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第17話 一滴の水滴

 ジャックから騎士団幹部捕縛の報告を受けたミレーヌは、部下を会議室に招集した。ミレーヌは緊張する部下たちに向かって口を開く。


「さて、懸念事項であったあの夫妻の問題も解決し、騎士団も完全に掌握できました。皆の協力あってこそですわ」


 一同は、深く首を垂れる。室内に満ちる達成感は、新たな支配者の冷たいオーラに覆われて凍りつくかのように落ち着いていく。


「今後の体制だけど、レベッカ、貴女(あなた)を書記官にするわ。それも筆頭よ」


 レベッカの目が僅かに見開かれた。


「私が筆頭書記官ですか? 女ですが、よろしいのでしょうか?」


(女性だからといって、同期の中で私だけが管理職に昇進できなかった……。私はそんなバカなことは絶対にしない)


「男女問わず優秀な者を見合った職務につける。これは当たり前のことよ。それに、貴女(あなた)よりも優秀な書記官は家中にはいないわ」


 ミレーヌの言葉に、レベッカは胸に手を当て、深く頭を下げる。


「ありがとうございます」

「ジャックは、騎士団団長ね。第一部から第三部隊長と副長の人選は、貴方(あなた)が選んで推薦して。逮捕を逃れた幹部も、能力無ければ降格ね。わかった?」


 ジャックは一瞬、戸惑いを覚えながらも、力強く答えた。


「承知いたしました」

「ラウール、公爵家との取引は全て貴方(あなた)に任せるわ」


 ラウールは口元に不敵な笑みを浮かべ、軽く顎を引く。


「ありがとうございます」

「あと、家令を逮捕します。ジャック、お願い」


 ジャックは即座に問い返す。


「罪状はいかがいたしましょう?」


 その言葉に、レベッカがすかさず一枚の羊皮紙をジャックに手渡した。羊皮紙には、公金横領、私文書偽造の疑いで拘束する旨の逮捕状が記載されている。ジャックは頷き、「かしこまりました」と了承した。


「家令の後任は、当面空けておくわ。私とレベッカがいるから問題ないからね」


 ジャックは、わずかに躊躇した。


「少し、よろしいでしょうか? 先日ご報告した、罪人を調査して使えそうな人材のリストがございますが、そこから選ぶというのはいかがでしょう?」

「あのリストね。レベッカも見たでしょ? 貴女(あなた)はどう思う?」


 ミレーヌに問われ、レベッカはちらりとジャックを見た。彼の顔には、微かな憤慨が浮かんでいる。レベッカは言葉を濁した。


「そうですね……」


 それを見たミレーヌは、ジャックに声をかける。


「ジャック、勘違いしてほしくないわ。レベッカが自分よりも信用されているんじゃないか、と思ったでしょ?」


 ミレーヌに図星を突かれ、ジャックは蓄えた髭を不自然に撫でながら口を噤んだ。


「私は、貴方(あなた)を信用してない訳じゃないわ。こういうリストは、複数の人間が見て判断すべきこと。それに、私は貴方(あなた)に、もっと別のことを期待しているから。こんな些事で心を乱すものではないわ」

「は、失礼いたしました」

「レベッカ、続けて」

「はい。ジャック様が選ばれた人材はどれも当家にとって有益かと。特に、パトリス・ギヨタ、リナ・オハナの二名は、そのリストの中でも抜きんでていますが……」

「『が』ってなんなの?」


 ミレーヌの声に、レベッカは小さく息を飲む。


「はい。代官だったパトリスは能力的に問題はないかと存じますが、善良すぎるきらいがあり、ミレーヌ様がお気に召すのかと。盗賊のリナは義賊として有名ですが、彼女の倫理観はミレーヌ様と反する可能性がございます」


 レベッカの話を聞きながら、ミレーヌは手元のリストに目を落とす。

 パトリス・ギヨタ、五十九歳。公爵領地の外れの元代官。民を慈しみ善政を敷いたが、妬んだ他の代官の讒訴により無実の罪で収監された。

 リナ・オハナ、二十六歳。紅の髪を持つ女盗賊。人を全く殺さず、金持ちから金や財宝だけを手際よく盗む義賊として名を馳せたが、半年前捕縛された。

 そして、リストの最後の名前に目が止まった。


「この、錬金術師。どうして推挙しないの?」


 ホマン・ナヴァール、四十三歳の男性。錬金術師。高純度の金属の精錬実験中に火災を起こし、周辺の民家を延焼させたが、本人はなんなく逃げて無事。逮捕時の事情聴取では「偉大な真理の探求には、危険はつきもの。拘束するなど、愚昧の極みだ!」と繰り返し強弁。尋問官を辟易させたという。


(本当に面白いわ。こんな人物、キリスト教のように強大な宗教権力があったら、即座に異端者扱い。この世界に、強大な宗教勢力がなくて助かったわ。もしそんな存在があったら、私の目標達成まで、さらに十年かかるところだった)


 問いかけたあと、再度、報告書を見たミレーヌがめずらしく微笑む。それをみたレベッカは、微かに違和感を感じながら、問いかけた。


「ホマンでございますか……。彼は、人を顧みず自己の探求心のみ追及する人物。危険かと思いますが」


 レベッカが懸念を伝えるも、ミレーヌは、この異端な才能こそ、自身の知識を具現化できる可能性があると考えた。その後リストを繰り返して何度も見るミレーヌは宣言した。


「リストの者を全員登用します」


 人材不足は僅々の課題であった。多少のリスクは孕んでいるかもしれないが、贅沢を言える状況にない。ミレーヌは、部下たちの若干の戸惑いを気にせず言葉を続ける。


「パトリスは家令の後任にするわ」

「よろしいのですか?」


 レベッカが困惑を隠さずに問うもミレーヌは意に介さない。


「私もレベッカも、仕事においては人当たりは全く良くないわ。こんな二人が上にいたら、下は委縮するでしょう?  パトリスがいれば緩衝材にちょうどいいわ」

「承知いたしました」

「リナは、腐敗貴族を一掃する目的があると伝えて懐柔しなさい。ホマンは、敷地の外れに実験小屋を作ってやりなさい。そこで私が望むものを研究させるわ」

「承知いたしました」

「あとはいいわね」


 レベッカが挙手した。


「よろしいでしょうか?」

「なに?」

「はい、葬儀は、どういたしましょうか?」

「ああ、あの夫婦の葬儀ね。忘れていたわ。そうね……盛大にやりましょうか。領民全てが、私の悲劇に涙し、あの夫婦の死を悼むような、そんな素晴らしい葬儀をね」


 彼女の瞳の奥には、悲しみなど微塵もない。


「それで、葬儀の段取りってどうなの? 牧師を呼ぶんでしょう? もちろん土葬でしょ?」


 ミレーヌの唐突な問いに、レベッカは戸惑ったように首を傾げた。


「どそう、でございますか? ご遺体は通常荼毘に付し、密葬の概ね三ヵ月後に、本葬を行うのが一般的でございますが…………」

「あ、そうだったわね」


 ミレーヌは一瞬、眉をひそめたが、すぐに完璧な笑顔を取り繕った。彼女の認識ではこの世界は十五世紀あたりの封建制が残るヨーロッパ文化に極めて近い。だが、キリスト教のような強大な宗教権力が存在しないなど、異なる点も多かった。転生してから二年足らずしか経験していない彼女は、この世界の常識を遍く把握してないことを痛感する。


「レベッカ。私も葬儀の段取りまでは知らないから、後で詳しく教えて頂戴」

「承知いたしました」


 かすかに怪訝そうな顔をするも、レベッカはすぐにいつもの冷静な表情に戻った。


◆◆◆◆


 会議が終わり、自室に戻るミレーヌ。するとレベッカが間をおかず入室してきた。


「お嬢様、この度はお誕生日をお祝いする機会を逸してしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 誕生日? ミレーヌの思考が止まる。


「はい。公爵夫妻の連日の看病をされていた最中、お嬢様は十七歳になられました」


 十七歳。この私が? ミレーヌの顔に、かすかな困惑が浮かぶ。


(ああ、そうだったわ、誕生日なんて、すっかり忘れてた。すると転生してから二年経ったのね。私、幅下香織はもう、三十半ばよ。それなのに十七歳だなんて)


 その困惑は笑みに変わる。そして、いつしか口から音を漏らし始める。


「……ふふふ、私が十七歳だって。うふふふ、私は十七歳なの。あっははは!」


 ミレーヌの笑い声を初めて聞いたレベッカは、驚愕に目を見開く。そもそも、なぜ笑っているのか全く理解できない。しかし、笑い続けるミレーヌの内に何か異なるものが宿っているかのように感じた。突然、ミレーヌは我に返る。


「もういいわ、下がりなさい」


 レベッカが退室した後、ミレーヌは自身の手を見つめた。



(……本当に幼い手。今の私の手……。でも私の手じゃない。私は私。私は幅下香織……)




 ミレーヌの顔から一滴の水滴が流れ落ちた。



 最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

 第17話で第一章が完結となります。今後の創作活動の励みになりますので、ぜひ作品へのご評価(下の☆をタップ)や率直な感想をいただけると幸いです。

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悪役令嬢が本当に悪の道を進んでいく物語が好きなため、好みドンピシャでした。 進む道がただの『悪』ではなく、『今の世界を壊す』という明確な目的があり、 その理由もはっきりと描かれていて、素敵な作品だと思…
派手な演出ではなく、静かな狂気を淡々と積み重ねていく展開が印象的で、他の作品とは一線を画す独自の魅力があると感じました。 特に、最後のミレーヌ様の笑いと涙の意味――それが読者の解釈に委ねられたものな…
17話まで読了。 気付いたら夫妻がさっくり処分されてしまいました…! ミレーヌちゃんは強い子だけれど、過去の自分と現在の自分との差異で色々思うところがあるようですね。 2章では、果たしてどんな道を歩ん…
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