀髪の小娘も手を出せないでしょう」
「ふーむ。しかし万が一ということもあるぞ。当家の関与が疑わたら戦争になるかもしれん」
「その場合は、あの方を頼ればよいではないですか。我々を必ず後押しすると私は直接伺いましたから」
エタン侯爵は、カリクステの才覚は認めているものの、その冷徹さが、いつか家を破滅させるのではないかと密かに危惧していた。そこで、マティスはどう思っているのかと確認した。
「マティスはどう思うか?」
「たぶん、農民の反乱となった場合は騎士団が鎮圧に出向くかと。騎士団長になったジャックという輩は、大したことありません。私に兵卒をお預けいただければ必ず討ち果たして見せます」
「それは戦争になった時の話だろ? ちゃんと話を理解し返答してくれ、我が弟よ」
ジャックに恨みを果たしたい一心で勇んだマティス。しかし冷静な兄の指摘を受け、反論せずに沈黙で答えた。
(長い収監暮らしのせいか、以前よりも冷静さが失われたな)
カリクステは弟にあきれつつも、気を取り直して父に進言した。
「父上、我が侯爵家と隣接したミカラス地方に反乱を扇動し、鎮圧できなければ当方が兵を派遣して混乱を治め、公爵家に恩を売り、戦費や報酬を要求する。公爵家が自ら鎮圧するにしても、農民との闘いで銀髪の小娘は弱体化します。いずれにしても、あの方の意図に沿うものと思います。いかがでしょうか?」
カリクステは、自らの計画を淀みなく語った。その言葉には、感情の入り込む余地は一切なかった。エタン子爵は、あの方の意向どおり動くことが、将来の子爵家の繁栄につながることは理解しつつも、漠然とした不安がまだ心中を支配していた。
「本当に大丈夫なのか?」
「扇動の関与が疑われた場合、公爵家と戦になる場合に備えて、軍事訓練と称して騎士団以外の従卒などに動員をかけましょう。こちらは、二千人以上の兵です。一地方の鎮圧に公爵家の騎士団全てが動員されるとは思えませんのでなんとかなるかと。膠着すれば、あの方から国王陛下に調停を請うてもらえばよろしいでしょう」
「マティスは?」
「兄上のいう事に異存ありません。兵の指揮はお任せ頂きたく思います」
エタン侯爵は、二人の息子が同じ方向を向いたことに安堵し、頷いて決断した。
「よし、二人とも上手くやってくれ」
「かしこまりました」
こうして陰謀の序曲は奏でられることとなった。
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