第18話 幕間(二人の貴族)
とある貴族の客間。夜の闇が深く、窓の外からは微かな風の音が聞こえるばかりだった。
部屋の中では二人の男が、向かい合って座っている。一人は白髪が目立ち始めた初老の男。もう一人は、体格のよい壮年の男だ。二人の前のテーブルには、ブランデーの瓶と琥珀色の液体が入った二つのグラスが置かれている。
壮年の男がその一つを一気に飲み干すと、グラスをテーブルに乱暴に置いた。乾いた音が室内に響く。
「本来なら、私が公爵にならなければならない。兄上が死んで、あの小娘が当主だと! おかしいとは思いませんか!」
初老の男はグラスを揺らし、琥珀色の液体を静かに見つめた。
「卿は、少し飲み過ぎではないか? 気持ちは分かるが、過度な飲酒は体に毒だぞ」
壮年の男は顔を紅潮させ、焦燥にかられたように言った。
「わかってます。しかし、飲まずにはいられません。あの小娘は、私や伯父上に相談もせずに、勝手に公爵家を乗っ取ったのですよ!」
「伯父といっても、私は子爵。ましてや卿は男爵ではないか? 小娘とはいっても、相手は公爵家。家格から考えると、二人がとやかくいっても、まともに相手にすらされまい」
初老の男の言葉は冷静だった。
「では、どうすればよろしいのですか!」
壮年の男は身を乗り出す。
「まあ、落ち着け。喚いても卿が公爵家を継げるわけではなかろうに。手詰まりかもしれんが、何もしないわけにもいくまい。他に手は……」
その言葉に、壮年の男は黙り込んだ。再びブランデーをグラスに注ぎ、また一気に飲み干す。彼の喉が大きく鳴る。その光景を、初老の男は冷静に見つめていた。彼の表情には、微塵の動揺もない。
「確か、ロドルフの嫁はラプノー家の縁者だったな?」
壮年の男の目がわずかに見開かれた。
「そうですよ、アリエンヌは、ラプノー侯爵家当主の妹ですよ。それが何か関係あるのですか」
初老の男はブランデーの香りをゆっくりと嗅いだ。
「ああ、マチュー侯爵か。思い出した。ルドルフの結婚式で会って以来、疎遠だな。彼を仲間にすればと思ったが難しいか」
「確か、マチュー侯爵はカードゲームに目がないと。最近大勝ちして、貴族を破産させたと、噂になってました」
その言葉を聞き、初老の男はブランデーを一口飲んだ。液体が喉を滑り落ちる音が、静かな客間に響く。
「では、彼をカードゲームに誘ってみようか」
壮年の男は驚きを隠せない。
「カードゲームなどしてる場合ですか!」
初老の男は眉一つ動かさなかった。
「だから、卿は飲み過ぎだぞ。まずゲームに誘い、交流を深め、そして仲間に引き入れれば良いだろ。侯爵、子爵、男爵三人が出向いて圧力をかける。国王陛下と親しいマチュー侯爵の意向は、小娘とて無視できまい。そうだな、まずは卿を当主にするように要求しようか。落としどころは摂政か」
壮年の男の顔に、わずかな期待がよぎる。
「当主ではないのですか!」
「摂政になれば、思い通りに壟断できるではないか」
その言葉に、壮年の男の目が輝き出す。
「そ、そうですね!」
初老の男の唇が、薄く弧を描く。
「そのあと、小娘に事故があっても誰も驚かない。そして、その弟も同様に始末すれば、名実ともに、公爵家は卿のものだ」
その言葉を聞き、壮年の男はごくりと生唾を飲み込んだ。彼の顔には、欲望と恐怖が入り混じった複雑な表情が浮かぶ。
「さて、この話を進めるなら相応の準備と対価を用意してもらわんとな」
「とおっしゃいますと?」
「そうだな、計画の策定と侯爵への仲介、そして説得、諸々でそれなりの報酬をもらわないとな。そうだな、まずは着手金として金貨五百枚程度は用意してもらおうか。もちろん、成功報酬は別だ」
「成功報酬とは?」
「卿が当主になったら、公爵の封土の一部を譲渡してもらう書類を用意するからサインしてもらおうか」
壮年の男は、目の前の男の言葉に、薄ら寒いものを感じた。伯父が以前から美術品の収集に熱中し、常に金を必要としていたことを思い出す。提示された計画が、彼の金銭欲を満たすための巧妙な仕掛けだと薄々気づくも、その程度の負担で公爵家当主の座を得られるなら、安いものだと自らに言い聞かせた。
「……わかりました」
初老の男はグラスを傾け、静かに言った。
「カードゲームは大負けしないとダメだな。卿はその金も用意しておきなさい」
客間には、ブランデーの甘い香りと、二人の男の企みが重く立ち込めていた。王都から遠く離れたこの場所で、新たな陰謀の種が蒔かれたのだ。ミレーヌが知らぬ間に、運命の歯車は再び動き始める。