第27話 虚を突く狐
葬儀から一ヵ月が過ぎた。今日の午後には、ミレーヌの屋敷にアレクサンド子爵が来訪する手はずだ。朝からミレーヌは執務室で、変わらず政務に勤しんでいた。
ひと段落した頃、ジャック騎士団長が慌てた様子で入室してきた。髭を蓄えた彼の顔には珍しく焦りの色が浮かぶ。
「ミレーヌ様、失礼いたします。関所から伝書鳩で連絡が入りました。ラプノー侯爵家当主がこちらに向かっているとのことです。なんでもアレクサンド子爵に同行するように依頼されたとか。さすがに侯爵家当主を追い返すわけにはいかず、領内への立ち入りを許可したと。四時間弱でこちらに到着するものと思われます」
(ラプノー侯爵家当主? ということは、マチュー侯爵ね。あの女の兄が来るのか……)
マチュー・ラプノーは侯爵家当主。ミレーヌの母アリアンヌの兄にあたる。国王に近しい貴族として知られ、王太子エドワードの婚約者セリア令嬢の実家であるジュイノー侯爵家とも懇意だ。つまり、国王派の重鎮の一人である。
(あの白髪の狸と、マチュー侯爵は親しい関係ではないはず。なぜ一緒なのだろうか?)
ミレーヌが思案に沈む中、レベッカが入室してきた。
「失礼します。あと三時間ほどで、アレクサンド子爵とルドヴィック男爵が来訪します」
「ちょうどいいところに来たわ。あの古狸がマチュー侯爵を誘ったみたいよ」
「ほ、本当ですか!」
レベッカの瞳が大きく見開かれた。その声には隠しきれない驚きが混じる。
「私が嘘を言うとでも?」
「失礼いたしました。それにしても御親戚の貴族三人が揃って来られるとは、何を企んでいるのでしょうか?」
「まあ、想像はできるけど、実際に聞いてみれば分かるわ。彼らが着いたらすぐに応接室へ通して」
「承知しました」
アレクサンド子爵がマチュー侯爵と手を組むという予想外の展開に、ミレーヌの内心には微かな焦りが生まれた。だが、それを悟られまいと、彼女は表情一つ変えず指示を出した。
◇◆◇◆
それから四時間後。ミレーヌは公爵家応接室で、三人の貴族と対峙していた。ミレーヌは、葬儀に会ったときより、ルドヴィック男爵の顔がかなり紅潮していたのが少し気になるも、どうせ小物と思考の外へとやった。
「お久しぶりです。マチュー伯父上。ところで、本日はいかなるご用向きでしょうか? よもやアレクサンド大伯父上とルドヴィック叔父上がいらっしゃる日に合わせてこられたのでしょうか?」
「もちろんさ、ミレーヌ。意外だったかい?」
ミレーヌの言葉に、引き締まったスタイルの中年貴族、マチュー侯爵は優雅に答えた。出された紅茶を一口飲み、余裕の笑みを浮かべる。
アレクサンド子爵は今日の会談をセッティングした主賓だったが、爵位が上のマチュー侯爵に主導権を完全に譲り、黙っている。その隣ではルドヴィック男爵が、相変わらずミレーヌを睨みつけていた。
「いえいえ、それで今日は、どのようなご用向きなのでしょうか?」
ミレーヌが重ねて尋ねる。アレクサンド子爵が口を開いた。
「他でもない。今後の公爵家のことについてだ」
「と、言いますと?」
「ロドルフが若くして亡くなり、侯爵家当主としてミレーヌが立ったが、女が当主になった前例はあまり多くない。ここはロドルフの弟であるルドヴィックを新たに当主に迎えた方が、領民が安心するのではないかと思ってな」
ミレーヌは、感情のこもらない声で返した。
「それは、それは、私や領民のことを案じていただき、本当にありがとうございます。しかし、父と母が逝去した後も、女である私を家臣たちが補佐してくれて、本当に助かっております。それに、私が領主代行を経て、半年間、領内でも特に問題は発生しておりませんし、先日もあのような盛大な葬儀を執り行わせていただきました。何か粗相でもございましたか?」
四百名もの参列者が集った盛大な葬儀は、貴族たちの間でも「あの幼い当主がここまでできるとは」と感嘆の声があがっていた。粗相などあるはずもない。ミレーヌの言葉に、アレクサンド子爵はわずかに言葉に詰まる。それを聞いたマチュー侯爵は、笑みを深めた。
「さすがだよ、ミレーヌ。三年前に会った時は、幼い子供だったのに、今では自分の大伯父を言い負かすとは恐れ入った。本当に見違える、いや別人のようだよ」
マチュー侯爵の鋭い指摘に、ミレーヌは内心驚きを覚えたが、平静を装い返答する。
「ありがとうございます」
マチュー侯爵は、再び優雅に紅茶を一口飲み、言葉を繋いだ。
「でもね。このカッツー王国で二番目の封土を持つ公爵家の先行きを不安視しているものも未だにいるのだよ。確かに今までは無事に統治しているが、今後大丈夫なのかってね」
そして、核心を突いてきた。
「仮に、国王陛下に直接私が、親戚会議の結果、ルドヴィック男爵を当主しますと言えば、どうなると思う? 国王陛下とて有力貴族である公爵家は憚りはあり、直接介入は避けたいだろう。しかし、陛下は、私の進言に異論はないと思うがね。親戚同士で話し合った結果だと、追認するだろう」
(やはり、このために、あの古狸はマチューという狐を連れてきたのか)
ミレーヌは即座に理解した。現状、国王の家臣は調略中であり、今、事を構えるのは得策ではない。
「だからこそ、アレクサンド子爵の提案を、自発的に受けれた方がいいんじゃないのかな? もちろん、君には十分な財産と、公爵家の封土の一部も貰えるようにしてあげるよ。断れば、財産などの分与は当然無しとなり、君は公爵家当主ではなくなる。さて、どうかね?」
ミレーヌにとって、受け入れられるはずのない提案だ。しかし、拒絶すれば、マチューは必ず国王に進言するだろう。王命が下れば、断る以前の問題となる。ミレーヌの掌に、微かに汗が滲む。今は何よりも時間が必要だった。
「弟のシリルも十三歳になり、聡明さに磨きがかかっております。数年後には立派な当主になる器かと思いますので、彼と相談してからご返答するのはいかがでしょうか? あと、家中の者にも伝えないといけませんから、お時間をいただければと」
「どのくらいかね?」
「二ヵ月後ではいかがでしょうか?」
「それでは遅い!」
爵位が一番下で、それまで遠慮していたルドヴィック男爵が怒鳴り声を上げた。マチュー侯爵は眉一つ動かさず、彼を一瞥した。
「卿は黙ってなさい。どうやら酒が残っているようだな。前々から医師からも酒は控えるように言われてると子爵から聞いたぞ。それに、彼女は私と話しているんだよ」
一喝されて俯くルドヴィック男爵。それを一瞥したマチュー侯爵は、ミレーヌに顔を向けた。
「いいだろう。アレクサンド子爵、どうかね?」
「侯爵がそうおっしゃるなら、私としては異存ございません」
「それでは、二ヵ月後、改めて伺うよ」
ミレーヌが取るに足らないと思っていた古狸は狐を連れてきた。それも極めて狡猾な狐だ。その狐と古狸たちは、ミレーヌに先制攻撃を与え、悠然と去っていった。
三人の貴族が去った応接室で一人佇むミレーヌ。彼女の脳裏では、この戦いに勝利するための策を探し始めていた。
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