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第12話 数滴の毒薬

「ミレーヌ様、お求めの品、確かに手に入れてまいりました」


 誓約から四ヶ月後、公爵家を訪れたラウールは応接室で恭しく小瓶を差し出した。琥珀色の液体が微かに揺れる。部屋に漂うユリのポプリの香りが、その不穏な空気に押し流されるかのようだった。定期的な会談を重ねてきたが、この瞬間ほど、彼が踏み入れた道の冷酷さを実感したことはない。

 ミレーヌは差し出された小瓶を手に取ると、感情を一切映さないアイスブルーの瞳で中身を検めた。そのガラス越しに揺れる液体は、ただの薬品ではない。それは、彼女が望む未来への、最初の一歩を決定づけるものだった。


「ご苦労だったわ、ラウール。これは?」


 彼女の問いに、ラウールは淀みなく答える。彼の声には、僅かながら緊張が滲んでいた。


「はい。数ヶ月かけて標的を確実に死に至らしめる、無味無臭の遅効性の毒です。ごく微量を投与し続ければ、一カ月程度で倒れ、意識は混濁します。入手経路や使用上の注意点、そして毒性の詳細まで、全て滞りなく報告書にまとめております」

「ありがとう、あとで読んでおくわ」


 ラウールから手渡された分厚い報告書を一瞥したミレーヌは、満足げに頷いた。彼女の表情に一切の感情は浮かばない。だが、その瞳の奥では、既にいくつもの計算が高速で駆け巡っていた。毒の性質、対象、そしてその後の影響。全てが彼女の計画の歯車として、完璧に組み合わさっていく。

 標的は、他でもない公爵夫妻だ。彼女は、ゆっくりと小瓶の蓋を開け、中の液体を掌に数滴垂らした。琥珀色の雫は、何の変哲もない水滴のように、ただ手のひらに広がるだけだ。匂いもない。毒が持つはずの悍ましい存在感は、そこには微塵もなかった。

 この無色無臭の液体が、数ヶ月後には公爵夫妻をこの世から葬り去る。死因は病死。誰も疑うことはない。


 掌の毒を見つめるミレーヌの顔に、僅かな恍惚が浮かんだのを、ラウールは見逃さなかった。その瞳に宿るのは、一切の躊躇や罪悪感のない、完璧な勝利への確信だけ。自分が仕える主の狂気と、その底知れぬ深淵を垣間見た気がして、ラウールの背筋に冷たいものが走った。彼は知らず知らずのうちに息を詰めていた。


「ところで、ラウール、明後日午後にあなたの店に伺います。部屋を用意しておきなさい」


 ミレーヌの言葉に、ラウールははっと我に返り、慌てて頭を下げた。


「かしこまりました。ミレーヌ様」


 ラウールが退室後、一人応接室で佇むミレーヌ。彼女は、掌の毒を拭うことなく、静かに、そしてゆっくりと口角を吊り上げた。その笑みは、煌びやかな部屋のユリの香りとは裏腹に、どこまでも冷たく、美しいが故に恐ろしい狂気を秘めていた。彼女の計画は、静かに、しかし確実に進行していく。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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