第14話 公爵令嬢の依頼
ラウールの商家で指示を出してから二日後、私室の机の椅子に、ミレーヌは静かに腰掛けていた。手にした報告書を読み終え、彼女は傍らに控えるレベッカに問いかける。
「よく息子のことまで調べたわね」
「いいえ、たまたまです。ラウール殿からの貴族に関する報告書にドゥスト子爵家のことが書いてあり、ピンときただけです。調べてみたら、マガリーメイド長の息子でした」
ミレーヌは再び報告書に目を落とす。
メイド長、マガリー・ドゥスト=ストラウト。四十九歳。公爵領に封土を持つドゥスト子爵家の長女だ。その息子、ラッセル・ドゥストは二十歳。ドゥスト子爵当主に子供がいなかったため、甥のラッセルを養子に迎え嫡子とした。
しかし、このラッセルはとんでもない放蕩息子で、貴族の間で流行するカードゲームに手を出して多額の借金を抱えていた。元本はもちろん、利子の返済すらままならず、子爵家の公金に手を出している可能性が高い。もちろん、ドゥスト子爵当主は知る由もない。
「ラッセルに金を貸しているのが、ラウールか。面白わね」
「はい。公金に手を出している証拠はありませんが、利子の額から言って個人が工面できる範囲を超えています」
「いずれにせよ、これをドゥスト子爵に告げたら廃嫡ね。借金の額は子爵家が簡単に工面できる域を超えているわ。それで?」
「彼女にこの事実を告げるだけで十分だと思います」
「わかったわ。今日の夜に私の部屋に連れてきなさい」
「かしこまりました」
レベッカが退室するのを見届け、再び報告書に目を落とすミレーヌ。彼女の口元は微かに笑っていた。
◆◆◆◆
夜、皆が寝静まった時刻。レベッカが年嵩の女性を伴い、ミレーヌの私室へと入室した。淡いユリの香りが、いつもより重く感じられる。
「夜分遅く呼び立てて、ごめんなさいね。マガリー」
「いえ、お嬢様。お呼びとのことですが、何用でしょうか?」
メイド長の矜持からか、普段からミレーヌに対しても堂々とした態度で接するマガリーは、こんな時間に、親密とは思えない呼び出しに困惑の表情を浮かべている。
「マガリー。貴女は、本当に長い間この公爵家を支えてくれたわ。今日は、その働きに敬意を表したかったの」
「また、お嬢様、改まってそんなことをおっしゃるなんて……」
「それでね。貴女の息子さんのことだけど、先日、ちょっと小耳に挟んだの。息子さんとんでもないことしているみたいよ。知ってるかしら?」
「え……」
思わぬ問いかけに、マガリーは絶句した。
「私の懇意にしている商人から聞いたのだけど、彼って、その商人から金貨一万枚の借財をしているみたいなの。借用書も見せてもらったわ。どうやら他の商人からも借りているみたいで、総額は金貨五万枚を下らないって。あなたご存じでしたか?」
「ま、まさかラッセルが……」
「彼にお金を貸している商人が共同で取り立てを図ろうとしているみたいだけど、息子さんは、とりあえず利息だけ払って宥めているみたいね」
「ほ、本当でしょうか?」
「私を疑うの? 今度、一緒にその商人のところに行きましょうか? もっとひどい話も聞けるかもね」
「ど、どんなことを」
「そうね、貴女の息子さんってカードゲームばかりやってるって。領都の商人の邸宅で、定期的に貴族が集まってるところでね。そこで負けがこんで、借金したみたいよ」
思わぬことを伝えられ、マガリーは震えが止まらない。
「金貨五万枚よ。毎月の利子でも一千枚。彼個人で用立てできる金額じゃないでしょう? たぶん子爵の公金からくすねて払っているのかもね」
マガリーの表情を見て、圧倒的な優位に立ったことを実感したミレーヌは、追い打ちをかける。
「これって、あなたのお兄様、ドゥスト子爵は知らないみたいなのよ。どうしましょう。こんな借財が表立ったら、どうなるでしょうね?」
マガリーは、ミレーヌの言葉を聞き、想像する。金貨五万枚の借財。それに公金横領。廃嫡どころか、子爵家自体の存続も危ぶまれる事態だ。
「でもね。貴女の息子さんが借りている商人に、私は貸しがあるの。黙っておくように指示することもできるの。私はどうでもいいことだけど、魅力的でしょ? 貴女にとっては」
マガリーは観念したようにミレーヌの取引条件を聞く。
「そ、それで私はお嬢様に何をすればよろしいのでしょうか?」
「簡単なことよ。明日から、この薬をお父様とお母さまの食事に一滴ずつ入れてくれればいいだけ。簡単でしょ?」
「その薬は何なのでしょうか?」
「あら、知りたいの? それなら明日、子爵家の屋敷に借金の取り立てに行くように商人にお願いしておくわ」
メイド長の顔から血の気が失せ、膝から崩れ落ちそうになるほどの絶望が全身を包む。
それを見て、ミレーヌは薬の瓶を差し出した。
この瓶を握るべきか、いや、握らざるを得ない。でも。葛藤が続くも、部屋の中はただ沈黙が支配する。やがて、覚悟した彼女は震える両手でその瓶を受け取った。
「お願いしますね。マガリー」
瓶を受け取ったことを公爵に伝えるべきか。いや、伝えたら最後、自分たち家族の破滅が待ち受ける。今はミレーヌに頼るしかない。
部屋を退室しようとするマガリーに、ミレーヌが声を掛ける。
「あ、言い忘れたわ。貴女のことは、ちゃんとレベッカが見てるから安心してね」
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