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浄化されるはずだった僕たちへ  作者: いろはし
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第二章:目覚めと拒絶

この物語には、少しだけ“人知を超えた存在”が登場します。


かつて人を護るために生まれながら、

その意味を誤解され、恐れられ、封じられた少女。

そして、彼女をめぐって動き始める、感情を失った人間たちの物語です。


私は中学生の頃、ある神話体系に惹かれていました。

そこに登場する存在たちは、恐ろしくもどこか寂しげで、

人間が知ってはいけないはずの“真実”に、静かに寄り添っていました。


この物語の中に、そんな昔の記憶と想いが滲んでいます。

それは神話の再構築でもなく、完全なSFでもない。

ただ、“忘れられてしまった愛の物語”です。


あなたの心に、何かが残れば嬉しいです。


朱雀が目を覚ました朝、世界の色が少しだけ違って見えた。


湿った土の匂い、崩れかけたコンクリートの光沢、遠くの機械が吐き出す規則正しいノイズ。

それらすべてが、微かに揺れていた。

翠はその違和感に、まだ言葉をつけられずにいた。


「翠、お前……正気かよ……」


柳の声は、怒りというよりも、呆れに近かった。

その手には銃が握られているが、銃口は下がったままだ。


朱雀は、ただ静かに立っていた。

風に揺れる白い髪。その視線は翠を見つめているようで、何も見ていないようにも思える。

無垢というには危うく、しかし敵意はまるで感じられない。


「……連れて帰る。少なくとも、置いていく理由がない」


翠はそう言った。

本当は、違う理由が胸の奥にあった。

“助けたい”とか、“守りたい”なんて言葉は、今のこの世界では綺麗すぎて使えない。

でも、それに近いものが、たしかに自分の中で芽吹き始めていた。


「チッ……知るかよ、もう。好きにしろ」


柳は頭をかきむしって背を向けた。

朱雀は、翠の差し出した手を、ほんのわずかに迷ってから取った。


その手は冷たくて、けれど熱を帯びていた。



帰還した基地では、想定外の沈黙が広がった。


誰も、朱雀について口を開こうとしなかった。

ただ、彼女を見るたびに、どこか居心地悪そうに視線を逸らした。

感情を持たないはずの人間たちが、“説明できない感情”を覚えたのだ。


翠と柳は簡易隔離棟に案内され、朱雀には専用の観察室が与えられた。

その処遇は、「仮保管」。

正式な記録には“未分類生体装置”とだけ記された。


「なぁ、翠……あれ、本当に人間なのか?」


柳がぽつりと漏らした言葉に、翠は答えられなかった。


朱雀は食事をとらない。眠ることも、喋ることも滅多にない。

ただ、ときどき誰もいない部屋で、微かに笑う。

誰に向けてでもなく、思い出すように、心のどこかをなぞるように。


それが、ひどく寂しそうに見えた。



数日後、通知が来た。


《仮保管対象は研究部門への引き渡しを命ず。期日:明朝》


短い文面。感情のかけらもない、命令文だった。

けれど、翠の胸の奥では、何かがひどく軋んだ。


「……やっぱり、こうなるんだな」


柳が、無表情で言った。


「放っておけば、解剖だ。データと引き換えにバラされる。人間でも道具でもねぇ、ただの“情報資源”だ」


翠は拳を握りしめる。


「それでも、俺は見捨てたくない」


「感情的だな、お前は」


「そうかもしれない。でも、彼女を見ていると……

この世界が、どこか間違ってるって、そう思えてしまうんだ」



夜。


朱雀は、居住ブロックの小さな窓から、外を見つめていた。


かつて“星空”と呼ばれていたはずの空には、いまや人工の光と黒い雲しかない。

でもその中に、ほんのわずかに光る点があった。

それは星ではなく、古い衛星の残骸だったかもしれない。


「……あなた、悲しいの?」


翠がそっと尋ねると、朱雀はゆっくりと首を横に振った。


「違うの。私は、あなたが悲しいのがわかるの」


言葉は静かに、しかし確かに彼女の口から紡がれた。


翠の喉が、かすかに震えた。


その声は、あの時と同じだった。

胸の奥に直接響いて、忘れていた痛みを呼び起こす、優しくて熱い声だった。


「……助けたい」


翠がつぶやいた。


朱雀は、その言葉を聞いて——初めて、はっきりと微笑んだ。



次の朝、命令が下されるよりも早く。

三つの影が、夜の基地を抜けて姿を消した。


彼らが何を捨てて、どこへ向かうのか。

それを知る者はまだいない。


けれどその足音は、確かに静かな反抗だった。

この“無感情の世界”に対して。

そして、自分たちの“忘れてきたもの”に対して。

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