第10話 狂気への誘惑
一週間後、ラウールは改めてミレーヌを訪ねに公爵家を訪れた。応接室でミレーヌと相対する彼の顔には、前回のような困惑の色はなかった。
「エドワード王太子とセリア令嬢の婚約は来年早々に正式決まるようです。結婚は一年後といったところでしょうか?」
「そう、よかったですわ」
「あ、失礼しました。ミレーヌ様にお話するようなことではございませんでした。配慮が足りず申し訳ござません」
ミレーヌの目の前に座る男は、当然婚約破棄されたことは知っている。敢えて王太子とセリアの婚約や結婚の情報を提供して、どのような表情をするのか試しているに違いないと、ミレーヌは確信した。
「私が興味がもてそうな話題はないのかしら?」
「そうですね。公爵家の家令様がどうやら裏でいろいろ小遣い稼ぎをしているようでして」
「根拠は?」
「いえ、噂の段階ですので明確な証拠はございませんが、先日私が騙された紹介状の用紙は公爵お抱えの紙屋の品と瓜二つ。紙屋は他に卸しておりません。いずれ調べることがあればご注意された方がよろしいかと」
少し考えるミレーヌ。公爵家内部は腐敗しきっているので、実権を握った暁には、家中の大掃除が必要になる。その後釜に据える駒が全く足りないという課題を再認識する。
「興味深い内容でした。また教えていただけないかしら?」
「はい、喜んで。今度はどのような事がご嗜好に合いますか?」
「そうね。領地内の平民たちの噂など拾ってきてくれないかしら?」
「お安い御用でございます」
「それと、王都や他の有力貴族たちの動向も教えてくれる?」
「はい、よろこんで。ただし、ご報告は二週間後となります」
「それで結構。報酬は?」
「まだ、直接物をお売りしておりませんので報酬など滅相もございません。いずれ大きく儲けさせていただけると確信しておりますので」
◇◆◇◆
その後、ラウールは、二週間に一度、ミレーヌの元を訪れるようになった。
ある日、ミレーヌはラウールに、王家寄りの姿勢を見せ始めたとある貴族の弱みを尋ねる。彼は即座に、その貴族の隠れた借金や嫡男の女問題まで調べ上げた。
「この情報があれば、あの貴族を我が意のままに動かせますわね」
ミレーヌは満足げに微笑んだ。その瞳に、躊躇や罪悪感は一切ない。ただ、情報をどう利用するかという戦略的な思考だけが宿っている。
ラウールは、その笑顔を見て背筋が凍った。ミレーヌが求めているのは、単なる情報ではないと気づき始めていたのだ。彼女は情報を「駒」として扱い、人々の弱みや感情すらも計算し尽くした上で、確実にその首を絞めようとしている。それは、彼がこれまでに見てきたどんな商談よりも冷徹で、どんな陰謀よりも恐ろしいものだった。
また別の日、ミレーヌは領地の物流経路に関する改善案をラウールに提示し意見を求める。彼女の示す最適化案は、効率的で莫大な利益を生むが、同時に多くの下請け業者や労働者を切り捨てることを意味した。
「この計画を実行すれば、多くの者が路頭に迷うことになりますが……」
ラウールの言葉に、ミレーヌは一瞥をくれる。
「無能な者や、変化に対応できない者は淘汰されるのが当然でしょう。彼らが路頭に迷おうと、全体の最適化には何ら影響を及ぼしません」
その言葉は、感情のない機械のようだった。ミレーヌが『人間』を、ただの数値や効率の対象として見ていることに、ラウールは戦慄する。彼女の瞳の奥に宿る、この世界を根本から作り変えようとする狂気にも似た強い意志。それは彼の知るあらゆる常識を逸脱し、足元から崩れ落ちるような感覚に襲われた。
しかし、同時にラウールの中に奇妙な感覚が芽生え始める。この冷徹なまでの合理性と、揺るぎない目的意識。彼女が求めるものはいったい何なのか? 近くで見定めたいという欲求がラウールを襲う。ミレーヌへの恐怖と抗いがたい魅力を感じ始めていた。
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