第21話 二本の改革
自身の警護隊を組織したミレーヌは、当主の執務室で、筆頭書記官であるレベッカ・リカールを呼び入れた。ミレーヌの後ろには、新たに警護隊長となったフィデールが直立不動で控えている。
入室したレベッカの金色の髪が、午後の陽光を浴びてきらめく。彼女はミレーヌの前に立つと、感情を表に出さず、ただ静かに当主の言葉を待つ。その瞳には、すでにミレーヌの意図を深く読み取ろうとする光が宿っていた。
「レベッカ。貴女には、公爵領の流通改革を任せるわ」
「承知いたしました。具体的にはどのような改革を?」
「まずは、領内全ての関税と通行税の基準を統一し、文書化して公示しなさい。これに関して代官や関守の裁量権は認めないわ。
次に、公爵領内でのみ使用できる信用手形決済の導入を図りなさい。まずは公爵家が保証する形で、ラウールをはじめとした信頼できる大商人から試行的に発行を開始するわ。現金の持ち運びリスクを減らせるし、大規模な取引も円滑になるでしょう。」
「関税・通行税の標準化は理解できますが、その信用……手形決済というのはどういうことなのでしょうか?」
この世界に「信用手形決済」という概念が浸透していないことをミレーヌは即座に理解した。
(確か手形決済は、十二世紀にイタリアの両替商が生み出したと記憶していたけど、この世界では信用手形決済は、まだ生まれていないのね。キリスト教のような各国にまたがる強大な権威がないから信用力を担保できないのかしら……)
暫しの沈黙のあと、ミレーヌはレベッカに指示を出す。
「詳しくはこの指示書を読んでおきなさい」
「承知いたしました。あと、一つよろしいでしょうか? アッシ銀山はいかがいたしますか?」
公爵領の北部のアッシ山は、約七十年前に銀が見つかり、それ以来採掘をすすめ、王国内随一の採掘量を誇る。侯爵家の財政を支える重要な銀山である。
「アッシ銀山ね。毎月の報告書を見たけど、採掘量をもっと増やしたいから、私が、実際に視察して考えるわ。レベッカは、指示したことをやりなさい」
「かしこまりました。必ずや、ミレーヌ様のご期待にお応えいたします」
レベッカの背筋は真っ直ぐに伸び、その声には一切の迷いがなかった。ミレーヌは満足げに、しかし感情を表さず、静かに頷き返した。
レベッカが退室した後、新たな家令となったパトリス・ギヨタを呼び出す。初老に差し掛かった彼は、ミレーヌの御前に立つと、隠しきれない緊張を滲ませていた。
「パトリス。貴方に公爵領の農地改革を任せるわ」
ミレーヌの言葉に、パトリスはわずかに目を見開いた。その表情には驚きと、どこか深い覚悟の色が浮かぶ。
「わ、私に、その大役を、ですか」
「ええ。貴方の手腕は、過去の差配などから全て承知しているわ。まず領内耕地を正確に測量し、ついでに休耕地を洗い出すの。そして、土地台帳を徹底的に整備する。これがあれば税収の見込みも把握できるし、耕地活用の効率化ができるわ。これを一年以内に行いなさい。詳しくはこの指示書をよく読んで理解しなさい」
ミレーヌの言葉は明確で、一切の感情を含まない。その冷徹な指示に、パトリスはかつて自身が領主の下で感じた理想と現実の違いをまざまざと感じた。
「承知いたしました。ミレーヌ様。この身、滅私奉公を誓います」
パトリスは深く頭を下げた。
「パトリス、問題が生じたら、一人で対処せずに必ず私に報告しなさい。些細なことでも構わないわ」
ミレーヌは淡々と頷く。耕地測量は、収穫量を偽って報告している輩と必ず軋轢が生まれると分かっていた。また、未だ残る農奴制が、彼らの生産意欲を削ぎ、公爵領全体の富を阻害していることもミレーヌは理解していた。パトリスには、そうした旧態依然とした制度の歪みにも、いずれメスを入れてもらわねばならない。
実を言えば、レベッカに任せたいところだが、彼女一人に多くの改革を任せるにはキャパシティオーバーだ。駒が不足している現状、パトリスに任せざるを得ない。パトリスがその善人ゆえに苦悩することも、ミレーヌはすでに想定内だった。
こうして、公爵領の経済を根底から変える二つの改革の命が下された。二つの改革案がミレーヌの想定内に進むかどうかは、この時点ではまだ誰も知る由も得ない。
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