99 天然氷穴
その後何とか真面目な空気を取り戻した一行は、改めて洞窟へと足を踏み入れた。
入口から少し下り、横向きになってギリギリ通れるくらいの狭い隙間を抜けると、少し広い空間に出る。
「…寒いわけだな」
ぼそり、呟くハンスの息が白い。
隣に立ったリンが感嘆の溜息をついた。
「すごい…」
「氷柱…それに、氷のカーテンか」
アルビレオが首元のマフラーをかき寄せながら目を細める。
滴る水滴が次々凍ってできる氷柱。透明な牙にも似た自然の造形物が、天井からいくつも伸びている。
モクレンの明かりの魔法を反射してキラキラと輝くさまは、さながらガラス細工のようだ。
さらに奥側では、それが地面まで到達し、横にも広がって隣同士で一体化し、巨大な氷の壁になっていた。
表面に氷柱の形状を残しているので、アルビレオの言う通り、壁面いっぱいに広がるカーテンのようにも見える。
ハンスにとっては『氷柱』自体は毎度お馴染み、真冬の風物詩だが、洞窟の中で見るそれはかなり雰囲気が違った。
透明感が強く、一方で白濁した部分はかなり青みを帯びていて、背中が寒くなるような独特の気配が漂っている。
「アルビレオ、ゲルダ、モクレン。水の魔素はどんな感じだ?」
ハンスが話を振ると、ゲルダが真っ先に口を開く。
「痛い」
「痛い?」
「ああ、純度が高すぎるという意味だ」
アルビレオが苦笑交じりに補足した。
「ここの水の魔素は、異常に純度が高い。他の属性の魔素がほとんど感じられん。ハンスもリンも、寒さ以外に何か感じ取っているのではないか?」
「…長居したくないなっていう感じはあるわね」
リンが眉を寄せて呟く。ハンスも深く頷いた。
「ああ。なんつーか、腰を落ち着けられる場所じゃない」
そこで、ハンスの視界にモクレンの後頭部が映った。外でのふざけた態度が嘘だったように、妙に静かだ。
「…おいモクレン、どうした?」
ぴくり、モクレンのヒゲが動く。
モクレンはノロノロとした動きで顔を上げ──それと反比例するように、体をポケットの奥の方へ縮こまらせていく。
完全に中に入り込むと、コートの内側から煌々と輝く目でハンスの顔を見上げ、モクレンは思い切りイカ耳になった。
《…寒い! 耳が凍る! 鼻が霜焼けになる! 何とかしろハンスー!》
「無茶言うな」
鼻先に深いシワを刻んでのクレームに、ハンスも負けず劣らず仏頂面で応じた。
それでも一応コートの合わせを閉め、マフラーの結び方を変えて冷気が入り込まないようにするあたり、ハンスもなかなか訓練されている。
モクレンは完全に見えなくなったが、念話は問題なく響いた。
《長居は無用ってのには完全に同意だな。こんな所じゃ、メシも食えないぞ》
「まぁな」
実際、気温が低すぎる。濡れタオルを振り回したらその形のまま凍るレベルだ。
既に下エーギル村では春の農作業の最盛期だというのに、この洞窟の中は厳寒期そのもの。
ハンスは軽く首を竦め、とりあえず奥に進むぞ、と先頭に立って歩き出した。
洞窟の調査は極めて地味だ。地形を確認しながらざっくりと地図を作り、壁面の地質や崩落の有無、気になったものなどをメモしていく。
さらに、状況によっては魔物を討伐することもある。
ハンスが地図を描いてアルビレオが地質を確認し、全員で気になったところを調べて、魔物が出たら主にリンとゲルダが対処する。上級冒険者4名のパーティの仕事は速い。
幸い、出現する魔物は小型のものばかりで、戦いに苦労することもなかった。
問題は、
「……ここ、滅茶苦茶広くないか…?」
数時間後、ちょっとした空間で白い息を吐きながら、ハンスは呆れ混じりに呻いた。
かなり奥まで進んだはずなのに、まだ最奥が見えない。分岐はそれほど多くなく、枝道はすぐに細くなって行き止まりになるので地図を描くのは難しくないが、とにかく本流が長い。
壁は凍り付き、天井にはいくつもの氷柱が垂れ下がり、地面もかなり分厚い氷の層に覆われている。
細くなっている場所は氷でほとんど塞がっていることもあった。その氷を割るとさらに奥へと続く道が現れるので、引き返したくとも引き返せない状況になっている。
「どこまで続くんでしょうね…。もう顔の表面の感覚がおかしいんですけど」
リンもややうんざりした顔で言う。その頬と鼻先は既に真っ赤になっていた。アルビレオとゲルダも似たようなものだ。
「洞窟を出たら、霜焼けに効く軟膏を処方しよう」
「ん」
アルビレオが苦笑し、ゲルダが真顔で頷く。
ちなみにハンスはそれほどひどくなっていない。元々がこの地域の出身で寒さに強いのと、懐にモクレンが詰まっていて暖が取れるからだ。
──面の皮が厚いから、という説もあるが。
「これは一旦引き返した方が良いかも知れないな…」
奥へ行けば行くほど気温は下がり、氷の量も増えている。もはや氷に覆われていない部分を探す方が難しいくらいだ。
一見普通の岩に見える地面も実際にはツルツルの氷。ハンスたちは靴底に装着する外付けのスパイクを持って来ていたから問題なく歩けるが、普通の靴だったらとっくの昔に滑って転倒しているところだろう。
ハンスの体感では、時刻は既に昼前。
ゲルダが『痛い』と表現するくらい純度が高い水の魔素が漂う空間に、あまり長居するのも危険だ──ハンスはそう判断して、リンたちを見回した。
「今日の調査はここで切り上げよう。他と様子が違うことは分かったし、じっくり調べればいい」
「はい」
「そうだな」
「ん」
各々から了承を貰い、ハンスはポーチ型圧縮バッグから小ぶりなハンマーと金属製の杭を取り出した。
杭は自然物の中で目立つよう、鮮やかな赤色に塗られている。人の手が入っていない場所を探索する時に冒険者がよく使う目印だ。
ハンスは奥側の壁に歩み寄り、手際よくその杭を打ち込んだ。これで、調査済みの区画の見分けがつく。
「──よし。それじゃあ──」
帰るか、とリンたちに振り向いたところで──
──ビシッ
足元から、嫌な音がした。
「…!」
ハンスの足元、透明な氷の層に走る、青みを帯びた白いひび。
そしてその下──ひびが入って初めて分かった。
氷の下は、黒い岩ではなく、空洞だ。
(まずい…!)
全身が総毛立ってももう遅い。
ハンスが飛び退るより速く、ひびは一瞬にして蜘蛛の巣のように広がり、氷は粉々になって崩壊した。
「…っ!」
《なんだ!?》
がくんと態勢が崩れ、懐からモクレンの悲鳴が響く。
「ハンスさん!」
急激な落下感に包まれる中、真っ青な顔をしたリンが駆け寄ろうとして、アルビレオに止められているのが見えた。
「ダメだ、リン!」
「でも──!!」
リンたちは巻き込まれなかったか──頭の隅で安堵しつつ、ハンスは暗闇の中に落ちて行った。




