90 回復
「し、塩と砂糖…?」
呆然と呟くアーロンに、アルビレオは忌々しそうに頷いた。
「そうだ。──アーロン村長、この『薬』、水に溶かして飲ませるようにと言われただろう?」
「う、うむ…1包につき、コップ2杯の水かお湯に溶かせと…」
「……あながち間違いではないのが厄介だな……」
アルビレオが呻くと、あっとリンが声を上げた。
「それ、暑さで調子が悪くなった人に飲ませる……えっと…」
「経口補水液、だな」
「それです!」
ハンスの呟きを拾って、リンがパッと目を輝かせ──あれ?と首を傾げた。
「でも別に、ヒースクリフさんは暑いから倒れたわけじゃないわよね?」
「尿でも汗でも、身体から水分と塩分が失われるのは同じだからな。対症療法としては、経口補水液を飲ませるのが正解だろう」
アルビレオが苦虫を噛み潰したような顔のまま、首を横に振った。
「だが、根本的な解決にはならん。まして、これを薬と偽って高値で売りつけるなど…よほど性根が腐っているのだろうな、その商人とやらは」
蜂蜜色の目が剣呑な色を帯びる。部屋の隅で手持ち無沙汰に立っていたゲルダが、黙ってそっと距離を取った。
ちなみに彼女は、ハンスとエリーがヒースクリフを連れて来るためにアーロン宅へ行っている間、エセルバートとエリーとマーク、そしてナターシャと共に会議室で待機していたのだが、彼らが真剣に今後の動きや確認しなければいけないことを話し合っていたため、仮眠室に避難してきた。
とはいえこちらも人手は足りていたため、邪魔にならないよう壁の花と化していたわけだが──閑話休題。
「ま、その辺については後でナターシャに相談するさ。アーロン村長、構わないか?」
「…うむ」
ハンスが訊くと、アーロンは一瞬躊躇して、何かを振り切るように頷いた。
その後ぽつぽつと話をしながら待っていると、やがてヒースクリフの様子を観察していたトレドが安堵の溜息をついた。
「顔色が戻ってきましたね」
確かに、土気色だった頬にほんのりと赤みが差している。
アルビレオが脈を確認して、満足そうに頷いた。
「追加の薬は必要なさそうだな」
その言葉に、場の空気がホッと緩んだ。
とはいえ──
「失った体力はそのままですから、普通の生活に戻れるのはまだ先ですね」
「うむ。そもそも水の魔素に対する反応性も変わっておらんだろうし、鉱夫の仕事に復帰するのもやめておいた方がいいだろうな」
トレドとアルビレオが淡々と告げると、アーロンが深く頭を下げた。
「…それでも、息子が救われたことには変わりない。ありがとう…心から感謝する」
声が微かに震えている。
そして、ベッドからも。
「……ありがとう、ございます…」
「ヒース!」
アーロンが振り返り、目を見開く。
薄目を開けたヒースクリフが、何とか起き上がろうとベッドに片肘をついていた。ハンスはすぐに背中に手を添え、上体を起こさせる。
反対側のベッドの布団をリンが素早く丸め、ヒースクリフの背中の後ろに置いた。簡易的な背もたれだ。
「…すまん」
丸めた布団にもたれ、しゃがれた声で呟くヒースクリフに、ハンスは軽く肩を竦める。
「なに、気にすんな。リン、良い判断だな」
「任せてください!」
リンが得意気な笑顔でグッと親指を立てた。熟練の冒険者は、怪我人や病人の介助経験もそれなりにある。
ふー…と息をついたヒースクリフは、目線をアルビレオとトレドに順に向け、微かに頭を下げた。
「…治らないと、思っていた…本当に、ありがとう」
「病人の治療は薬師と医者の本懐なのでな。なあ、トレ=ド=レント?」
「ええ、そうですよ」
アルビレオがにやりと笑うと、トレドも笑顔で頷く。そして、医者らしい真面目な顔で続けた。
「ある程度回復したとはいえ、身体全体が衰弱しているのは間違いありませんから。まずはちゃんとご飯を食べて、身体をしっかり回復させてください。体力を戻すのは追々、少しずつ進めましょう」
「…わかった」
これからのことを当たり前の顔で語るトレドに、ヒースクリフが微かに笑う。
実のところヒースクリフは、どんどん自らが衰弱していく現実に直面し、半分以上死を覚悟していた。
息子のためだと高価な薬を買い続けるアーロンにも、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる母や妻にも、明るい顔で励ましてくれる子どもたちにも、決して言えないことだったが──もはや『治るのか』ではなく、『いつ死ぬのか』という心地で毎日を生きていたのである。
明日以降のことを考えられるのが、どれほど嬉しいか。恐らく当事者にしか分からないだろう。
「食事については、なるべく下エーギル村の食材を使ったものを食べること。身体の中に入った余分な水の魔素を排出し、溜めにくくする効果があるからな。あとは、水の魔素が濃い場所にはなるべく近寄らないように。どうやら体質的に、水の魔素に敏感なようだ。魔素濃度の濃い場所については、後でエセじい…ゴホン、冒険者ギルドエーギル支部の長に訊けば分かるだろう」
体力を戻すリハビリ以外にも、気を付けなければならないことは案外多い。
アルビレオの注意を、アーロンとヒースクリフは真剣な顔で聞いていた。
ハンスはふと首を傾げる。
「…水の魔素が濃い場所は危険っつーなら、アーロン村長の家で暮らさない方が良いんじゃないか?」
その言葉に、アーロンがハッと目を見開く。
アーロンの家は、坑道の入口のすぐ近く。鉱山関係者用の休憩所や作業場を除くと、水の魔素が溢れ出る大元に最も近い場所にある。
立ち寄るだけならともかく、そこで暮らし続けるのはヒースクリフにはリスクが高い。
トレドが頷いた。
「そうですね。少なくとも体力が戻って、水の魔素を溜め込まないことが確認できるまでは、魔素濃度が低めの場所で暮らした方が安心だと思います」
「ならばここに滞在すれば良い。どうせベッドは余っているし、エセじいも否とは言わんだろう。…思うに、トレ=ド=レントの診療所も引っ越した方が良いのではないか? 今の場所は、水の魔素が濃すぎて魔素中毒の治療には不向きだろう?」
アルビレオの指摘に、トレドは苦い笑みを浮かべる。
「ええ…そうなんです。坑道から近いので、負傷者が担ぎ込まれる時は便利なんですが」
坑道に近いと水の魔素が濃くて魔素中毒のリスクが高く、一方で坑道から遠いと傷病者の搬送に時間がかかる。何とも悩ましい問題である。
どちらを優先すべきか。考え込む一同に一石を投じたのはリンだった。
「思ったんですけど…トレド先生、今後、商人から逆恨みを受ける可能性があるんじゃないですか? ほら、オルトさんをこっそり救出してきたわけだし」
「え」
「あっ」
「そうすると、夜にトレド先生とオルトさんだけになっちゃう診療所って、危険なんじゃ…?」
「確かにな…」
ハンスは難しい顔で唸る。
監禁されていたオルトを救出した時点で、商人たちにとってトレドは『自分たちの内情を知っていて、かつ脅しがきかない厄介な医者』になっている。トレドのもとにオルトが居るとなればなおさらだ。
『商人が妖精族の半身を監禁していた』という事実が表沙汰になると商人たちにとって大きな痛手になるため、表立って何かされることはないだろうが、裏でより性質の悪い手段を取られる可能性はある。
ハンスの同意を得たリンはちょっと嬉しそうな顔をして、ピッと人差し指を立てた。
「だからいっそのこと、トレド先生を『冒険者ギルドエーギル支部の医者』にするっていうのはどうでしょう? そしたら、ヒースクリフさんはここで治療やリハビリを受けられますし、この建物には防犯の魔法陣がありますから、トレド先生とオルトさんもここに泊まれば多少は安心ですし」
「オイ待て、なんだ防犯の魔法陣って。聞いたことないぞ」
少なくともハンスの知る限り、ユグドラの街の支部にはそんなものはなかった。極秘事項だとしたら、ハンスも知りようがないが。
リンはあっさりと答えた。
「ギルド長の魔法だそうですよ。普通の支部だったら昼夜問わず開いててずーっと誰かしら職員が居ますけど、エーギル支部は職員が足りなくて、日中しか営業してませんから。前に、酔っ払った冒険者が夜中にギルドに入ろうとして窓を叩き割った事件があったそうで…今はドアとか窓が破壊されて誰かが侵入したら、床が瞬時に落とし穴になって侵入者を拘束する仕様になってるらしいです」
床が瞬間的に穴になり、侵入者が落ちたら元に戻って、首から上だけ出した状態で固定する。
エセルバートの十八番、地属性魔法による拘束術である。
「ちなみに受付カウンターには、その状態の侵入者の鼻をひたすらくすぐるための鳥の羽根とか、飲ませるための唐辛子の抽出液とかが用意されてます」
ハンスは顔を引き攣らせた。
「防犯っつーより、拷問か処刑じゃねぇか…」




